小澤征爾

指揮者

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小澤征爾の名言

小澤征爾の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 音楽の本質は公約数的なものではなく、非常に個人的なもので成り立っていると思う。

  • いい演奏家はね、若くて経験はなくても、わかる人はわかる。不思議と。で、それがまた身になっていく。

  • 音楽は、非常に「個」の強いものです。一人一人の経験の中から、じわじわっと出てくる。

  • お客さんは、音楽会に来て幅があったり、高さや深みがあったりすることで、その曲の一番いいところを聴いたなあ、と満足してくれるわけですよね。

  • 実際にその悲しみを体験しなくても、そういう悲しみが人生の中にあるってことを、わかっただけでもだいぶ違う。

  • ベートーベンやモーツァルト、彼らがつくった音楽は、その土地柄だけのものじゃなくて、純粋な音楽をつくっているから、どんな人間でも、その人なりに理解できるんだと思う。それは悲しみであり、力強さであり、楽しみであり、というふうになってきていると思う。そう思うから、僕はこうやって指揮者をやっているんですよ。

  • 建築はもちろんですけれど、音楽も生活と結びついています。だから、暮らさないと、本当の音はわからない。

  • オーケストラ全体の方向性をきちっと見ておけと言うだけ。カラヤン先生自身、目を閉じて、全体の行方だけを確かめるような指揮をするんですが、演奏のディテールは正確です。

  • 教えたくなるというのは、もう本能ですよね。なんかそうみたい。これちょっと麻薬的なところがあって、教え始めるともうやめられなくなるんですよね。

  • カラヤン先生は僕のことを死ぬまで弟子って言ってたんだけど、最初は彼が僕のコンサートのプログラムを作るの。ソリストも彼が選んで、指揮したことのない曲を指定してきて。今考えると、カラヤン先生は僕のことを試してたんだろうね。僕としては勉強になったし良かった。

  • 僕が思うこの悲しみは、この人たちとは違うんだ、と思ってはやってはいないんですよ。

  • 1959年にフランスのブザンソン国際指揮者コンクールで一番になってカラヤン先生に弟子入りしたけれど、私、言葉がわからないでしょ。大変でした。

  • レニー(指揮者のレナード・バーンスタイン)はね、感覚的なの。指揮する姿は典型的なアメリカ人。見た目はおおらかです。ところが、演奏内容はディテールにいたるまでピタッと正確。素晴らしい。びっくりしますよ。

  • 初演というのは、ものすごく責任があります。というのも、作曲家が、自分が書いた曲を初めて聴くわけですから。

  • 学生さんにいいのがいると、若いのにいい資質の人がいるとますます教えたくなる。本業よりそっちのほうが面白くなったりしてね。で、女房に叱られたりしています。

  • 中学までは、豊増昇という先生に就いて、ピアニストになるつもりでした。

  • 私は中学生当時、指揮ということすら知らなかった。実は、オーケストラを聴いたこともなかったんです。ピアニストを目指しながら、成城学園中学校でラグビーもやっていて、成蹊学園との試合中に指をけがしましてね。ピアノが弾けなくなった。その時に、豊増先生に指揮を勧められたわけです。

  • 齋藤秀雄先生が教授を務める桐朋学園短期大学では、ソルフェージュという耳の教育のためにフランスから専門の先生を呼んでいました。私も桐朋学園に入って勉強しました。ソルフェージュをやると、音を聴いてすぐに譜面にできます。だからこそ、齋藤先生の弟子の多くが成功したのでしょうね。

  • 飾りがまったくなくて、純粋な音楽作りを4人でやるというのが、歴史的にも弦楽四重奏の特徴で、作曲家もみんなそういうつもりで書いていまからね。そこには純粋な音楽だけがあるのです。オールラウンドで、全体としていい音楽家になれると思います。「音楽作り」には四重奏が大切だと信じています。細かく言えば、音楽の語法とか、論法とか、そういうものを習うのにも四重奏はすごくいい。音をただ並べるだけでは音楽にならないわけで、どうやって作曲家が紙に書いたものを音楽に戻すかと、ここのことですよね。もちろんソロの曲でもそういうことはあるのですが、四重奏の場合はそれがもろに出てくるということです。

  • 先生が病気で死ぬことをみんな知っているから、みんな泣きながら弾いているの心の中で。全員が先生の手を見つけているから、信じられないくらい音がぴったり合っているの。僕は今でもそのテープを持ち歩いて、先生のことを思い出すたびにそれをかけるんだけどね。聞いているうちに涙が出てくるんだ。

  • 「音楽作り」には四重奏が大切だと信じています。細かく言えば、音楽の語法とか、論法とか、そういうものを習うのにも四重奏はすごくいい。

  • 音楽の本当の芯を作るのは、弦楽四重奏の主なる特徴なんですね。弦楽四重奏というのは、飾りがないんですよね。

小澤征爾の名言を見ている方へお薦めする名言

小澤征爾の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

小澤征爾について

小澤征爾は日本出身の指揮者。日本人のクラシック音楽家としては世界的に最も大きな成功を収めた人物。アメリカのボストン交響楽団の音楽監督を務め、ヨーロッパでもウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団などの有名オーケストラを定期的に指揮。ウィーン国立歌劇場の音楽監督も務めた。日本では新日本フィルハーモニー交響楽団を結成し、活動を行っている。

1935年(昭和10年)9月1日、当時日本領だった満洲国・奉天市(現在の中国・瀋陽市)に生まれる。父・小澤開作は歯科医で、満州国協和会に所属し政治運動も行っていた。1941年(昭和16年)東京都立川市に転居。成城学園中学校から成城学園高校に進む。その後音楽家の齋藤秀雄が音楽教育のために設立した男女共学の桐朋女子高校音楽科に転入。大学は齋藤秀雄の教えを受けるため桐朋学園短期大学に進んだ。卒業後に小澤征爾は群馬交響楽団で指揮者を務めた。1959年(昭和34年)単身フランスに渡る。フランスではブザンソン国際指揮者コンクールで優勝し、数々のヨーロッパのオーケストラで指揮を執るようになる。さらにカラヤン指揮者コンクールでも優勝し、世界的な指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンに教えを受ける。1960年(昭和35年)アメリカのバークシャー音楽祭でクーセヴィツキー賞を受賞。1961年(昭和36年)小澤征爾はニューヨーク・フィルハーモニックの副指揮者に就任し、指揮者のレナード・バーンスタインに師事する。

1972年文化放送とフジテレビが運営していた日本フィルハーモニー交響楽団が運営難により解散されると、小澤征爾は作曲家の山本直純らとともに新日本フィルハーモニー交響楽団を設立。1964年サンフランシスコ交響楽団の音楽監督に就任。1973年、小澤征爾はアメリカ5大オーケストラの一つであるボストン交響楽団の音楽監督就任。ストン交響楽団の音楽監督は2002年まで30年近く続けた。1998年に開催された長野オリンピックの音楽監督を務めた。2002年世界的に有名なクラッシックコンサートであるウィーン・フィルニューイヤーコンサートを指揮。日本人としては初めての指揮で、アジア人としてもインド人のズービン・メータに続く二人目の快挙だった。2008年文化勲章を受章。