安藤忠雄

建築家

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安藤忠雄の名言

安藤忠雄の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 人間にとって本当に幸せは、光の下にいることではないと思う。その光を遠く見据えて、それに向かって懸命に走っている、無我夢中の時間の中にこそ、人生の充実があると思う。

  • 条件が悪い、難しい、それを超えていく時に人生面白くなる。

  • 自分がやりたい仕事を誰かが用意してくれることなどありません。与えられた仕事があれば懸命にやり遂げるのは勿論だけど、本当に自分がやるべき仕事は自ら提案し働きかけ、創りだしていくしかない。そこに向かっていくことが面白い。

  • 今は常識というものが次々と崩れています。常識を疑い、自ら新たなルールをつくる。現代を生き抜くには、そんな気構えが必要でしょう。

  • 個性と個性がぶつかり合う中でこそ、新しい発想が生まれます。個性のない者同士がいくら意見を交わしても、そこから生まれてくるものは何もありません。

  • 仕事をするというのは生涯かけて自分の可能性を探していくことです。こういう職業なら食いはぐれがないとか、体裁がいいとか、親や先生が勧めるからとかではなく、可能性は自分自身で探すのです。

  • 何か自分で若い時に、興味のあるものを探さないかん。自分の面白いものを探していく間は心が燃えとる。

  • 乗り切る方法はあとでいい。先に考えたら面白いものなんてできない。

  • 極限の状況を乗り越えられるのは、「この先にもっと面白いことがあるぞ」と思えるからでしょう。

  • 一流の大学を出て一流企業に行くスタイルじゃない人たちがたくさんいる訳です。その人たちにもチャンスがある時代ですよ。気持ちさえあれば必ず前へいくんですよ。

  • 現実の社会で、本気で理想を追い求めようとすれば、必ず社会と衝突する。大抵、自分の思うようにはいかず、連戦連敗の日々を送ることになるだろう。それでも挑戦するのが、建築家という生き方だ。

  • 真剣に仕事に向き合うというと、寸暇を惜しんで仕事をしたり、ビジネススキルを身につけようという人もいるでしょう。ですが、それよりもむしろ、新しい経験をしたり、面白いものに出合ったりすることで感動することこそ必要だと思います。

  • 安全なところにいて、そこから外を見ているだけでは、世界は理解できません。

  • 安心するというのがやはり一番の敵ではないでしょうか。敗戦を経て、日本は平和になりました。日本人は、石油危機や金融危機など時々、ショックを受けて慌てるが、その危機感をすぐに忘れてしまう。終身雇用も年功序列も崩壊しているのに、安定を求めて大企業に就職したがる若者が少なくないと聞きます。これでいいのでしょうか。日本人は「挑戦する」という言葉を忘れてしまったように思えてなりません。

  • どんなに苦しくても、自分の頭で必死に考え、自分の意見を言えるようにすることが必要だと思います。判断を人に任せていては絶対に伸びません。

  • たとえ負けても、次があるならば、そこに可能性を求めたい。許される限り、前へ進んでいきたい。

    出典:  安藤忠雄「連戦連敗」

  • 本気で取り組めば、面白いことや感動することが必ず出てくる。大切なのは、進路や自分の将来で迷っても、人に判断を頼らないで、苦しくても自分で考えぬくこと。

  • 環境とは、与え、与えられるものではない、育ち、育てるものである。

  • 人生というのは所詮どちらに転んでも大した違いはない。ならば闘って、自分の目指すこと、信じることを貫き通せばいいのだ。

  • 最悪なのは、挑戦もせず最初からあきらめて逃げてしまうことです。失敗を恐れずで立ち向かえば、少なくとも自分自身は納得できるでしょう。

  • 完成した建築物に幸福感があるのではなく、苦しみながらも工夫しているときにこそ喜びがある。

  • 能力さえあればね、マーケットは世界にあるんやから。地球の中で景気のいいとこはいつもありますよ。

  • 教養の源泉は好奇心ですから、好奇心よりも効率性ばかりを優先するビジネスマンが教養と縁遠くなるのは当たり前です。

  • 仮に私のキャリアの中に何かを見つけるにしても、それはすぐれた芸術的資質といったものではない。あるとすれば、それは厳しい現実に直面しても、決して諦めず、したたかに生き抜こうとする、生来のしぶとさなのだと思う。

  • 私の事務所のスタッフは30人しかいません。それでも海外で手掛けている案件は常時30件ほどあり、仕事の8割は海外です。なぜ少人数でそんなことができるのかとよく聞かれますが、難しいことは何もない。30人の一人ずつが、それぞれの専門と大きな視野を持ち、自分で責任を持って判断し行動してもらうようにしているだけです。要は「責任感ある個人」をいかに育てていくか、ということです。

  • 市民の声を聞く政治家が必要なように、社員の声を聞くトップが必要です。声に耳を傾けないトップは、都合のいいところだけ聞いています。上司に対してものを言いづらい社員から、意見をうまく引き出し、それをもとに決断していく。これがトップとして当たり前なのに、偉くなったら上から下へドーンとトップダウン。だから売上、利益一辺倒になってくる。

  • 私の場合は、海外の施主はすべて外国人です。パートナーを組む設計会社や建築会社も外国企業です。相手が日本人でないから、意思疎通は上手くいかないし、当然リスクも高いです。でも、そういう緊張感の中で仕事をしなければ自分が向上しないでしょう。日本人同士で仕事をすれば安全かもしれませんが、それで鍛えられることはありません。

  • 海外の施主から直接依頼を受けることもたくさんあります。「あいつにしかできない」。そう相手に思わせることができているのがポイントなんでしょうね。アルマーニのスーツを購入する人だって、「このシルエットはやはりアルマーニならでは」と思うから買い求めるわけでしょう。

  • 日本にいると危ない。ある一定レベルを超えると、急に結果責任が甘くなりますからこの国は。だから私は、常に現状に満足せず、新しい情報を吸収するように心がけています。

  • 外国で仕事をするとき、たいていの日本人は自分を殺して、ひたすら丁寧に振る舞うことで友好関係を保とうとします。これじゃ、真の対話にはならないし、かえって相手に信用されません。

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安藤忠雄について

安藤忠雄は昭和後期から平成時代に活躍した建築家。インテリアの仕事をしながら独学で建築を学び、安藤忠雄建築研究所を設立。当時としては珍しかったコンクリート打ちっぱなしの斬新なデザインで注目を集め、評価を高める。代表作に住吉の長屋」、「六甲の集合住宅」、「タイムズ」「ガラスブロックの家」、「水の教会」、「近つ飛鳥博物館」、「サントリーミュージアム・天保山」など。日本建築学会賞、日本文化デザイン賞、芸術院賞、プリツカー賞 、国際建築家連合ゴールドメダル、文化勲章、フランス芸術文化勲章コマンドールなど表彰多数。

1941年9月13日大阪府大阪市生まれ。ボクシングに取り組み、大阪府立城東工業高校在学中にプロボクサーの資格を取得し、卒業後にボクサーとしてデビューし、海外でも試合をした。引退後はインテリアの仕事をしながら独学で建築を学び、建築士の資格を取得。1969年に安藤忠雄建築研究所を設立し、建築家としての道を歩み始める。1976年に大阪の長屋をコンクリート打ちっぱなしに改築した「住吉の長屋」が完成。高い評価を受け、日本建築学会賞を受賞。

1980年代に入ると傾斜した地形を生かした「六甲の集合住宅」、川と建築物を連続させた「タイムズ」など、自然と建築を調和させた作品を発表。安藤忠雄は建築界で不動の名声を築いていった。その後数多くの住宅、商業施設、公共施設を手がけ、世界的な著名な建築家となる。

1983年日本文化デザイン賞受賞。1989年には大阪中之島の改造構想を独自に提案。1992年のセビリア万国博覧会日本館では大規模な木造建築を手がけた。1995年の阪神・淡路大震災の後、緑を増やすグリーンネットワークの植樹運動を始めた。2019年安藤忠雄は子供向けの図書館を自ら建設し、大阪市に寄贈、2019年秋「こども本の森 中之島」としてオープン。1995年プリツカー賞、2005年国際建築家連合ゴールドメダル受賞、2010年文化勲章、2013年フランス芸術文化勲章を受賞。