水木しげる

漫画家

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水木しげるの名言

水木しげるの過去の名言をまとめた名言集です。

  • 不幸な顔をした人たちは、「成功しなかったら、人生はおしまい」と決め込んでいるのかもしれないね。成功しなくてもいいんです。全身全霊で打込めることを探しなさい。

  • 好きなことだけをやりなさい。好きなことは一生懸命やりなさい。

  • 戦争で片腕を失っても絶望なんてしなかった。だって生きてるんだから。

  • 悲壮な顔をした人たちは、成功や栄誉や勝ち負けにこだわってばかりで、仕事でも趣味でも恋愛でも、熱中することを忘れてしまったんじゃないですか!好きなことに没頭する、そのこと自体が幸せなはずなのに……。もちろん、成功することに越したことはないが、成功できるかどうかは時の運です。

  • 意に満たない仕事をしたりとか、嫌いなことをしてブーブー言う人がいると、わたしゃ、なんか腹が立つね。なんで自分が好きなことに邁進しないんだって、そう思うわけですよ。不利な状況だったとしても、周りに反対されても、自分の好きな道を歩むんです。

  • 他人の思惑などに振り回されず、自分のやりたいように生きる。外の世界にいちいち対応せず、自分の世界の流儀でやればいい。

  • 苦手なことでお金を儲けることはできない。好きじゃない仕事に追われたら、貧乏神に取りつかれる。

  • 他人と比べるから不平不満を感じるわけですよ。本人が納得して満足すれば、それが幸せってことになるんじゃないですか

  • しないではいられないことを、し続けなさい。

  • 運なんてものはない。あるのは突撃力だけ。弱い人は逃げ出すけれど、人間はこうなると思えばなる。突撃力さえあれば、何でも成し遂げられる。

  • 栄光や評価など求めず、大好きなことに熱中する。それ自体が喜びであり、幸せなんです。私の場合、それは漫画を描くことだった。その行為が金銭的に報われるほうがいいに決まっているが、結果の良し悪しには運が付きまとう。

  • 熱中する能力、いわば「好き」の力ほど、人生を生きていくうえで大事なものはないような気がする。

  • 格差社会がどうのこうのと言いますが、たいして努力もしないで幸せになろうなんて考え方をしているのなら間違っているんじゃないですか。相当に努力をしないとなかなか金を獲得できないし、幸せにもなれないわけだけど、いきなり幸せになりたいと叫ぶのが、いまどきの若い人の考え方と違いますか?

  • 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。

  • 好きなことをやるのは当たり前。だって、その方が頑張れるもの。でも、それだけじゃダメ。頭を使って、知恵を振り絞らないと。成功するんだという強い意志を持って努力しないと。

  • 苦しむことから逃げちゃイカン。人生はずっと苦しいんです。苦しさを知っておくと、苦しみ慣れする。これは強いですよ。

  • ベビイのころは誰もが好きなことに没頭して生きていたはずだ。人間は好きなこと、すなわち「しないではいられないこと」をするために生まれてきたんです。初心にかえって、仕事に改めて喜びを見出すのもいいし、ずっとやりたかったのに我慢していた趣味をやってみるのもいい。

  • 筋を考えるのが漫画家の生命線です。私ははっきり言ってその努力は惜しみませんでした。いまでも続けている。なにしろ、漫画が好きだからね。私が売れなかった時代でも、原稿料の半分は、漫画の筋を考えるのに役立ちそうな本とか、妖怪の作画のための資料とかを買い込むのに使っていました。食べ物を買う金も満足に残らなかったが、それだけ「好き」の力が強かったのです。

  • 私は得な性分で、つらかったことは忘れ、楽しかったことだけを覚えている。

  • 私は片腕がなくても他人の3倍は仕事をしてきた。もし両腕があったら、他人の6倍は働けただろう。命を失うより片腕をなくしても生きている方が価値がある。

  • 絵を描くことが好きだったし、漫画の筋を考えるために、食い物を削ってでも惜しみなく資料を買ってましたよ。でも、不満はなかったね。だって、大好きなことをやれるだけで幸せだったから。本当にメシを食えなかったら困るけど、成功は二の次だったのです。

  • 今の世の中では、大人たちは、せかせかと給料をもらうために働いています。子供だって、小さい頃から競争にさらされて、油断がならないわけです。それで成功する人もいるわけですが、そういう暮らしを見ていて、あまり幸せだとは思わないですね

  • 成功というやつも、それを手にしてないまでは、いろいろと空想をたのしませてくれるものだが、手にしてみるとそれほどじゃない。

  • 苦しむことから逃げちゃイカン。若いときにラクしようとしたらイカン。ちょっとでも苦しい方向に行かないと。

  • 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。

  • 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。

  • 自分の好きなことをやる。そのために人は生まれてきたのだ。

  • 本気で人を幸せにしようと思ったら、自分が傷つくことくらい覚悟しなくちゃいかんのだ。

  • ラクはいつでもできます。でも、ラクばかりしてると、もっと苦しいことが待っていたりする。

  • 好きなことに情熱を注いで、人生を生き切ること。

水木しげるについて

水木しげる(ミズキ・シゲル)は大阪府生まれ、鳥取県出身の漫画家。本名・武良茂。「ゲゲゲの鬼太郎」、「悪魔くん」、「河童の三平」などの作者として知られる。特に人気が高いのはゲゲゲの鬼太郎で、「週刊少年マガジン」、「週刊少年サンデー」をはじめとする多数の雑誌に掲載され、フジテレビ系列で30年以上に渡ってテレビアニメとして放映された。また、2010年には水木しげるの妻を描いたNHK連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」が放送されて話題となった。

1922年(大正11年)3月8日、大阪府で生まれる。幼い頃に鳥取県境港市に一家で移り住み、鳥取県で育つ。高等小学校卒業後は働きながら絵を学ぶ。20歳のときに太平洋戦争に招集され、激戦地のラバウル(現在のパプアニューギニア)で戦い、爆撃で左腕を失う。戦争から帰還後は武蔵野美術学校(現在の武蔵野美術大学)で学ぶものの、経済的に苦しく中退。その後は紙芝居作家となり、この頃「水木しげる」というペンネームを使い始めた。その後漫画家に転身し、1958年(昭和33年)に貸本漫画「ロケットマン」で漫画家としてデビュー。1960年(昭和34年)、「ゲゲゲの鬼太郎」の元となった貸本漫画「墓場鬼太郎」を発表。翌1961年(昭和36年)に「河童の三平」、1963年(昭和38年)に「悪魔くん」を発表。

その後水木しげるは活躍の場を貸本から漫画雑誌へと移し、1965年(昭和40年)に漫画「テレビくん」が「別冊少年マガジン」に掲載され、講談社児童漫画賞を受賞。同年、「週刊少年マガジン」で「墓場の鬼太郎」の連載が開始されるなど、人気漫画家となっていった。1966年(昭和41年)には事務所「水木プロダクション」を設立、「悪魔くん」がテレビドラマ化される。そして1967年(昭和42年)、「墓場の鬼太郎」が「ゲゲゲの鬼太郎」と改名され、テレビアニメとなる。「ゲゲゲの鬼太郎」は新たなヒーローとして子供たちの人気を呼び、妖怪ブームを巻き起こした。1993年(平成5年)境港市に商店街「水木しげるロード」がオープン。1993年(平成5年)水木しげるは荒俣宏、京極夏彦、多田克己らとともに「世界妖怪協会」を設立。2010年(平成22年)、妻・布枝さんの自伝「ゲゲゲの女房」を基にしたNHK連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」が放送された。2015年(平成27年)、多臓器不全により死去。享年93歳。

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