二宮金次郎
農政家、幕臣
二宮金次郎(二宮尊徳)の名言
二宮金次郎の過去の名言をまとめた名言集です。
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財貨は海のようなものだ。貧富、苦楽は、水を渡る術を知っているか、いないかにある。泳ぎの上手な者は水を得て楽しむし、泳ぎのへたな者は、水のために苦しんで溺れる。勤勉な者は財を得て富むし、勤勉にできない者は財のために苦しんで貧乏する。
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国や家の衰えを興そうとするには、何よりもまず分度を立てるがよい。分度が立ちさえすれば、分内の財が散らないから、衰えた国も興すことができ、つぶれかけた家も立て直すことができる。
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今、富める者は、必ずといってもよいほど、その前から徳を積んだものである、もし麦を蒔かなかったら、来年は麦がまったく実らない。麦の実りは冬から力を入れてきたからである。稲を仕つければ秋には実る。米の実りは、春から丹精してきたからである。
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樹木を植えて、30年たたなければ材木にはならない。だからこそ後世のために木を植えるのだ。今日用いる材木は、昔の人が植えたものだとすれば、どうして後世の人のために植えないでよかろうか。
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真の学問とは、小欲を大欲に変えるための手段。小欲とは己のみの欲求を満たすことであり、大欲とは人間そのものの幸福を満たすことである。
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心の力を尽くして、私心がないものは必ず成功する。
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肥取り船に水を汲み入れて、肥しを増やしているのが見えた。このような汚物すら、増やせば利益が上がる世の中である。万物が不浄を極めれば、必ず正常に帰り、清浄極まれば、不浄に帰る。それは天の理である。このように世の中に無用のものはないのだ。
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経文といい経書といい、その「経」という文字は、もともと機の縦糸のことだ。だから縦糸ばかりでは用をなさず、横に日々実行を織りこんで、はじめて織物として役に立つのだ。横に実行を織りこまず、ただの縦糸だけでは役に立たぬことはいうまでもない。
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生きているときは人で、死んで仏になると思っているのは間違いだ。生きて仏であるからこそ、死んで仏なのだろう。生きてサバの魚が、死んでカツオになる道理はない。林にあるときはマツで、切ったらスギになるという木はない。だから生前から仏であって、死んで仏になり、生前から神であって、死んで神なのだ。
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因というのは、たとえば、蒔いた種のことだ。これを耕作培養するのが縁だ。種を蒔いた因と、培養した縁とによって秋の実りを得る、これを果というのだ。
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あなたは心得違いをしている。それは運が悪いのでもなし、神明の加護がないのでもない。ただ、あなたの願うことと、することが違うからいけないのだ。
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鳥獣は譲るということを知らない。人はそうではなく、今日のものを明日に譲り、子孫に譲り、他人に譲るという道がある。
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私の本願は、人々の心の田の荒廃を開拓していくことである。天から授けられた善の種である仁義礼智を栽培し、善の種を収穫して、各地に蒔き返して、日本全体にその善の種を蒔き広めることである。
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我が家の繁栄を捨て、身命をなげうって、無数の家を繁栄させることに努める。これが私の決意である。
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世の人はみんな金銭の少ないのを嫌って、ひたすら多いことを願うけれど、もしも金銭が銘々の願いどおりに多かったとしたら、砂や石となんの違いもない。
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財はよく人を富ますが、またよく人を貧しくするのは、なぜかといえば、天分の度合に小と大とがあるからだ。小と大とに即応して経理する術を知っている者は、貧窮の憂いがない。
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貧者は天分の実力をわきまえず、みだりに富者をうらやみ、その真似をしようとする。
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早起きにまさる勤めぞなかるべし 夢でこの世を暮らしゆく身は
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災いは過去の因縁によって来る場合もある。名僧が強盗にあったときの歌に「前の世の借りを返すか、いま貸すか、いずれ報いはありとしぞ知れ」と詠んだとおりだろう。決して迷ってはならない。
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氷を解すべき温気、胸中に無くして、氷のままにて用ひて水の用を為すと思ふは愚の至なり。
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すべての商売は、売りて喜び、買いて喜ぶようにすべし。売りて喜び買いて喜ばざるは道にあらず。貸借の道も、また貸して喜び、借りて喜ばざるは道にあらず。
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世の人が、生きているときは人で、死んでから仏となるというのは間違っている。生きている時から仏であるから死んで仏になるのである。
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親の養育を受けたことに報いるために子供を養育し、先生から教えを受けたことに報いるために子弟を教え、人の世話を受けたことに報いるために人の世話をする。これが人道である。
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国や家が窮乏に陥るのはなぜかといえば、分内の財を散らしてしまうからである。これを散らさないようにさえすれば、国も家も必ず繁栄を保つことができる。
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政事は豆腐の箱の如しである、箱が歪めば豆腐も歪む。
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世人は蓮の花を愛して泥を嫌がり、大根を好んで下肥を嫌がる。私はこういう人を半人前という。蓮の花を養うものは泥である。大根を養うものは下肥である。蓮の花や大根は、泥や下肥を好むことこの上なしではないか。世人の好き嫌いは、半面を知って全面を知らない。これまさに、半人前の見識ではないか。どうして一人前ということができよう。
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人は徳のある人に従いてくる。
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人道は勤めるのを尊しとし自然に任せるのを尊ばない。勤めるということは私欲に克つということである。
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古語に「三年の蓄えなければ国にあらず」といっている。外敵が来たとき、兵隊だけあっても、武器や軍用金の準備がなければどうしようもない。国ばかりでなく、家でも同じことで、万事ゆとりがなければ必ずさしつかえができて、家が立ちゆかなくなる。国家天下ならなおさらのことだ。
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昔蒔く、木の実大木となりにけり、いま蒔く木の実、後の大木ぞ。
二宮金次郎の名言を見ている方へお薦めする名言
二宮金次郎(二宮尊徳)の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。
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やがて成長して作物が得られるという希望がなければ農夫は畑に種を蒔くことはないだろう。子供が生まれるという希望がなければ人類に結婚という仕組みは出来なかったであろう。利益を得ることができるという希望がなければ、商人は商売を始めないだろう。この世を動かしているのは、すべて希望なのだ。
マルティン・ルター 神学者・牧師
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他人の、しかもそのマジョリティがやっていることが、その時代に必ず合っているわけではありません。時代はどんどん動いているからです。頼るべきは、自分なりの時代観です。社会変化のベクトルを自分なりに探すのです。ベクトルとは、「方向」と、「動く大きさ」なり「スピード」です。それに商売を合わせれば、とてつもない利益が上がるんじゃないか、ということです。
松井道夫 元松井証券社長
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慣習とは反対の道を行け。そうすれば常に物事はうまくいく。
ジャン=ジャック・ルソー 哲学者
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世界で一番偉大な権利は間違える権利である。それは人々が全ての物事や人に対して包み隠さない意見を表明できるということだ。ただし人々は、その権利を乱用しない責任を負う。
ウィリアム・ランドルフ・ハースト ハースト・コーポレーション創業者
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自分のなすべき正当なことのみを行なえ。そのほかのことはおのずからなされよう。
ゲーテ 詩人、劇作家、小説家
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日本のメディアにも有識者にも、世界からの日本の評価に目を向けさせるのは大変な作業。メディアも有識者も日本の責任追及の視点ばかり。日本の責任は認める。それで世界は日本をどう評価しているのか。ここに不当性はないのか。他国に異議を出す必要性はないのか。この視点が日本にはない。
橋下徹 弁護士、政治家
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プロであればあるほど、「相場はこう動きます」なんて言わない。「絶対」がないことをよく知っているからです。
松井道夫 元松井証券社長
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報酬への期待を行動のバネとする人にはなるな。
ベートーベン 作曲家、ピアニスト
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貧しい時代の苦労はお金で買えない貴重な体験。どんなに辛くても楽なほうへ逃げない。人にできない苦労ほど、いつか楽しい思い出になる。
美輪明宏 歌手、俳優、タレント
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説明の一番いい方法は、自ら実例を示すことです。百回の説明も、一回の実例を示すことに及びません。
福沢諭吉 思想家、教育家
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全てをはっきりとさせることが問題を解決させるとは限らない。
為末大 陸上選手、世界陸上400mハードル銅メダリスト
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これから死ぬまでの人生を考えるというのは楽しいね、何をするかと。結局、これは我々の世代のこれからの課題なんだよ。
北野武 お笑い芸人、映画監督
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最も重んずべきは信である。信を守らねばたちまち失敗す。
渋沢栄一 実業家、官僚
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仕事とは誇りだ。誇りを失って儲けるのはおのれの仕事への尊重を失うことだ。
遠藤周作 小説家
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過去を忘れてしまった国家に将来はない。
ウィンストン・チャーチル イギリス首相、軍人、作家
二宮金次郎(二宮尊徳)について
二宮金次郎は江戸時代後期の幕臣、農政家。経世済民(「世を経(おさ)め、民を済(すく)う」という意味)を目指し、報徳思想を唱え、農村復興政策を指導した。現代になって小学校や中学校に勤勉の象徴として多くの銅像が建てられたことでも有名。本名は二宮尊徳と言い、二宮金次郎というのは通称。
1787年(天明7年)現在の神奈川県小田原市に百姓の息子として産まれる。実家はかつては豊かな百姓だったが、父が散財を重ね困窮して田を質入れするなど没落。二宮金次郎は親族の百姓に身を寄せて身を粉にして働いた。20歳になると二宮金次郎は実家の再興に着手。働いて得た財産をもとに田畑を買い戻し、小作人を雇うなどして収入を増加させ、見事復活させた。
実家の再興に成功した二宮金次郎に対し、小田原藩の家老で、家計が困窮していた服部十郎兵衛が家政の立て直しを依頼。財産の整理と節約によって、5年ほど手千両あった負債の返済に目処を立てた。以降、二宮金次郎のもとには家政の立て直し依頼が相次ぎ、荒廃していた下野国芳賀郡桜町の再興、下野烏山の領民救済、谷田部細川家の家政再興などを成し遂げた。1842年(天保13年)には幕府に召し抱えられ、天領(幕府直轄領)の立て直しなどを担当した。1856年(安政3年)69歳で死去。