ナポレオン

フランス皇帝

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ナポレオンの名言

ナポレオンの過去の名言をまとめた名言集です。

  • 強い人が勝つとは限らない。素晴らしい人が勝つとも限らない。私はできる、と考えている人が結局は勝つのだ。

  • この世は災難に満ちている。しかしそれは、悪人たちの暴力によってではない。善人たちの沈黙によってである。

  • 政治においては、退却も撤退も許されない。決して失敗を認めてはならない。

  • 1頭の犬をリーダーとした100頭のライオンの軍がいたとすれば、そのライオンたちは犬のように死ぬだろう。逆に、1頭のライオンをリーダーにした100頭の犬の軍があるとすれば、犬たちはライオンのように戦うだろう。

  • 真の英雄とは、人生の不幸を乗り越えていく者のことである。

  • 不可能とは、愚か者の辞書にのみある言葉だ。賢者は自分自身で機会を作り出し、全てのことを可能にしていく。

  • 「僕はずっと山に登りたいと思っている。…でも明日にしよう」おそらく彼は、永遠に登らないだろう。

  • 世界には二つの力しかない。剣と精神の力である。そして最後は、精神が必ず剣に打ち勝つ。

  • 兵士にもっとも望まれる資質は、与えられた作業をこなし続けることだ。剛勇さは2番目でしかない。

  • 状況?なにが状況だ。状況は俺がつくるのだ。

  • 会議を重ねすぎると、いつの時代にも起こったことが起こる。すなわち、ついには最悪の策が採られるということである。

  • 勝利とは必ずしも戦いに勝つことだけではない。倒れた時に必ず立ち上がることが勝利だ。

  • お前がいつの日か出会う災いは、お前が疎かにしたある時間の報いだ。

  • 三つの敵意ある新聞は千の銃剣よりも恐ろしい。

  • 逆境には必ずそれよりも大きな報酬の種が隠されているものだ。

  • 最悪の策とは、ほとんど常に、もっとも臆病な策である。

  • 翼を広げるまでは、どれだけ遠くへ飛べるのかわからないのだ。

  • 一頭の羊に率いられた百頭の狼群は、一頭の狼に率いられた羊群に敗れる。

  • 人間はあらゆるものを発明することができる。ただし、幸福になる術を除いては。

  • この世において成功したければ、他人よりそんなに賢い必要はない。ただ大抵の人より一日早ければ良い。

  • ほとんどの戦いの勝敗は、最初の一発が撃たれる前にすでに決まっている。

  • じっくり考えろ。しかし、行動する時が来たなら、考えるのをやめて、進め。

  • 幸福とは、その人間の希望と才能にかなった仕事のある状態をさす。不幸とは、働くエネルギーがありながら、無為な状態にあることをさす。

  • 苦しみに耐えることは、死ぬよりも勇気がいる。

  • 多くの人が失敗する理由は、最も欲しいものよりも、目先の欲求を優先してしまうからだ。

  • 予の辞書に不可能という言葉はない。私には、やってできないことはひとつもない。もし、自分自身の辞書があったとしたら、その中に不可能などという言葉は入っていないはずだ。

  • 君にそんなことができるはずはないよとあなたに言ったのは誰ですか?その人は、あなたの限界を定める資格を持つほど、大きな成功を収めたというのでしょうか?

  • 不可能は、小心者の幻影であり、権力者の無能の証であり、卑怯者の避難所である。

  • 戦闘の翌日に備えて新鮮な部隊を残しておく将軍は、常に敗れる。必要とあれば、最後の一兵まで投入させなければならない。なぜなら、完全な成功の翌日は、もはや我々の前に障害はないからだ。

  • 私は目標を見据えている。障害は取り除かれなければならない。

ナポレオンについて

ナポレオンはフランス革命をきっかけに台頭したフランスの皇帝。ナポレオン戦争と呼ばれる征服戦争を通じて自由主義と国民主義(ナショナリズム)を普及させた。

1769年イタリア・コルシカ島の少貴族ボナパルト家に生まれる。コルシカ島の独立運動に参加するが、指導者と対立、1793年にフランスに亡命する。当時フランスはフランス革命を迎えており、王政支持派と反王政派(帝政支持派)が対立を繰り広げていた。1793年ナポレオンは帝政支持派の一員としてトゥーロン港を占領、その功績により少将となる。その後数々の武功をあげ、1799年総裁政府を打倒し、3人の執政からなる執政政府を樹立。ナポレオンは第一執政となり、軍事独裁政権の事実上のトップとなった。

1800年イタリア遠征を開始し、「ナポレオン戦争」と呼ばれる長い戦争が始まる。1804年ナポレオン法典を制定し個人の自由や法の下の平等、個人資産の不可侵などを定めた。1804年12月ナポレオンは国民投票でフランスの初代皇帝に選ばれる。ナポレオンはイギリスを打倒してフランスがヨーロッパを支配するための戦いを再開し、オーストリア、ドイツ、ポーランド、オランダなどに侵攻。一時期はイギリスとトルコを除くほとんどの国がフランスに服従したという。

しかし、1812年のロシア遠征で敗れると、1813年プロイセンとロシアが同盟してフランスに宣戦布告、まもなくほとんどのヨーロッパの国が加わって対仏大同盟が結成される。ナポレオンはドイツ・ライプツィヒで連合軍に破れ、イタリアのエルバ島に逃げのびる。1815年ナポレオンはエルバ島を脱出してパリに入り、皇帝に復位するも、イギリス・プロイセンの連合軍に破れ、南太平洋の孤島セント・ヘレナに流罪となった。ナポレオンはその行動を監視され、自由に外出もできない生活を送った。一方で側近に口述を記録させ、膨大な回想録を残した。1821年セント・ヘレナ島での軟禁生活の中死去。享年51歳。

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