53歳の時に、世界七大陸最高峰のスキー滑降を成し遂げて以来、私は全く普通のおじさんになってしまいました。冒険家としての挑戦は、この辺でいいのかなという気がして、飲み放題、食べ放題。その結果、164センチの身長で体重は80キログラム以上に増え、高血圧に高脂血症、おまけに糖尿病の兆候まで出てきた。そこから、「人生、このままたそがれてちゃいけない」と一念発起し、本気でエベレストを目指して始めたのは6年前のことです。
三浦雄一郎 登山家、プロスキーヤー
この名言を見ている方にお薦めの名言
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私は10歳で母親を亡くし、同じ年に父親がテレビCMの制作会社を清算したわけです。これ以上の逆境もそうはないですよね。だって、それまでは「巨人の試合を見たい」と言うと、横浜から後楽園球場までハイヤーの送り迎えが当たり前でしたから。住まいも広々としたマンションから、いきなり公団住宅に移ったわけです。だけど、あの逆境がなかったら、私は金持ちの不良少年になってしまい、ワタミなんて絶対誕生していなかったと思います。つまりどん底があったから最高は生まれたのだろうと思います。だからいまは、いいことが起きると逆に心配なんです。喜びながらも悪いことが起きないよう、慎重になります。
渡邉美樹 ワタミ創業者
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突然、彼女は失われた過去を後悔しているのではなく、失われた将来を悔いているのだと気づいた。今までそうでなかったということでなく、もうそうなれないということに。
F・スコット・フィッツジェラルド 小説家
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好機とは、何かを受け入れたり、何かをなすべき唯一の一瞬をいう。
プラトン 哲学者
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何だかわからないけれど体中の内臓が連動して、自分の意図に反して鳥肌が立つとか、ワクワクするというのが感動なんだから。
倉本聰 脚本家
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仕事をこなすからこそ報酬が得られる。人生にショートカットなどない。
マイケル・ジョーダン プロバスケットボール選手
三浦雄一郎の他の名言
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誰にでも失敗はつきものだし上手くいかないこともありますどんなに入念に準備しても予定は狂うし、怪我はするし、限界まで追いつめられることなんてしょっちゅうです。でも、そうしながらも絶対に掲げた旗印、夢はあきらめないでほしい。夢に向かう道というのは様々な方向に伸びていて正しいと信じてやって壁に突き当たったとしても方向転換すればいい。出口の方向には必ず光があるから一度原点に戻ってみて光があるほうへ進んでいくんです。
三浦雄一郎
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愚かと言われるくらい人の理解を超えた新しい分野に挑戦することが必要です。それを成し遂げてはじめて、新しい時代、あるいは自分自身がひらけるのですから。
三浦雄一郎
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幼少の頃、僕は体がとても弱くて学校を休みがちでした。もし体が丈夫で100mを素晴らしいタイムで走れたら、違ったことをやっていたかもしれない。でも身体的に恵まれていなかったからこそ、誰もやっていない細かな隙間を見つけて突き詰めることができたんです。
三浦雄一郎
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私の父親は、あと数カ月で100歳になりますが、今年白寿でモンブランでのスキー滑走をやってのけた。98歳から99歳の二年間で本も三冊書いています。その姿を間近に見ていたら、自分もまだまだと思わずにはいられません。エベレスト登頂を前にして、私の体力が、30代後半の水準まで戻ったのは、父親に負けてはいられないという思いが、それだけ強かったからかもしれません。
三浦雄一郎
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子供にはあまり「勉強しろ」とは言いませんでした。小学校の頃から「冒険しろ」「一緒にキリマンジャロに登ろう」と。要するに面白いけど、苦しいことをやらせるわけです。それを何回も経験させるんですよ。勉強だって苦しくなってくる。それを「面白くなるように工夫してみろ」と言っていたら、いつのまにか医学博士を取っていて。
三浦雄一郎
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絢爛豪華な経験。これで助かったらこんな贅沢な人生はないと思った。
三浦雄一郎
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基本的にはこれができたら、死んでもいいと思ってやっている。
三浦雄一郎
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命を惜しむと、それまでの努力が無になってしまう。
三浦雄一郎
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僕も病気やけがを抱えています。80歳で3度目のエベレストに登ろうと思った時には大腿骨と骨盤を折りました。エベレストに向けて出発する1か月半前には心臓手術も受けました。あの時に目標がなかったら、今頃は寝たきりでしょう。
三浦雄一郎
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5年ごとに目標を設定しているんですよ。5年って意外に便利な期間なんです。チャレンジが終わって、まあ、2年ほどは遊べる。3年めから「よし、そろそろやってみよう!」と奮い立たせるんです。
三浦雄一郎