宮本亜門

演出家

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宮本亜門の名言

宮本亜門の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 僕は、仕事をすることが、働くことだと思は思っていません。「仕事=生計を維持するために一定の職に就いて働く」って思われてますよね。でも、そういう意識が僕には全くと言っていいほど、無いんです。僕はいつも心躍ることを考えていたいために、仕事をしているのです。

  • 「仕事をしてお金をもらい、社会的に認めてもらうためにお金がほしい」ではなく、「まず自分が何をしたいか、自分が何に情熱をもっているのか」が大切になると思います。

  • 若い頃って、とかく将来を悲観しがちなんですが、人生って、想像した通りにはならないんですよね。今、僕がこんなに楽しく仕事ができるようになるなんて、昔は思ってもみなかったです。

  • 年齢は単なる数字にすぎないと思っていて、あまり意識したことはありません。気持ちは常に20代のつもりで、若いころと同じドキドキ感を持ち続けたいと思っています。

  • 周りから見て、何を考えているのかわからない人には往々にして共鳴するところがあります。むしろ人間は一人ひとり違うのに、最初から苦労せず世界に馴染めている人のほうが僕にはわからないんです。馴染むことを目的としていない人は、どうしたって孤立せざるを得ない。でも、孤立を恐れずにその中に入り込んでいける人を僕は尊敬するし、強く惹かれる。

  • 一緒に仕事をときには「若手社員だから」「生きてきた世代が違うから」相手のことを理解できないという考え方を捨てるべきです。年代や国籍など関係ありません。そういった固定観念を取っ払うことが実は最も重要なのです。感じ合う人は世代や国籍を関係なく感じ合えるし、感じ合えない人は、どんなに近くにいても遠い。

  • 自分が行動し始めれば、いろんなことが動き出す。当たり前のように聞こえるけど、最も大切な原理です。

  • 「仕事=生計のため定職に就いて働く」と決めつけ、そこに縛られ、苦しむか。それとも、そう決めつけずに、いかに楽しく働くか。そんな視点の違いが、その人の働くことへの意欲を無くすか、湧かせるかの境目だと思うのです。

  • 「仕事っていうのはこういうものだ」と言われる定義以上に、自分の情熱やワクワクが伝わっていけば、結果的に人だってお金だって自然に付いてくるってことです。ぼくの言っていることは理想論に聞こえるかもしれないけど、そう思い続けて、今も楽しく仕事をさせてもらっている。だから、そう的外れではないと思いますよ。

  • 人は誰でも大きな可能性を秘めていて、ただ得意不得意や、凹凸はある、それこそがその人のカラーとして引き出されれば輝くと思うんです。

  • 心の奥で、ギリギリまで自分を追い込んだり悩んだりするのは、嫌いではないですね。むしろ、悩まない人生はつまらないと思うので、感動も、喜びも、痛みも、何にも感じない人生は嫌だなーとは思います。

  • 悩んで七転八倒するのは決して悪いことじゃないと思います。大事なのは後で落ち込んだとしても、もっと普段から「本当の自分」を出していくこと。ところが悩みがちな人って真面目なものだから、すぐにブレーキをかけて、自分を出すことを避けてしまう。

  • 演出家になるという社会での肩書きばかりに思いがいって、具体的に「演出を通じて何をやりたいのか」と考えたことがなかった。それから、自分は人に何を伝えたいのか、何を表現したいのか、を考えるようになりました。

  • 20代のとき、こんな演出家になりたいって人に言うと「夢が大きくっていいね。でもなれないよ」って、みんなが言った。それも前例がないからだと。だけど、よく考えたら、前例がないからこそ、自分の居場所があったんだよね。

  • サービスして相手を喜ばせたいとか、もっといい気持ちにさせたい、笑わせたい、また変わったアイデアで驚かせたいとか、そういう風に「~でなければならない」ではなく、自分の人生を楽しくしたいからであれば、もっと働きたくなる。

  • 役者、それにスタッフも「ひきこもり」の性質を持った人が多くいます。一般で言うところの、バランスが偏っている人なのかもしれませんが、そういう人ほどぼくは強い魅力を感じます。だって人は、自分の足りない部分を自力で補おうとするからです。つまり、そういうバランスの偏りのエネルギーが作用して、すごい演技が引き出されたり、舞台で輝いたり、いままでにないアイデアを出してくれるからです。

  • 仕事をするのは、お金そのものが目的ではなくて、何かしたいことがあって、それが人に影響し、ついには周りに認められ、お金が集まってくるのだと思うのです。

  • 同窓会で同級生に会ったとき、一番変化を感じるのは、容姿ではなく目力です。自分の限界を勝手に見つけてしまって諦めはじめると、どこか寂しげな目になってしまいます。苦労して痛々しさを感じさせる人もいますが、苦労したときに、それを乗り越える面白いきっかけが来たのだと思えるかどうかは大切だと思います。

  • ネットを見たりテレビを見たりじゃわからないもの。人間の生の接触、生の言葉、生の息吹、そういうものを伝えたい。

  • 意識しているのは、観客の皆さんに、まだ知らない世界、覚えのない感覚を少しでも味わってもらいたいということ。

  • 「ひきこもれた」ということは、自分が望めば、そこから「出ることもできる」ことでもあるのです。それに、今は多くの人がひきこもっている時代。そんな同士が出会って、話せたら、お互いひきこもった経験も持っている分だけ、気持ちもわかり合えるのではないでしょうか。

  • よく「仕事をして、お金が手に入ることで、周りから認められる」と思っている方がいますよね。ぼくは、そう思えません。卵と鶏どっちが先か、ではないですが、順番が違う気がするからです。確かに、お金は誰でもあったにこしたことはない。でも、本来、仕事をするのは、お金そのものが目的ではなくて、何かしたいことがあって、それが人に影響し、ついには周りに認められ、お金が集まってくるのだと思うのです。

  • 「仕事っていうのはこういうものだ」と言われる定義以上に、自分の情熱やワクワクが伝わっていけば、結果的に人だってお金だって自然に付いてくる。

  • 僕は、本人がもともと持っている魅力なり、気が付かないものを引き出し、違う魅力がある人たちに化学反応をさせ、今まで見た事が、やったことがない舞台を作る事です。そんな新たな舞台が生まれる瞬間を、共に経験できることは本当にうれしいことです。

  • 僕はずっと負け犬です。今はそう思わないかもしれないけど、元はすっごい負け犬で、もともと引きこもり系だし。今回の千葉さんがやる青年のように、やや暗い男で、今の世間の中で自分は生きる価値がないと自分を否定してきた人間の一人ですから、負け犬系の人間は大好きで共鳴します。

  • まずはあれこれ手を出すより、ひとつのしっかりとした幹をつくることを大切にした方がいい。

  • 前例がないからこそ、自分の場所がある。前例があるってことは、話題にならないってことです。

  • 問うな、踊れ、そして生きろ。

  • 母は長いこと肝硬変を患っていたということもあって、いつ死ぬか分からない状態が続いていました。それでも負けずに、仕事を続け、一日一日を大切に、何事も楽しくやっている母を見てぼくは「かっこいい!生きてるって凄い!」と感じたのです。体が丈夫じゃなくても、人に勇気を与えたり、元気をつけたりすることができるんだと。仕事を、存分に楽しく生きるための道具にしている母を見て、感動したのです。

  • 演出は自分が好きでやっている仕事だから「みんなをまとめなきゃいけない」と思ってやったりはしません。何事においても「この職業だから、こうしなきゃ」って発想は、もうやめたのです。

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宮本亜門について

宮本亜門(みやもと・あもん)は東京都出身の演出家。ダンサーとしてデビューし、ロンドン留学を経てミュージカル「アイ・ガット・マーマン」の演出を手掛け、文化庁芸術祭賞。その活躍はミュージカルにとどまらず、オペラ、演劇、歌舞伎、能などの演出まで手掛けている。さらには企画・構成を手掛けたり台本も書くこともある。1998年には映画「BEAT」で映画監督デビューも果たしている。

1958年1月4日、東京都中央区に生まれる。実家は喫茶店を営んでおり、目の前に新橋演舞場があった。幼い頃から近隣の舞台、映画館に通い詰めたという。幼少時代には日本舞踊を習っていた。田園調布中学校から玉川学園高等部に進学。高校時代、映画「ゴッドスペル」のミュージカルバージョンの上演を演劇部に依頼し、宮本亜門自ら主演を務めた。大学は演劇の道を目指し、玉川大学文学部芸術学科演劇専攻科へと進んだ。大学4年生のとき、宮本亜門はミュージカル「ピピン」のダンサーのオーディションに合格し、ダンサーの道へと進むため大学を退学した。

1978年にダンサーとしてデビューした宮本亜門は、1984年のミュージカル「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」で振付師を担当。ダンサーだけでなく振付師としても活動するようになった。2年間ロンドンに留学した後、宮本亜門は1987年のミュージカル「アイ・ガット・マーマン」で演出家としてデビュー、この作品は文化庁芸術祭賞を受賞するなど高い評価を得た。その後、大地真央主演の「エニシング・ゴーズ」、「サウンド・オブ・ミュージック」を演出し成功へと導いた。1993年にはコーヒーのテレビCMで「宮本亜門は知っている」のキャッチフレーズで違いのわかる男として登場。広く認知されるようになった。宮本亜門は海外にも挑戦し2001年に「アイ・ガット・マーマン」をアメリカで上演。2004年からは東洋人で初めてニューヨーク・ブロードウェイで「太平洋序曲」を演出し、トニー賞4部門でノミネートを果たすなど好評を博す。2010年には映画「BEAT」で映画監督デビュー。2011年に開館した神奈川芸術劇場(KAAT)で開館から4年間にわたって芸術監督を担当、こけら落とし公演として三島由紀夫原作の「金閣寺」を上演した。2010年代に入ると宮本亜門は日本の伝統芸能での演出でも活躍し、歌舞伎、能などの演出も手掛けるようになった。