言葉は全然違うけれども。あいうえおとABC、フランス語とドイツ語、イタリア語と日本語、韓国語と中国語では、全く違う感情があったり、悲しみがあったり、泣き方があったりするけれど、もっと底まで入ると、人間の共通面があると思うんです。言葉なんかを超えた、と信じているわけ、僕は。だからこうやって、指揮者をやっているんです。
小澤征爾 指揮者
この名言を見ている方にお薦めの名言
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自然はけっして我々を欺かない。我々自身を欺くのは、つねに我々である。
ジャン=ジャック・ルソー 哲学者
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国家が望めば、国家が生き長らえるためなら、殺人も合法となるんだよ。国民のためにそうなってるわけじゃない。全部、国家のためだ。
伊坂幸太郎 小説家
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私はグローバル化とアイデンティティの尊重とは、足並みをそろえて進むべきだと思っています。自らのアイデンティティを保ちたいという願望は、肯定的な意味でも、また否定的な意味でも、あらゆるところに顔を出します。これは当然でしょう。グローバル化とアイデンティティの尊重とは両立しうる、また両立させなければならない概念なのです。
カルロス・ゴーン 元日産自動車CEO
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国民が守るべき道徳上の義務を今よりも怠って、更に無学無知に陥れば、政府の法の規制は今よりも厳しくなるでしょうし、もし、国民が全員学問に志して物事の道理を知り、文明の風潮に進むならば、政府の法もいっそう寛大で情け深いものとなりましょう。法が苛酷になるか寛大になるかは、国民の品性によってどちらかの傾向が強まるのです。
福沢諭吉 思想家、教育家
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この国では、無知、あるいは知識や情報が足りないことが場合によって罪悪になるという認識が薄い。
村上龍 小説家、脚本家
小澤征爾の他の名言
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音楽の本質は公約数的なものではなく、非常に個人的なもので成り立っていると思う。
小澤征爾
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飛び出さないと何も始まらないんです。
小澤征爾
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僕は「東洋人と西洋人は違う」ってはっきり言いました。だけど、どっかではつながっているんだと思う。世界共通、人間の感情は。
小澤征爾
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日本人がどこまで西欧音楽を理解できるかという壮大な実験をしてきた。
小澤征爾
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オーストリアのザルツブルクで生まれたモーツァルトが書いているものは、その土地の、その人たちの悲しみとか喜び、幅広さとか、うれしさだけの意味で書いているとは僕には思えない。もっと高いところにあると思う号の芸術ってものは。
小澤征爾
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意外に多いですよ。両親に言われて音楽家になって、ずーっと勉強していて、ハッと気がついたら音楽が余り好きじゃなかったというような人が。
小澤征爾
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自分が年をとってきたからかもしれないけれど、大事なものとか美しいもの、美しいと言ってもただ見て美しいのではなくて、心に染みわたる美しさとか、心を打たれる美しさというのは、少し悲しみの味がするのよ。
小澤征爾
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今は英語ができれば、世界中ほぼ通用するでしょ。ほんの少し前までは、フランスではフランス語、ドイツではドイツ語を喋れなくてはいけなかったけれど、今はパリやベルリンでも、みんな英語。
小澤征爾
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「悲しい」 とか 「さびしい」、そういう言葉があるけど、音楽の場合は、作曲家が悲しいと書いても、どのぐらいまで悲しくやっていいかは、書いていないんですよ。そして、その悲しさの度合いは、人によって全然違う悲しさが、震えちゃうぐらい悲しいのか、それともさびしさが入っている悲しさなのか。あるいは、ほんとにもう悲しいのが中に入っちゃって外には出てこないのか、泣いちゃうぐらい悲しいのか……。その度合いの幅というのは、とても広い。そこで、それを決めていくためには、演奏家の判断が必要になってくるんです。 音楽の場合は、言葉で悲しいと書くよりも、それ以上にうんと幅が広いと思う。
小澤征爾