瀬戸内寂聴

小説家、僧侶

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瀬戸内寂聴の名言

瀬戸内寂聴の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 人は、不幸のときは一を十にも思い、幸福のときは当たり前のようにそれに馴れて、十を一のように思います。

  • あなたはたった一つの尊い命をもってこの世に生まれた、大切な存在です。

  • 世の中は常に変化し、人生には予期せぬことが起こり、そして、人間は必ず死ぬ。こう覚悟しておけば、度胸が据わります。大変な災害に遭おうと、会社をリストラされようと、「ああ、これこそ世の習い」と感じることができれば、慌てふためくことはありません。

  • 死ぬために生きるんですね、別れるために出会うんですね。それが人間の一生じゃないですか。

  • 人生とは、出会いと縁と別れです。出会ってから別れるまでの間に、嬉しいことや悲しいことがあって、それを無事に越えていくことが生きるということなんです。

  • あなたは苦しんだ分だけ、愛の深い人に育っているのですよ。

  • みんな自分を守ることしか考えないでしょ。自分だけ守ったって、しょうがないんですよ。考えてごらんなさい。みんな死んで自分一人が助かったら、今より怖い。私は戦争を経験して、それをよく思いました。

  • 人間なんて、ほんとに弱い者だということを自覚しておいたほうがいいし、だからといって、自分の弱さに甘えないことです。

  • お子さんに「何のために生きるの?」と聞かれたら、「誰かを幸せにするために生きるのよ」と答えてあげてください。

  • 人間は、元々そんなに賢くありません。勉強して修行して、やっとまともになるのです。

  • 人は、人を愛していると思い込み、実は自分自身だけしか愛していない場合が多い。

  • 「若者の恋愛離れ」と言われますが、どうしてこんな楽しいことに一生無縁でいいのか、もったいないなと思います。

  • 東日本大震災の後、海外のメディアから日本人の大人しい態度を絶賛されましたが、私は少し違う、おかしいと思います。大人しく行儀よくなんてしてちゃダメです。こうして欲しい、ここが間違っていると大きな声をあげなきゃダメです。

  • 老人も中年も若者も、自分たちが一番正しいという誤った自信を捨て、無垢な感性を取り戻し、自分をもっと柔軟にしていけば、滑らかな人間関係が生まれてくるはずです。

  • いいことも長く続かなければ、悪いことも長く続かないはずです。

  • 生かされているのですから素直に有り難いと思いましょう。生きている値打ちがあるから生かされているのですもの。

  • 妻は、やさしくされることを望んでいるだけではない。やさしい心で理解されることを望んでいる。

  • お釈迦様は「この世は苦である」とおっしゃいました。生きることは苦しいと。しかし、この世は苦であると最初から思っていれば、どんな苦しみにも耐えられます。苦だと決まっているのだから、じたばたしたって仕方がないのです。

  • 私は、いい母になる才能、いい妻である才能、そうした才能をひとつひとつ摘み取ってきました。そして、小説を書く才能だけを残したのだから、これだけたくさんの才能を犠牲にしたのだから、せめて小説を書く才能だけはちゃんとしてくださいとお釈迦様にお願いしています。

  • 幸福になりたいというのが人間の生きる目的でしょう。みんな幸福になりたいと思っています。じゃあ、幸福って何かって言ったら、丈夫で稼ぎのいい亭主がいて、いい子どもがいて、男の子ならいい学校を出ていい会社に勤めて、女の子なら玉の輿に乗って、自分は着たいものを着てって思うけど、それが幸福じゃないんですよ。

  • 本当の優しさとは、相手を理解し、相手の心情を思いやる想像力を持つことです。

  • 私は自分の手で探り当て、自分の頭で考えて、納得したことでないと信じない。

  • 自分の愛情をどんどん相手にプレゼントすれば、増えたの減ったので悩むことはありません。

  • 学校の成績なんて気にすることはありません。何か好きなことが一つあって、それを一生懸命できるということが人生の一番の喜びなんです。

  • 悩みから救われるにはどうしたらいいでしょうという質問をよく受けます。救われる、救われないは、自分の心の問題です。とらわれない心になれば救われます。

  • 私は多く傷つき、多く苦しんだ人が好きです。挫折感の深い人は、その分、愛の深い人になります。

  • 人間は生まれた時から一人で生まれ、死ぬ時も一人で死んでゆきます。孤独は人間の本性なのです。だからこそ、人は他の人を求め、愛し、肌であたため合いたいのです。

  • 自由に生きるとは、心のこだわりをなくすことです。自分の心を見つめて、ひとつでもふたつでも、そこに凝り固まっているこだわりをほぐしていくことが大切です。

  • 愛する者の死と真向きになったとき、人は初めてその人への愛の深さに気づきます。「私の命と取り替えてください」と祈る時の、その純粋な愛の高まりこそ、この世で最も尊いものでしょう。

  • 人間は万能の神でも仏でもないのですから、人を完全に理解することもできないし、良かれと思ったことで人を傷つけることもあります。そういう繰り返しの中で、人は何かに許されて生きているのです。

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瀬戸内寂聴について

瀬戸内寂聴は徳島県出身の日本の小説家、僧侶。東京女子大学在学中に見合い結婚するが離婚し、作家生活に入る。女流文学賞を受賞し2度映画化された「夏の終り」や、谷垣純一郎賞を受賞した「花に問え」、野間文学賞を受賞した「場所」、源氏物語を題材とした多数の小説などを残す。作家でありながら僧侶を志、出家。出家以降は仏教関連の著作も多く執筆している。平成9年文化功労者。平成18年文化勲章受章

1922年(大正11年)5月15日 、徳島県徳島市に生まれる。本名・瀬戸内晴美。実家は仏壇店を営んでいた。東京女子大学に進学し、在学中に見合い結婚。一女をもうける。しかし、瀬戸内寂聴は夫の知人と不倫し、夫と娘を残して京都へ一人出奔、1950年(昭和25)年に夫と離婚する。離婚後は東京で少女小説や童話を書いて生活。1956年(昭和31年)「痛い靴」で正式に小説家デビュー。翌年「女子大生・曲愛玲」で新潮同人雑誌賞を受賞。1963年(昭和38年)三角関係に苦悩する女性を描いた小説「夏の終り」を発表、女流文学賞を受賞した。1970年(昭和45年)小説「蘭を焼く」、1970年(昭和46年)小説「おだやかな部屋」を発表。瀬戸内寂聴は人気作家としての地位を確立していった。

1973年(昭和48年)、中尊寺にて天台宗で得度し、出家。瀬戸内寂聴は出家後も執筆活動を積極的に行い、1988年(昭和63年)小説「女人源氏物語」、同年仏教の入門書「寂聴 般若心経」がベストセラーに。1992年(平成4年)小説「花に問え」で谷崎潤一郎賞を受賞。1996年から1998年には全10巻に及ぶ「源氏物語」を発表。1997年(平成9年)9文化功労者に選ばれる。2001年(平成13年)小説「場所」で野間文芸賞を受賞。2006年(平成18年)文化勲章受章。さらに1988年から1992年まで瀬戸内寂聴は敦賀女子短期大学の学長も務めた。