田原総一朗

ジャーナリスト

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田原総一朗の名言

田原総一朗の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 嫌だからといって会社を辞めたらだめだと思う。こっちをやりたいと、こっちが見つかって辞めるのはいい。「嫌だ」と行って逃避したって、何もないに決まっているじゃない。そうじゃなくて、ここじゃなくて、あっちがいいと。これやりたいということで仕事を変えるのは、僕はとてもいいことだと思う。

  • 僕は世の中から顰蹙を買っている人が好きです。顰蹙を買う人は、世の中に迎合しないから叩かれるのです。叩かれることがわかっているのに迎合しないのは人生を真剣に生きているから。その姿勢に惹かれるのです。

  • 才能に恵まれ最初から脚光を浴びる恵まれた人もいますが、努力と知恵で一つずつクリアしていく人生は、それはそれで輝かしい。むしろ得る宝は多いと思う。もしあなたが人より不器用だとかドン臭いとしたら、落ち込む必要はまったくありません。素晴らしい人生の宝が得られる可能性があるんですから。

  • 誰でも悩みはあります。でも悩むことはいいことだ、と僕は伝えたい。悩むから、それがパワーになるんです。悩まないというのは、同じことをし続けるということでしょう。それではマンネリ化してしまう。悩むから新しいことを思いつくんです。新しいことをやろうとするんです。

  • 相手の本音を聞きたかったら、こっちも本音で話さないとダメ。こっちが真剣だから、向こうも「こいつにウソはつけないな」と考える。

  • ネットで炎上してなにが怖いんですか? 無難に生きようと思うから怖いんですよ。無難に生きてても面白くないし、ちゃんと議論すべきときはしたほうがいい。

  • 今はマスコミにサラリーマン記者が増えていて。彼らは聞くべきことを聞かないんです。勝負していない。勝負しなきゃ、面白くないじゃない。でも聞くべきことを聞かないジャーナリストがいるから、僕みたいなのが通用している。みんなが聞くなら、僕なんか通用しないからね。

  • 好きなことをやるために金を出すのを趣味という。好きなことをやってお金をもらうのをプロという。

  • 躊躇せずに、好きなこと探しを続けるべきです。そもそも人生は一回しかない。あまり我慢はしないほうがいい。

  • 雑談がうまくなりたければ、相手に興味を抱くことです。事前に相手のことを知り尽くすのはなかなか難しいとしても、知りたいという気持ちは持っておかなくてはいけない。すると話題に迷うこともないし、自ずと会話も弾むと思います。それと相手から馬鹿にされるのを恐れないこと。

  • 変化をポジティブに捉えられるかどうかも大きい。今後はAIが大きな波の一つになりますが、「シンギュラリティで雇用が奪われる」と悲観的に捉える人はダメ。「AIでこんなことができるようになる」と変化の明るい面に目を向けられる人が、新しい時代をつくっていくのではないでしょうか。

  • 志を遂げるためには、まず目の前の人を喜ばせることが肝心。

  • 好奇心の赴くままに好きなことをやればいい。そのほうが仕事も絶対に楽しいし、成功する確率も高くなる。いま私たちは、そういう時代を生きているんですよ。

  • 自ら販路を切り開いていく。まさに道なきところに道を作るということ。商売も仕事も人生そのものも、人の通らない道を行くところに醍醐味がある。

  • どんなに優秀な人だって、新しいことに挑戦すれば99%以上失敗する。うまくいかないのが当たり前なのだから、失敗を怖がるだけムダ。

  • 本当の壁は自分自身にあるんだ。できると思えばできるし、できないと思えばできない。

  • 政治権力というのは、常にマスコミを利用しようとするものですよ。一方で、マスコミは常に権力を見張っていなければいけない。僕は、マスコミの役割はそこにあると思っています。そういう意味では、最近の日本のマスコミは萎縮しているね。

  • ジャーナリストとは、「真実」とまでは言いませんけれども、「事実」を見つけるという仕事だと思います。

  • 就職活動で新聞もテレビも全部の試験に落ちてしまい、それでもマスコミで働こうということで中途でテレビ東京に入りました。当時テレ東はね、「テレビ番外地」と言われていたの。製作費は、日本テレビやTBSの10分の1しかない。それで勝負するにはどうすればいいか。日テレやTBS、NHKもやらない番組をやる。何か。危ない番組だよ。怖くったっていいじゃない。その経験が私にはプラスになった。

  • 私が小学校5年生の夏休みに日本が戦争に負けたんですが、小学校では一学期には聖戦、正義の戦争と教えていた。「アジアを解放する戦争」だと。それが夏休みに戦争が終わって二学期になると、間違った戦争、侵略戦争と言われるようになって、どうも世の中の人の言うことが信用できないと思った。そういう気持ちがあって、世の中の常識、それを自分で探っていく、そういう仕事がしたいという気持ちがあった。

  • 若い人にとっては、こんなにいい時代はないと思いますよ。上の世代に閉塞感が漂っているから、若い世代に出番がある。

  • ジャーナリズムは波風を起こす為にある。クレームが来るから面白いんだ。

  • 日本の歴史を振り返ると、哲学を持たないぶん、何が起こってもすばやく対応できたと言える。

  • 良くない司会者はね、分かんないのに分かったフリするのは良くない。だから番組はつまんないですよ。

  • よくジャーナリストは中立じゃなきゃいけないっていうけど、世の中に中立なんてありませんよ。自分の立場はちゃんと明快にしていいんだと、ただし自分の立場と全く違う人とも、ちゃんと話し合いをしようと。

  • 僕が大学卒業後に勤めたのはテレビ東京。大手のテレビ局とは待遇も環境も大差がありました。人手も足りなかった。取材もNHKやTBSみたいにすんなりできない。彼らと同じことをやっていたら勝てない。だから誰もやらない際どい企画を立てた。その経験がいまの自分の基礎を作っていると思う。ハンデがある人はむしろ喜ぶべきでしょう。

  • 世の中は、正解のない問題の方が圧倒的に多い。正解のない問題にどう対処するのか。さらにいうと、自分でどうやって問題を見つけるのか。そこに焦点を当てる教育をして欲しい。

  • ネット時代になって、新聞やテレビなど既存のマスコミが叩かれるようになりました。僕は叩かれても仕方がない面があると思う。最近のマスコミはタブーが多すぎます。これでは読者や視聴者から信頼されなくなるのも当然です。

  • この年齢になると、好きなことをやり尽くしただろうと言われますが、そんなことはない。好奇心だけは人一倍あるので、やりたいことが次から次に出てきます。

  • 商売で成功する秘訣はよくわかりません。ただ、失敗するパターンはある。それは値下げ。価格を下げることでしか勝負できなくなったら、たとえ名経営者でもかなりの確率で失敗する。

田原総一朗について

田原総一朗は滋賀県出身のジャーナリスト。東京12チャンネル(現・テレビ東京)のディレクターからフリーのジャーナリストとなり、討論番組「朝まで生テレビ!」の司会や、日曜朝の情報番組「サンデープロジェクト」のコメンテーターを長年務めた。「日本の官僚1980」、「戦後最大の宰相田中角栄」、「新・日本改造論」、「日本の戦後」など社会問題に鋭く切り込む著書を多数発表している。

1934年(昭和9年)4月15日、滋賀県彦根市に生まれる。彦根東高等学校を卒業して、1953年に早稲田大学第二文学部日本文学科の夜間部に入学。当時の田原総一朗は作家を志しており、働いて学校に通いながら小説を執筆。何度か文学賞に応募したが、入選は叶わず、作家の道を断念した。1956年早稲田大学第一文学部史学科に入学し、1960年に卒業。大学卒業後はマスコミへの就職を目指し主要メディアに応募したが、内定を得ることはできずに岩波映画製作所に入社した。1964年、新規開局するテレビ局「東京12チャンネル(現・テレビ東京)」に入社。ディレクターとなり主にドキュメンタリー番組を担当。1976年、原発利権を描いた小説「原子力戦争」を発表、1978年に映画化された。1977年、田原総一朗は東京12チャンネルを退社しフリージャーナリストの道を歩む。雑誌などで政治やビジネス、科学技術などの記事を書き、著書も多数出版。ジャーナリストとしての知名度を得ていった。1987年に始まった深夜の討論番組「朝まで生テレビ」で田原総一朗は3回目の放送から討論の司会進行を担当。以降、番組は30年以上にわたって月一回放送され、ほとんどの回で田原総一朗が司会を務めている。1989年からは「朝まで生テレビ」の成功を受けて、日曜朝の情報番組「サンデープロジェクト」でコメンテーター、討論の司会を担当。「サンデープロジェクト」は2010年まで続く長寿番組となった。

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