徳川家康

江戸幕府初代将軍

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徳川家康の名言

徳川家康の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 私はケチだから麦飯を食べているわけではない。いま天下は乱れに乱れ、領民も安らかな日は一日もない。そんななか私一人が暖衣飽食などできるものか。私が麦飯を食っているのも、少しでも節約して軍資金に回すためなのだ。

  • 多くを与えねば働かぬ家臣は役に立たぬ。また、人間は豊かになりすぎると、結束が弱まり、我説を押し通す者が増えてくる。

  • およそ人の上に立って下のいさめを聞かざる者の、国を失い、家を破らざるは、古今とも、これなし。

  • 決断は実のところそんなに難しいことではない。難しのはその前の熟慮である。

  • 大事を成し遂げようとする者は、本筋以外のことはすべて荒立てず、なるべく穏便にすますようにせよ。

  • 愚かなことをいう者があっても、最後まで聴いてやらねばならない。そうしないと、聴くに値することを言う者が遠慮して言わなくなってしまう。

  • はじめから主君に楯突こうと思っている者はいない。思い上がりと、恨みと、それから生じる欲心が謀反を起こさせるのだ。

  • 勝つことばかり知りて、負くるを知らざれば、害その身に至る。

  • 名君良将といふは、人のなすところの善き事を取り用いて国を治めり。

  • 早まって相手の肚など考えて見ぬものじゃ。相手の肚など推測してゆくと、いつかそれに巻き込まれて、わが身の都合を忘れてゆく。

    解説:  肚は「はら」と読み、魂胆という意味。交渉相手が何を考えているのか、その魂胆にとらわれるべきではない。相手の魂胆を推測していくと、かえって相手の考えに巻き込まれて相手のことばかり考えるようになってしまい、自分の本来の目的を忘れてしまう。

  • 隣国に強敵があるのは幸いである。なぜなら、こちらは油断、怠りなく励み、また、かりそめの仕置きにも心を遣うゆえに、政治も正しくなり家も整う。もし隣国に強敵がなかったら味方は武力のたしなみを薄く、上下ともに己を高く思って恥恐れる心を持たぬ為、段々弱くなるものである。

  • 人の一生は、重き荷を負うて遠き道をゆくがごとし。いそぐべからず。不自由を常とおもへば、不足なし。

    解説:  人の一生というものは、重い荷物を背負って、長く遠い道のりを一歩一歩歩くようなものだから、急いではいけない。満足できないこと、思い通りにならないことがあったとしても、そういう状態が当たり前だと思うっていれば、不平や不満をもつこともない。

  • いさめてくれる部下は、一番槍をする勇士より値打ちがある。

  • 人を用いるには、すべからくその長ずる所を取るべし。人それぞれに長ずる所あり、何事も一人に備わらんことを求むることなかれ。

  • 強敵がいなくなれば、こちらの力も弱くなる。

  • 最初に軽い者を遣わして埒があかないからといって、また重い者を遣わせば、初めに行った者は面目を失い、討ち死にをするほかはない。

  • 真らしき嘘はつくとも、嘘らしき真を語るべからず。

  • 何の苦労もしないで手に入れた宝は、かえって失敗や破滅につながる。

  • 智恵あるものは、己れ一人にて智恵を用ふるべからず、必ず仲間へも譲りて、誠信を尽すべし。

  • いい家来をもとうと思ったら、自分の食を減らしても家来にはひもじい思いをさせてはいけない。家来というのは録でつないではいけないし、油断させてもいけないし、近づけても遠ざけてもいけない。家来はほれさせなければならない。

  • 人は負けることを知りて、人より勝れり。

  • 真面目で、主君思いで、協調性もあり、勤勉な上に仕事もできる。そんな心と能力を持った人間はトップクラスの良臣だ。しかし、心ばえはそこまで良くなくても、何か優れた能力を持った者ならば採用すべきだ。

  • 多勢は勢をたのみ、少数は一つ心に動く

  • 人の一生は重い荷物を背負って長い道を行くようなものである。決して急いではならない。

  • 滅びる原因は、自らの内にある。

  • 家臣を率いる要点は惚れられることよ。これを別の言葉で心服とも言うが、大将は家臣から心服されねばならないのだ。

  • 平氏を亡ぼす者は平氏なり。鎌倉を亡ぼす者は鎌倉なり。

  • 人質は長くとっておくと、親子であっても親しみが薄れて効果がなくなる。恩愛に溺れて人質を捨てかねるものである。

  • 主君を諌める者の志は、戦いで手柄を上げるよりも素晴らしい。

  • 人間は、健康でありすぎたり、得意すぎたりする時にも警戒を要するのだが、疲れたおりの消極性もまた厳に戒めなければならない。

徳川家康の名言を見ている方へお薦めする名言

徳川家康の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

徳川家康について

徳川家康は戦国時代の大名で、江戸幕府初代将軍。関ヶ原の戦いに勝利し、江戸幕府を開く。大阪夏の陣、冬の陣で豊臣家を滅ぼし、天下統一を成し遂げた。

1543年(天文11年)三河の豪族である松平広忠の長男として生まれる。幼くして父を亡くし、織田家や今川家の人質として幼少期を過ごした。12歳で元服し、今川家の家臣となる。桶狭間の戦いで今川氏が敗れると、徳川家康は今川市からの独立を画策。今川氏を攻め三河(現在の愛知県)西部の諸城を攻略して今川家から独立した。

独立後は織田信長と同盟を結び、信長の勢力拡大に貢献。1582年の信長の死後は、織田家で台頭し主導権を握った豊臣秀吉と対立し、複数の戦闘や外交戦を繰り返す。この対立は、豊臣秀吉と徳川家康の和解という形で一応の決着を見た。秀吉は妹の朝日姫を家康の正室として差し出し二人は義兄弟となる一方、徳川家康は秀吉に臣従した。

1598年秀吉が死去すると、徳川家康は豊臣家の政権運営を取り仕切るようになるが、家康の台頭に他の有力大名や豊臣家家臣が反感を抱き、次第に対立するようになる。この対立は日本の歴史上最大の戦いである、関ヶ原の戦いへとつながる。関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は江戸幕府を開き、初代征夷大将軍となる。将軍に就任した徳川家康は大阪夏の陣、冬の陣で豊臣家を滅ぼし天下統一を達成。天下統一の翌年死去。享年73歳。