瀬戸内寂聴

小説家、僧侶

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瀬戸内寂聴の名言

瀬戸内寂聴の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 木々の緑や紅葉や美しい花が地球から消え去ったら、人間の暮らしは殺風景になり、感動することがなくなってしまうでしょう。

  • 人間は善悪両方を持っています。それを、自分の勉強や修行によって、善悪の判断をし、悪の誘惑に負けずに善行を積んでいくことが人間の道なのです。

  • 男女の恋の決算書はあくまでフィフティ・フィフティ。

  • 非常に頼もしい人だと信じていた九つ上の夫のことを、実際は頼りないと感じるようになって、若い男と恋愛して、四歳になる娘を置いて婚家を出奔しました。正式に離婚が成立したのは二十八歳のときです。もちろん、若い男との間も続かない。私が家を出たことを、人は大変なことをしでかしたみたいに言いますが、終戦の後ではおとなしくて貞淑だと思われてた女性が、あっちでもこっちでも家を出て行ってたんですよ。それまで辛抱していた女性が、反乱を起こした。国が全部ひっくり返ったときは、そういうことが起きます。

  • 想像力を鍛えるためには本を読むことです。とにかくよい本を読むことです。

  • 心を込めて看病してきた人を亡くし、もっと何かしてあげればよかったと悲しみ悔んでも、亡くなった方は喜びません。メソメソしているあなたを見てハラハラしていることでしょう。早く元気を取り戻してください。

  • 自分が孤独だと感じたことのない人は、人を愛せない。

  • 心の風通しを良くしておきましょう。誰にも悩みを聞いてもらえずうつむいていると病気になります。信頼できる人に相談して、心をすっとさせましょう。

  • 心のこだわりをなくそうとするなら、まず人に施すことから始めてください。施すのが惜しい時はなぜ惜しいかを徹底的に考えてみることです。

  • 死というものは、必ず、いつか、みんなにやってくるもの。

  • 私が一人で母を介護したという人は、それだけお母さんと縁が深かったということでしょう。

瀬戸内寂聴の名言を見ている方へお薦めする名言

瀬戸内寂聴の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

瀬戸内寂聴について

瀬戸内寂聴は徳島県出身の日本の小説家、僧侶。東京女子大学在学中に見合い結婚するが離婚し、作家生活に入る。女流文学賞を受賞し2度映画化された「夏の終り」や、谷垣純一郎賞を受賞した「花に問え」、野間文学賞を受賞した「場所」、源氏物語を題材とした多数の小説などを残す。作家でありながら僧侶を志、出家。出家以降は仏教関連の著作も多く執筆している。平成9年文化功労者。平成18年文化勲章受章

1922年(大正11年)5月15日 、徳島県徳島市に生まれる。本名・瀬戸内晴美。実家は仏壇店を営んでいた。東京女子大学に進学し、在学中に見合い結婚。一女をもうける。しかし、瀬戸内寂聴は夫の知人と不倫し、夫と娘を残して京都へ一人出奔、1950年(昭和25)年に夫と離婚する。離婚後は東京で少女小説や童話を書いて生活。1956年(昭和31年)「痛い靴」で正式に小説家デビュー。翌年「女子大生・曲愛玲」で新潮同人雑誌賞を受賞。1963年(昭和38年)三角関係に苦悩する女性を描いた小説「夏の終り」を発表、女流文学賞を受賞した。1970年(昭和45年)小説「蘭を焼く」、1970年(昭和46年)小説「おだやかな部屋」を発表。瀬戸内寂聴は人気作家としての地位を確立していった。

1973年(昭和48年)、中尊寺にて天台宗で得度し、出家。瀬戸内寂聴は出家後も執筆活動を積極的に行い、1988年(昭和63年)小説「女人源氏物語」、同年仏教の入門書「寂聴 般若心経」がベストセラーに。1992年(平成4年)小説「花に問え」で谷崎潤一郎賞を受賞。1996年から1998年には全10巻に及ぶ「源氏物語」を発表。1997年(平成9年)9文化功労者に選ばれる。2001年(平成13年)小説「場所」で野間文芸賞を受賞。2006年(平成18年)文化勲章受章。さらに1988年から1992年まで瀬戸内寂聴は敦賀女子短期大学の学長も務めた。