下りは登りより、はるかに危なかった。一歩間違えたら死んじゃうので。生涯でこれほど疲れたことはない。
三浦雄一郎 登山家、プロスキーヤー
この名言を見ている方にお薦めの名言
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無私の心を自分で確立するのは、実はそれほどむずかしいことではありません。どうすればよいかと言うと、自分の得にならないことをできるだけやっていく、ということに尽きるのです。
鍵山秀三郎 イエローハット創業者、日本を美しくする会創始者
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独りでいる覚悟を決めている人は、誰かに期待しない分、寂しくないわよ。
瀬戸内寂聴 小説家、僧侶
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他人からの賞賛や感謝など求める必要はない。自分は世の中に貢献しているという自己満足で十分である。
アルフレッド・アドラー 心理学者、精神科医
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才能がない子でも、運の神様が「スーパースター」の座を用意しておいてくれる場合があります。たとえばいじめられてる子に、運の神様はやさしい。一番つらいときには声をかけてくれないかもしれないけれど、その子がつらい状況をバネにして頑張っていれば、必ず道を開いてくれます。だから「いじめられてるな」と思ったら、「ラッキー!今、大きな運がたまってるんだ」と思ったほうがいい。
萩本欽一 コメディアン、タレント
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あなたの意識が真理を認識する時、潜在意識がそれを受け入れさせています。幸運、神の導き、正しい行い、全ての天恵を信じましょう。
ジョセフ・マーフィー 著述家、宗教家
三浦雄一郎の他の名言
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どんな人にも冒険があるんです。いろんな人の冒険があったおかげで、今の人類はあるのでないでしょうか。人類の祖先が安住の地である森林から草原へ一歩を踏み出したことは、外敵に身をさらすとても危険な冒険だったはずです。
三浦雄一郎
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1970年にはエベレスト山頂からのパラシュート直滑降に挑戦したのですが、当時の日本人にとってエベレストは未踏の地。誰も知らないエベレストで初の試みをするのだから、しっかり映像を残そうと「どうせなら将来、ハリウッドの映画祭でオスカーをもらえるような映像に」と計画しました。
三浦雄一郎
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今年5月、70歳7カ月でエベレスト登頂に成功しました。いままでの最高齢記録を更新し、いろんな人から「すごいですね。どうしたら70歳までそんな力が出せるんですか」と言われるんですが、私の答えはいつも決まっています。「皆さんにもできるんじゃないですか。できますとも」と。
三浦雄一郎
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僕のプレゼンテーションの原点は学生時代にあります。当時もスキーをするお金が必要だったから、スキー部の仲間達とダンスパーティーやスキーメーカー協力のバーゲンセールなどの企画を立て、いろいろな人に「この企画はこう役立ちます」と交渉していたんです。
三浦雄一郎
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お陰で僕はエベレストからのパラシュート直滑降に成功し、映像はオスカーをもらうことができました。アメリカ前大統領のジミー・カーターさんは、僕の映像を20回以上観てくれたそうで「人間の勇気、夢をあきらめない姿に感動した」と言ってもらえて、そんな嬉しいことも起こるんです。
三浦雄一郎
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新幹線に初めて乗って、三島辺りで富士山が見えた。富士山は何度も滑っているけど、あれを直滑降したらカッコいいだろうと思いました。「待てよ、どうやって止めるかな」と考えて、ノートを取り出して富士山をスキーで滑っている絵を書いていたら、パラシュートを付けたら面白いというアイデアが浮かんだ。大阪で講演があったんですが、終わってすぐに防衛庁の航空装備研究所に相談に行ったら、「面白い」とパラシュートの設計に協力してくれたんです。
三浦雄一郎
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僕も病気やけがを抱えています。80歳で3度目のエベレストに登ろうと思った時には大腿骨と骨盤を折りました。エベレストに向けて出発する1か月半前には心臓手術も受けました。あの時に目標がなかったら、今頃は寝たきりでしょう。
三浦雄一郎
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パラシュートを使って富士山を直滑降したのですが、「スキーとパラシュートを結びつけた」という斬新さが世界中のニュースになりましたよ。立て続けに新しいことに挑戦して記録をつくれたのは、自分でなければできない「オンリーワンの何か」を追い求めた好奇心の賜物でした。
三浦雄一郎
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65歳のおじいちゃんがエベレストというと気が遠くなりますが、ちゃんと計画を立てれば出来るものなんです。まずは、富士山、次はヒマラヤ。5000m級、6000m級、7000m級とやっていけばいいんです。
三浦雄一郎
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電車の窓から白い富士山が見えましてね。本当に美しいなと思いました。そこに「一枚の斜面」が見えるじゃないですか。「ああ、あそこを真っすぐ降りたら楽しいだろうな」と。
三浦雄一郎