三浦雄一郎

登山家、プロスキーヤー

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三浦雄一郎の名言

三浦雄一郎の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 70歳や80歳で諦める人が多すぎる。80歳がスタートだと思えば、人生がおもしろくなるんじゃないか。

  • 仕事でも日々の生活の中でも、冒険することはできる。そう考えると、今見えている光景がきっともっと輝いて見えてくるはずです。

  • 夢を諦めることこそが、人間にとって最も無理をしている状態なのです。

  • これからも「次はどんなことをしてみんなをビックリさせようかな」という、ちょっぴり「いじわるじいさん」気分で、自分も周りもドキドキ、ワクワクするような冒険に挑んでいきたい。それが、僕の終わらない夢です。

  • 老いは怖くない。目標を失うのが、怖い。何のために長生きしたいのか。健康の先に何を見たいのか。その目標が、はっきりしないとただの怠け者になってしまう。

  • 冒険は未知の可能性への挑戦。だからアクシデントはあって当然です。それはどんな人生でも同じです。大事なのは逃げずに挑むこと、あきらめないこと。そしてそれを成し遂げる喜びはどんな人でも体験できます。冒険は冒険家だけのものではありません。どの人生にも冒険があり、私たちはそれを達成し、喜びを分かち合える権利があるのですから。

  • 小さな挫折や失敗を気にせず、「今日はこれだけやれた」という達成感を積み上げていく。無理しない範囲で、できることを積み重ねていけば、やがて無理が効くようになります。私は70歳でエベレストの頂に立つという大きな目標を掲げながら、日々の生活では階段を一段一段上ることに意義や喜びを見出してきました。

  • 高い志を立てれば人は変わる。志は青春時代だけのものではない。中年よ大志を抱け。

  • 諦めることはとても簡単なこと。人生の中で遭遇するさまざまな困難。「自分には無理だ。もういいや」と諦めてしまえば、きっと楽になれるのでしょう。でもそれは、山を目の前にして登ろうとする努力もせず、ふもとでただウロウロしているだけ。それでは人生はつまらない。

  • 恐怖心があるからこそ、しっかりと準備もするし、用心もする。そう考えれば、恐怖心は決してネガティブなものではありません。自然に対して恐れを抱くことは、冒険をする上ではとても大切なことなのです。

  • 歳を取れば、できないことが増えてくる。それは当たり前のことです。しかし、できないことを決めるのは他の誰かではありません。それを決めるのは自分自身。

  • 年齢を重ねて、諦めることが増えたとしても「自分」を諦めてはいけない。

  • いま、企業で働く中高年には、夢をなくしていた頃の私とだぶる人が多いような気がします。会社の業績もいまいちで、何とはなくしょぼくれている。年齢的にも「もう限界」と挑戦を諦めているのではないでしょうか。でも、私がそうだったように、50歳、60歳からでも相当のことができるんです。

  • 老いぼれるのは結局、自分で諦めているんですよ。年を取ると、できない理由ばかりを一生懸命考え始めるんです。

  • 「無理をしないでください」「生きて帰ってきてください」みんなが僕に言いました。「ありがとうございます」と返事をしながら、僕は心の中で別の返事をしていた。「無理をしなければ行けない。死ぬ気でチャレンジしなければ生きては帰ってこられない。だから僕は人生最大の無理をしますよ」と。

  • 自分の弱さを乗り越えようとして、ホラを吹く。だが吹いた以上は、やり遂げる。

  • アップルの創設者であるスティーブ・ジョブズ氏が、若い人に「ハングリーであれ、愚かであれ」と講演していましたが、その通りだと思います。僕自身も非常にハングリーだったし、周りから「馬鹿」「あいつ何やってんだ?」と言われましたけど、それを恐れちゃダメ。

  • 植村直己が「冒険とは生きて帰ることだ」と言いましたが、これは「死を覚悟して」という言葉がカッコ付きで入っているのです。

  • 心の中でいつも目標を持つことが大切。そうすると怠けていても、やらなきゃいかんなという気持ちがどこかで起きますから。

  • ある意味で死ぬのが一番簡単なんですよ。山へ行っても、もう死んだほうがましと思うほど苦しくなる。でも、そんな簡単な道を選んではいけない。人間、最後の最後まで生き抜いて、最後に笑って死ねればいい。それしかありませんよ。

  • たくさんの失敗をしたからこそ成功がある。成功する人は失敗の繰り返し。僕だって、南極最高峰への挑戦を成功させるのに13年もかかりましたから。

  • 一瞬の成功は長い準備期間から。冒険に必要なのは忍耐であって勇気じゃない。

  • 大きなこと難しいことをやろうとすると、できない理由がいっぱい出てくる。今できることを積み重ねる。

  • どん底の貧乏暮らしをやっていても、なんか面白いんですよ。なんか俺には将来面白いことありそだ。ワクワク生きてました。

  • 人間はいくつになっても可能性がある

  • 冒険心があったからこそ、山を越え、海を渡り、人類は地球上で生き残ってきた。

  • バカ言って笑いとって、「こいつ本当にバカなんじゃないか?でもやってやるか」くらいがちょうどいい。

  • まだ世界中のだれも挑戦していない80歳でのエベレスト登頂。この俺に本当にできるんだろうか?いや、きっとできるはずだ。そんなふうに自分で自分にワクワクするんです。

  • 後から来た人たちに追い抜かれても、全く気にしない。標準タイムがあるのですが、それも僕には関係ない。ところが不思議なもので、頂上に近づくと追い抜いて行った人たちに追いつき、山頂には僕らが先に着くことも少なくありません。

  • リーダーというのは「旗印を降ろさないこと」といいますか、目標設定したことを最後まであきらめないことでしょうね。あとは少しバカなくらい陽気でいないと。

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三浦雄一郎について

三浦雄一郎は日本の登山家、プロスキーヤー。イタリアのスピードスキーの大会、キロメーターランセに日本人で初めて参加し、世界記録を樹立。その後、スキーでの富士山からの直滑降を皮切りに、エベレスト大滑降など7大陸最高峰のスキー滑降を達成。2000年代に入ると、エベレスト登頂の世界最高齢記録を複数回更新。通信制高校、クラーク記念国際高等学校校長の校長も務める。

1932年(昭和7年)10月12日、青森県青森市に生まれる。父は農林省営林局の職員だった。北海道大学獣医学部に入学。卒業後は同大獣医学部の助手として働いた。その後スキーヤーに転向し、世界プロスキー選手権に参加するなどしていた。1964年(昭和39年)、イタリアで開催されたスピードスキーの大会「キロメーターランセ」において時速172.084を記録して優勝、当時の世界記録を樹立した。1966年(昭和41年)、富士山からの直滑降に成功。1970年(昭和45年)エベレストからの大格好を成功させた。そして1985年(昭和60年)までに世界七大陸最高峰全峰からの滑降を成功させた。

1992年(平成4年)日本では25年ぶりに認可された広域通信制高等学校「クラーク記念国際高等学校」の校長に就任。1995年(平成7年)北海道知事選挙に出馬するも落選。2003年(平成15年)次男の三浦豪太とともにエベレスト登頂し、当時の世界最高年齢登頂記録(70歳7カ月)を樹立。さらに2008年、2013年にもエベレスト登頂に成功し、世界最高齢記録を更新している。2013年顕著な冒険家を表彰する三浦雄一郎記念日本冒険家大賞を創設。