宮崎駿

アニメーション作家、映画監督

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宮崎駿の名言

宮崎駿の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 才能はたいていの人が持っているんだけど、才能のあるなしじゃなくて、それを発揮するエネルギーがあるかどうか。

  • 若い人たちは何か作品を作っても「まあ、それだけのものだ」っていう見きわめをつけてしまってる。善良だし、ちゃんと働くけど、どこかさめてるんですよね。でも押し流されたらいけないんです、絶対に。自分たちのやり方や生き方を見つけないといけないんですよ。

  • 他人に迷惑をかけないなんてくだらないことを誰が言ったのか知らないんですけれども、人間はいるだけでお互いに迷惑なんです。お互いに迷惑をかけあって生きているんだというふうに認識すべきだってぼくは思う。

  • もう、とことん考える。ありとあらゆる方向を探るんです。とことん困ると、奥のほうでふたが開くんです。そのふたが開くと、最初に考えもしなかった方向が見えたりする。それでも、一歩進めるんです。

  • 面白いものはこの世界にいっぱいある。キレイなものや、まだ出合ってないかもしれないけれど、いいこともいっぱいある。それを子どもたちに伝えたい。ただそれだけですね。映画の中じゃない。映画の向こうにいっぱいあるんです。

  • 宝島なんてないと思ってる。子供たちがたくさんいる。だけど、本当はそう思い込んで世界を狭くしてるだけじゃないのかなあ。出会えたら素晴らしい人とか、心打たれる風景はたくさんある。出会う前、見る前に諦めちゃいけない。

  • 「商業的に成功することは、大して意味がないんだ」と本当は思っています。仕事を続けるために一定の商業的な成果を上げなければなりませんが、それは目的ではありません。

  • 自分がそれを好きか嫌いかってこと以外に、自分がそれをできるか、できないかってことを見極める必要がある。

  • 理想を失わない現実主義者にならないといけないんです。理想のない現実主義者ならいくらでもいるんですよ。

  • 意気地なしですよね。みんな善良で、やさしい連中なんだけど、なんだろう、どうしてこんなに意気地なしなんだろうと。そういうオス蜂をいっぱい育てた巣箱だったんですね、この日本の社会は。

  • 戦争はいつも平和の中で用意されていくのです。人間の社会は、愚かさとずるさ、だまし合いと憎み合いに満ちています。同時に優しさや献身、助け合いや同情にもみちています。その人間の社会の中に、戦争は準備されていくのです。

  • 才能とは、情熱を持続させる能力のこと。

  • ロクに人生経験も無いオタクを雇うつもりはない。火を表現するには火に触れないと駄目だ。

  • あなたは消費者になってはいけない。生産する者になりなさい。

  • つい偉そうに文化人ヅラして「子育ての環境とは」などという発言をしてしまうことがありますが、たいてい誰も聞いていません。つまり、いくら発言をしてもなんの影響力もないのです。必要なのは、理念を語ることではなくて実際になにかをやることです。

  • 今は、人間の都合のいいものだけが自然だと思われています。蚊やハエは要らないものだから自然ではない。殺したってかまわないんです。でも、そのような人間中心主義的な考えは根本的に間違いだと思います。人も獣も木々も水も、皆等しく生きる価値を持っている。

  • 企画の発端ていうのは思いつきでも何でもいいんですよ。ただそれに肉付けしていく過程でキチンとやらなくちゃいけないんです。

  • 希望というのは善だ、いいものだと思っているわけでしょ。必ずしもそうじゃないですよ。暗い時に希望というものを作り上げて、それによってごまかしている部分があって―、いい加減な希望より絶望の方がましだと言う人間もいるくらいですから。映画がいつも希望を語らなけりゃいけない、なんてぼくは思わない。

  • やっぱり人に喜んでもらうのが好きなんですね。たぶん、それをものすごく気にして生きてるんじゃないかと思います。

  • アニメーションは、いろいろな作品が考えられますが、今、私が作ろうとしている作品は、こんな小さな毛虫の話です。指でつつくだけで死んでしまいます。この小さな毛虫が葉っぱにくっいている生活を描くつもりです。それはアニメーションが生命の本質的な部分に迫ったほうが、アニメーションとしては表現しやすいのではないかと思っているからなんです。

  • 人間は残酷なもの、残虐なものを自分たちの世界から排除したいと思ってヒューマニズムとか法律とか色んなものを作り上げて来ましたけども、実は自然界そのものが残忍なものなんですよ。

  • 結局あの、本当に思うけど趣味持ってる奴は駄目ですね。全部アニメーションに吸い取られてしまった人間でないと。

  • 今の若者たちに対して一つだけ安心しているのは、彼らが戦争では一番役に立たないタイプの人間だという事。

  • 半分素人の方がいいんですよ。それは自分が選択して、自分がプロだからやるんじゃなくて、自分がこれをやりたいと思うからこれをやっているんだという...やっぱり精神の方が大事なんですよ。

  • とんでもない才能持っててね、情熱があって、それで人をちゃんと説得したり、話が通じたり、コミュニケーションできる能力をもっている。これがとても大事なことなんです。コミュニケーションの能力がなくて、才能のある人間はけっこういるんですよね。

  • 人間は決定的なことって言葉で考えたりはしないんです。「どうして僕は、彼女が好きなんだろう」って考えたりはしない。そんなことは分析したって無駄なんですよ。

  • 幼いときに仕込み過ぎるとダメになるんです。少年野球のエースが、たいてい肩やヒジを壊しちゃうみたいに、好奇心そのものを奪ってしまう。

  • 人間の中に、暴力・攻撃的な衝動というものが、あるんだと思うんです。それをなくす事は出来ないので、むしろどういうふうにコントロールするかという事が、人間や人類に課せられた大きな課題だと思うのですけども。

  • 最近の映画には成長神話みたいなものがあって、そのほとんどは成長すればなんでもいいと思ってますね。だけど現実の自分を見て、お前は成長したかと言われると、僕なんか何かこの60年、ただグルグル回っていただけのような気がするんです。

  • ほんのわずかでもいいから、一作品ごとに試みを行うべきだと思っています。そういうことを放棄した途端に、僕らにとってのアニメーションはただの手段にすぎなくなって、そのなかにストーリーを説明するための手段であったり、自分の大したことのない言いたいことのための手段でしかなくなってしまって、どっかで退廃が起こると思うんです。

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宮崎駿について

宮崎駿は日本のアニメーション作家、映画監督。アニメ制作会社「スタジオジブリ」取締役、三鷹の森ジブリ美術館館主。「となりのトトロ」、「風の谷のナウシカ」、「天空の城ラピュタ」、「もののけ姫」、「魔女の宅急便」、「千と千尋の神隠し」など数々のアニメ映画を世に送り出したことで知られる。最大のヒット作となったのは「千と千尋の神隠し」で、日本での興行収入は300億円を超え、日本歴代興行収入記録を樹立。さらにベルリン国際映画祭で日本人として39年ぶり、アニメとしては史上初の金熊賞を受賞し、第75回米アカデミー賞でも長編アニメ賞を受賞した。

1941年(昭和16年)1月5日、東京都に生まれる。宮崎家は一族で「宮崎航空興学」という航空機部品製造会社を経営しており、父はその役員だった。もともと漫画家志望だったが、高校3年生の時に日本初のカラー長編アニメ映画「白蛇伝」を見てアニメに興味を持った。1963年に学習院大学を卒業すると、アニメ映画制作会社の東映動画(現・東映アニメーション)に入社。東映動画時代の宮崎駿は「太陽の王子ホルスの大冒険」などの映画作品に参加した。1971年東映動画を退社。その後はテレビアニメで活躍。場面設定と画面構成を担当したテレビアニメ「アルプスの少女ハイジ」が人気作品に。テレビアニメ「未来少年コナン」では初めて監督を務めた。さらに1979年公開の映画「ルパン三世 カリオストロの城」で宮崎駿はアニメ映画監督デビューを果たした。

1982年、月刊アニメ雑誌「アニメージュ」でマンガ「風の谷のナウシカ」の連載を開始。1984年、個人事務所「二馬力」を設立。同年、アニメージュを発行する徳間書店と博報堂が「風の谷のナウシカ」をアニメ映画化し、宮崎駿は監督を務めた。1985年、アニメ制作会社「スタジオジブリ」の設立に参加。翌1986年、「天空の城ラピュタ」、1988年に「となりのトトロ」を公開。これらの作品が高く評価されたことで、1989年公開の「魔女の宅急便」の興行収入が21.5億円を記録し同年公開映画でナンバーワンとなる。1992年「紅の豚」を公開。1997年、制作に3年、制作費に20億円をかけた大作「もののけ姫」を公開。もののけ姫は興行収入193億円、観客動員数1420万人を記録し、当時の日本映画の歴代興行収入第1位となった。さらに2001年公開の「千と千尋の神隠し」では興行収入308億円、観客動員2350万人を記録して興行記録を更新、ベルリン国際映画祭で最優秀賞である金熊賞 、米アカデミー賞でも長編アニメ賞を受賞した。2004年「ハウルの動く城」、2008年「崖の上のポニョ」を公開、2013年に「風立ちぬ」を公開。2013年に長編映画の監督からの引退を発表。2014年にはスタジオジブリの映画製作部門が閉鎖された。