アンネ・フランク

アンネの日記の著者

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アンネ・フランクの名言

アンネ・フランクの過去の名言をまとめた名言集です。

  • たった一本のロウソクがどんなに暗闇を照らし、その意味を定義することができるのかを見てください。

  • 怠慢は魅力的に見えるけど、満足感を与えてくれるのは働くこと。

  • 太陽の光と雲ひとつない青空があって、それを眺めていられるかぎり、どうして悲しくなれるというの?

  • 薬を10錠飲むよりも、心から笑った方がずっと効果があるはず。

  • 「全ての素晴らしいものはまだ存在していて、私たちは幸せになれる」そう考えましょう。

  • 人間としての偉大さは富や権力ではなく、人格や美徳によってもたらされます。人間は人間であって、誰もが欠点や短所を持っています。それでも全ての人が基本的な善良さを持って生まれてくるのです。

  • 亡くなった人たちは生きている人たちよりも多くの花を受け取ります。それは後悔が感謝よりも強い感情だからです。

  • 誰もが幸福になりたいという目的をもって生きています。生き方はそれぞれ違っても、目的はみんな同じなんです。

  • それほどひどいブスでもありませんし、まるきりばかでもありません。朗らかな気質をそなえていますし、りっぱな人格をそなえたいと願ってもいます。

  • 彼はわたしのことを「ぼくの黄金郷」と呼んでキスしたがりました。人間をそんなふうに呼ぶなんて、ばかみたい!でもやっぱり、かわいいところもあります。

  • もしかすると、わたしだけを特別な目で見てくれたと思ったのは、こちらの思い過ごしだったのかもしれない。ああペーター、どうかあなたにわたしのこの姿が見えますように。心の声が聞こえますように。

  • パパの散髪はわたしの役目です。お前はとても上手だから、戦争が終わっても、ほかの床屋にはもう行かない、と言い張っています。そうちょくちょく耳を切りさえしなければ、もっといいんですけど。

  • 親愛なるキティーヘ。これはエイプリルフールじゃありません。その反対です。「不幸は重なるものだ」ということわざ、これが今日ほど身にしみたことはありません。

  • 私は、死んだ後でも、生き続けたい。

  • 母親が子供たちにいっさいを話してやらないかぎり、子供は少しずついろんな知識を聞きかじり、そしてそれはまちがった知識にちがいないのです。

  • なんと素晴らしいことでしょう!世界をよくすることを始めるのに誰も一瞬ですら待つ必要なんてないんです。

  • 与えることで貧しくなった人はいまだかつて一人もいません。

  • 本当に他人の人柄がわかるのは、その人と大喧嘩したときだということです。そのときこそ、そしてそのときはじめて、その人の真の人柄が判断できるんです。

  • 長い目で見ると、最も鋭利な武器は親切で優しい心なんです。

  • あなたが守るべき黄金律は「全てを笑い飛ばし、他人のことで悩まない」ということです。

  • 親愛なるキティーへ。やっとほんとうに希望が湧いてきました。ついにすべてが好調に転じたという感じ。ええ、そう、ほんとに好調なんです!すばらしいニュース!ヒトラー暗殺が計画されました。

  • 時として感傷的にならずにはいられないこともあるんです。たとえば、ペーターとふたり、ごみやおがくずの山にかこまれて、かたい木の梱包ケースに腰をおろし、おたがい肩に腕をまわして、ぴったり寄り添いながら、彼がもう片方の手でわたしの巻き毛をもてあそぶようなとき。

  • ペーターって、ひどい劣等感の持ち主なんです。たとえば、自分はとても頭が悪く、ほかのみんなはとても頭がいい、なんていつも思ってますし、フランス語を教えてあげると、それこそ何百ぺんでもくどくどお礼を言います。

  • 本当にこんなにもたやすく感情に溺れてしまっていいのでしょうか。こんなにも夢中になって、まるでペーターと競い合うようにいちずにのぼせあがってしまって、これでかまわないのでしょうか。

  • 今日はこのぐらいにしておきます。ペーターのことで頭がいっぱいで、彼をながめる以外に、なにも手につきません。じゃあまた、アンネ・M・フランクより。

  • ところでわたしは、「やかましすぎる」とか言われて、日中やたらに「しーっ、しーっ」と制止されていますが、それだけじゃまだ足りないみたいに、わたしと寝室を共有している紳士は、最近では夜になってまで、「しーっ、しーっ」を連発します。

  • 親愛なるキティーへ。「ショックにつぐショック。はたしてこれが種切れになることがあるんだろうか」正直な話、こんな疑問を自分たち自身につきつけたくなります。まああててごらんなさい、いちばん新しいショックがどんなものだったか。

  • 特別なことと言えば、マルゴーと私が二人揃って両親が鼻につき始めてることぐらいです。誤解しないでほしいんですけど、私は今でも以前と変わらずお父さんを愛してますし、マルゴーは両親どちらも愛しています。でも私たちぐらいの年になると、誰でもちょっとは物事を自分で決めたくなります。マルゴーも悟ったようです。両親より同性の友達の方が、自分自身について気楽に話せるってことが。

  • ペーターがおばさんのすごく細みのドレスを着て、帽子をかぶり、私が彼の服を着て、男の子の帽子を被ったら、大人たちはみんなお腹を抱えて笑い転げ、おかげで私たちまですっかり楽しくなりました。

  • ボーイフレンドもぞろぞろいます。みんななんとかしてわたしの目をひこうとして、それがうまくいかないと教室の鏡でこっそりこちらを見ているくらいです。

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アンネ・フランクについて

アンネ・フランクは「アンネの日記」の著者として知られるユダヤ人。第二次大戦中、ナチスドイツ占領下のオランダ・アムステルダムでナチスのユダヤ人狩りから逃れるため隠れて暮らした。強制収容所に連行されるまでの約二年間、身を潜めて暮らす生活の中で日記を書いた。アンネ・フランクは15歳で強制収容所にて死亡するが、戦後にアンネの父が中心となって日記の出版。約70ヶ国語に翻訳され、全世界で3000万部以上を売り上げる大ベストセラーとなった。「アンネの日記」は2009年にユネスコの「世界記録遺産」にも登録されている。

1929年6月12日、ドイツのフランクフルト・アム・マインに生まれる。1933年、ナチスドイツが総選挙に勝利し、ユダヤ人迫害が始まると一家でオランダ・アムステルダムのユダヤ人街に移住。しかし、1940年にオランダがドイツに占領され、オランダでもユダヤ人狩りが始まる。1942年から父オットー・フランクを中心とする一家は民家の屋根裏部屋で隠れて暮らすこととなった。同年6月、アンネ・フランクは父・オットーから誕生日プレゼントとしてサイン帳を送られ、これに日記をしたためた。日記は架空の人物であるキティーへの手紙という形式になっており、1944年8月に連行されるまで約二年間が記録されている。

その後、アンネ・フランクは強制収容所に送られ、1945年3月に15歳で病死する。1945年9月に第二次世界大戦は終結し、父・オットーはアンネ・フランクの残した日記を出版することを計画。日記は1947年に出版され、全世界で3000万部以上を売り上げるベストセラーとなった。2009年に「アンネの日記」は、世界中で読まれた書籍トップ10のうちの1冊として、ユネスコの「世界記憶遺産」に登録された。