僕は若いころに編集者から「日本は一穴主義だ」といわれたことがあるの。夫婦関係もそうだけど、政治なら政治、歴史なら歴史をずっと専門でやってきた人間が偉いと見なされるというんだね。「だから田原さんも偉くなりたければ、専門を絞ったほうがいいですよ」とその人からはいわれたけど、僕はそんなのはつまんないと思った。だからいつも、そのとき一番興味があることをテーマとして選んで仕事に取り組んできた。世の中では、僕のことを政治評論家だと思っている人も多いみたいだけど、あんなのはたくさんやっている仕事のうちのひとつだからね。でも一穴主義に縛られなかったからこそ、「田原はおもしろい。人と違うことをいう」ってことで評価されてきたんだと思う。
田原総一朗 ジャーナリスト
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今日の試合は序章、第2章と、まったく違う展開のサッカーの本を書いてしまったようだ。ただしその本は、行間を読まなければならない本である。
イビチャ・オシム サッカー監督
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新しい市場には必ず新規参入者が出てくる。 発明したと思っていても、世界では同じことを考えている人が3人はいる。
安藤百福 日清食品創業者
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女を恋しながら何かをすることは難しい。だが、ここに恋が妨げにならない唯一の方法がある。それは、恋する女と結婚することである。
トルストイ 小説家
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人間としての自覚がある者にとって、情熱を持たずにに成し遂げられるもの全ては無価値である。
マックス・ウェーバー 社会学者
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諸人の頭などをするいまどきの者で、軍略を立てて床几に腰をかけ、采配を持つ手さえ汚さずに、口先だけで戦に勝てるものと心得ているのは、とんだ考え違いだ
徳川家康 江戸幕府初代将軍
田原総一朗の他の名言
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僕が会った優れた経営者は、人の話をよく聞くタイプが多かった。
田原総一朗
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多勢に無勢だと感じるなら、こちらも仲間を募ればいい。同じ志を持った仲間と声を上げれば無視できなくなる。
田原総一朗
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IT時代に本格的に突入しているにもかかわらず、日本の企業のトップの情報の取り方が、旧態依然としている。日本の上場企業のトップって、フェイスブックもツイッターもやってないでしょう?それでは情報が社内からしか上がってこないわけ。社内情報なんて、トップが喜びそうな情報ばかりだよね。
田原総一朗
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僕は組織と個人の関係が、昔とはまったく違ってきたんだと思う。昔は組織が大きくて、個人は小さかった。だから個人は組織に頼って生きていくしかなかった。でもいまは、組織の規模は関係なくなった。僕はツイッターをやっているけど、フォロワーが40万人いる。40万というのは、週刊誌の発行部数並みです。個人が組織に頼らなくても、それだけの発信力をもてるようになったということ。
田原総一朗
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僕は小学3年生のときに算数が嫌いになりました。算数の時間に、「円を三等分しろ」という問題を出されたの。みんな普通に三等分してたけど、僕は「違う」と手をあげて、円をやたらに小さく分けました。すると先生から「むちゃくちゃ。こんなのは愚劣だ」と怒られてしまった。でも、この話を広中平祐にしたら、「それは微分のやり方だよ」と言われました。つまり、先生が答えはひとつしかないと思い込んでいて、そうではない答えは認められないんです。
田原総一朗
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嫌いなものをやっていたら、それこそ体を壊してしまう。
田原総一朗
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数年前に日本で流行った「ハーバード白熱教室」では、サンデル教授は正解のない問題を学生たちに投げかけて議論をさせました。一方、日本の教育にはディスカッションがない。本当はディスカッションの中から創造力がつくられるのに、日本では答えはひとつだと教えるから、むしろ議論はしちゃいけなくなっている。
田原総一朗
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執筆のため事件に関するたくさんの一次情報を集めるにあたっては、自分なりの仮説を立てます。しかし、取材を進めるにつれて、その仮説が崩れていくのが面白い。たくさんの当事者に実際に話を聞くことで、仮説が崩れていきます。もし崩れなかったら、少しも面白くありません。一人の当事者の話は氷山の一角。水面下にある部分まで探り出すにはたくさんの当事者と会う必要があり、そのことによって仮説がどんどん崩れていくのです。それが取材というもの。情報収集というものだと思います。
田原総一朗
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1989年、平成元年には、時価総額で、世界のトップ50社の中に、日本企業は32社入っていた。最近トップ50社に入るのはトヨタ自動車1社だけ。平成元年には、トップ20社の中で15社が日本企業だったのに今はゼロ。何でこうなったのか、メディアはどこもやらないね。
田原総一朗