オノ・ヨーコ

前衛芸術家、平和活動家

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オノ・ヨーコの名言

オノ・ヨーコの過去の名言をまとめた名言集です。

  • 私が女性たちに伝えたいのは、自分を信じれば、世の中を変えられるということ。

  • 人生を諦めてはいけません。自分の人生のために時間を使えば、とても美しいものにできます。

  • 一人で見る夢は夢でしかない。しかし、誰かと見る夢は現実だ。

  • 未来に微笑みかけなさい。そうしたら未来が微笑み返してくれるから。

  • 60年代、私たちは世界がひとつの国際的な村になると思い描いていました。いまやそれが現実のものとなってきているということが言えるでしょうね。でも、その情景を思い描いていた私たちは、それが現実の世界となることを信じて、ずっと生きてきたのです。

  • この世界は「美」に充ち満ちています。それを毎日、息をするのと一緒に吸っていられる私たちはとってもラッキーな動物だと思います。

  • 人のためにしていることが、実はとても自分のためになっているということがあるのよ。

  • 「大人がやりたいことで食べていけるほど世の中は甘くない」と言って、一つの職業に固執し融通が利かなくなるのは、ただ臆病なだけではないでしょうか。

  • あなたの作品を人々に複製させたり撮影させたりしなさい。オリジナルを破壊しなさい。

  • 両親は私が意見を持ってることを尊重してくれた。他人の考えは他人のもので、私の考えは私のもの。だから耳を傾ける必要なんてないの。それに、今までそれでうまくいってきたわ。

  • クリエイティブであるということは、あなたの回りにあるものを使って、最高の表現をすることです。それ以上のものではありません。

  • あなたは未完成の芸術作品なのよ。

  • 本当の基準は自分が美しいと思った全ては美しいということ。

  • 初めて見る人も、潜在意識の中で、大切な何かをすでに知っているんですよ。アートは、それを目覚めさせる。

  • 悲しみや怒りはあなたを創造的にします。そして創造的になれば、苦しみや疑念を克服できるんです。

  • 私に耐えてくれたのはジョン・レノンだけなの。男性が女性の考えていることを理解するのって難しいことでしょ。大概の男の人は、聞く耳さえ持たないんだから。

  • 私のアートは、嵐の中を歩いた足跡みたいなもの、その時、そういう歩き方をしなくてはならなかったから。

  • 世界中の人が何とも思わなくても、自分は愛している。

  • 言いたいことを言えなかった、その度に私達は死んでゆく。

  • 良くも悪くも運命というものは自分が創るものだと思います。

  • 心の声に従って。そうすれば何をしたらいいのか分かるから。

  • 偏見なんか無視して、自分が好きなことをやったほうがいい。

  • 否定的な気持ちを通り抜けるために、いつも過去や今の何か肯定的なことを見つける。

  • 今やっていることのポジティブなことに集中すること。

  • 私は根っこが無い。だから自由。

  • 自分の小さな世界だけでなく、大きな世界に興味を持つことから始めてください。

  • みんな私のことを楽観的過ぎるという。でも私には悲観的になるような贅沢はできないというだけ。

  • 誰もが芸術家であり、誰もが神なんです。みんな抑制されてしまっているだけ。

  • 18歳で老けた人もいれば、90歳で若い人もいる。年齢は人間がいつ生まれたかという概念でしかない。

  • 私はまだ成功してない。世界は平和になってないでしょ。

オノ・ヨーコについて

オノ・ヨーコは東京都生まれの前衛芸術家、平和活動家。20歳でアメリカに渡り、芸術を学んで前衛芸術家となった。結婚・離婚を経てロックバンド・ビートルズのジョン・レノンと出会い結婚。ジョンレノンとともに音楽活動や平和運動を行った。ジョン・レノンの死去後も芸術活動や平和運動を続け、ニューヨーク日本協会の特別功労賞、ベネチア・ビエンナーレ生涯業績部門の金獅子賞、現代美術の分野で平和に貢献した作家に贈られるヒロシマ賞などを受賞している。

1933年(昭和8年)2月18日、東京都に生まれる。父は銀行員だった。父の転勤により2度アメリカに転居したのち、学習院女子中・高等科に入学。大学は学習院大学哲学科に入学。20歳のときに父が再びアメリカ勤務になったのを機にアメリカに移り住み、サラ・ローレンス大学で芸術を学んだ。大学在学中に作曲家の一柳慧と出会い、結婚。大学を中退して前衛芸術活動を始めた。その後オノ・ヨーコは映像作家アンソニー・コックス出会い、1963年に一柳慧と離婚して結婚。一女をもうけた。しかし1966年に個展でジョン・レノンと出会い恋愛関係に発展。アンソニー・コックスとは1969年に離婚。オノ・ヨーコは娘の親権を放棄し娘は夫に引き取られた。

オノ・ヨーコとジョン・レノンは1969年に結婚。ともにベトナム反戦運動や北アイルランド紛争に抗議するデモを行うなど平和活動に傾倒。1973年には女性解放を主張する曲「女性上位万歳!」を日本で発売。1980年、オノ・ヨーコとジョン・レノンは共作アルバム「ダブル・ファンタジー」を発表。しかしその一ヶ月後にジョン・レノンが自宅前で射殺されてしまう。ジョン・レノン死去後もオノ・ヨーコは音楽、美術、緑化運動、平和活動など多方面にわたる活動を続けた。2005年にニューヨーク日本協会の特別功労賞、2009年にベネチア・ビエンナーレ生涯業績部門の金獅子賞、2010年にヒロシマ賞を受賞している。

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