藤子・F・不二雄

漫画家

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藤子・F・不二雄の名言

藤子・F・不二雄の過去の名言をまとめた名言集です。

  • おもしろいまんがをかくコツは、まず作者自身にとっておもしろい作品をかくことです。

  • できるかぎり多くの作品を、それがモノになってもならなくても、どんどんかきていくこと。これは、決してムダになりませんし、むしろ貯金しているのだと考えるぐらいのゆとりがほしいものです。

  • 描くぼくが楽しみ、読んでくれる人も楽しむ、そんな漫画がずっとぼくの理想なんだ。

  • 君はこの先何度もつまづく。でも立ち直る強さも持っているんだよ。

  • まんがに限らず何か創作する人というのは、自分の中に何かを表現したい、自分以外の人に向かって訴えたいものを自分の中に持っているかどうかが一番大切なことだと思うんです。

  • 遊びをとおして学ぶことが、むしろ、ほんとうに身になる勉強法ではないかと思います。

  • 結局、僕等は僕等自身を自作に登場させているのです。遠い少年の日の記憶を呼び起こし、体験した事、考えた事、喜び悲しみ悩みなど…。それを核とし、肉づけし、外見だけを現代風に装わせて登場人物にしています。

  • 物を作るというのは、その人の個性を100パーセント発揮させないとうまくいかないんです。いろんな意見を出し合って、足して2で割る。3で割るというようなやり方ではだめなんですよね。

  • 心血注いでも駄作は駄作。鼻歌混じりで描いても傑作は傑作。

  • たとえ上手に構成できなくても、まず1作書いてみましょう。1本の作品を完成させていくうちでも勉強できますし、なによりも、自分のどこが力不足かがわかってきます。チャレンジ精神こそ、より効果的な勉強法なのです。

  • 自信と劣等感とは、矛盾したパワー、エネルギーです。しかし、この両方を、一人の心の中にバランスよく持ち続けていくということは、まんがのみならず、作品をかく人間にとって、とても大切なことだと思うのです。

  • 人気の高いまんががあれば、それを読んでみましょう。わかってもわからなくても、それが現在、自分にとってつまらないからといって否定するのではなくて、どういう所に人気があるのかと、その秘密を考えてみることが大切です。そのまんがが読者の支持をえているということを素直に認めながら、自分の内部を充実させていくことが、人気まんがをかくいちばんの秘訣なのです。

  • 人間の頭脳というのは、学習能力を持ったコンピューターのようなもので、かけばかくほど、それがひとつの方程式になって、頭の中にインプットされていきます。そのうちに、そこへ材料をほうりこめば、アイディアが簡単に出てくるようになります。

  • なにごともあきらめずに、ねばり強くやっていくことが必要です。わかってもらえないとなげくより、わかってもらうための努力をしなければなりません。そして、その答えはみごとに作品に反映していくのです。

  • 「まんがをかく」という作業は、情報やアイディアをいろいろと取り入れ、そしてはき出すということのくりかえしといってよいでしょう。つまり、この世の中に、純粋の創作というものはありえないのです。けっきょく、まんがをかくということは、一言でいえば「再生産」ということになります。かつてあった文化遺産の再生を、まんがという形でおこなっているのが「まんが家」なのです。どんどん取り込んで、どんどんはき出していくという、視野を広く持ち、柔軟な考え方をしなければなりません。

  • のび太は本当に「だめ人間」だけれど人にはない立派なところがひとつある。それは時々反省をすること。

  • 読者というのは王さまで、その一人ひとりは、好みも違えば、感性も違います。もちろん、その理解度も違うわけです。この種じゅ雑多な王さまたちの集団を、一人でも多くおもしろがらせるパワーがないと、プロにはなれません。

  • 「人気まんが」というのは、読者の求めるものと、まんが家が表そうとしているものとが、幸運にも一致したものなのです。いいかえれば、まんが家の体質というか、からだ全体からにじみ出た結果としての作品が、読者の求めるものにあった時こそ、それが「人気まんが」となるわけです。

  • まんがをかく時だけでなく、ものを作る時には「省略」ということが、なによりも大切です。コマのテンポが悪ければ、読者はすぐにも読みあきてしまうものです。

  • 人気漫画を、どうやって描いたらいいか。そんなことが一言で言えたら苦労はしない。

  • 本当に普通の人であったのでは、漫画なんてものは描けません。プラスアルファ――なにか自分だけの世界を、ひとつは持っているべきである。それは、必ずしもまんがに直結したものでなくてもいいのです。釣りが上手であるとか、模型作りに熱中するとか、SF小説を読みあさるとか。そういったことが、その人の奥行きになって、至極ありふれたものにプラスして、何か個性みたいなものが生まれてくるんじゃないか、と思うのです。

  • 子供のころ、ぼくは「のび太」でした。並はずれて不器用で遅筆なぼくにとってはよくこれだけ書き続けられたというか、書き続けさせて貰えたというか、これはやはり大変なことなのです。

  • 四コマまんがは、たった四コマで話をまとめなくてはなりません。ムダをはぶくという「まんが」の精神にピッタリのものなのです。ムダゴマは使えません。一コマ一コマにちゃんとした役割があるのです。

  • 子どもの夢と願望はすべての人間の基本。

  • 自分の中に面白さの素のようなものが溜まってきます。それをどう効果的に読者に伝えるかというテクニックは、また平凡ないい方になりますが、これはもう、ひたすら描くしかないのです。描いて描いて、とにかく描いてお覚える。

  • 「まんが」というものを分解してみると、結局は小さな断片の寄せ集めなのです。

  • プロのまんが家になるということは、何万、何十万という単位の読者を相手にしなければなりません。まんが家は、自分の頭の中で作りあげたフィクションの世界を、紙面にうつしかえて読者に伝え、その共感をえたいと思って一生懸命にまんがをかきます。読者を喜ばせたい、楽しませたい、感動させたい、という気持ちがあるからこそ、プロのまんが家になるわけです。

  • ペン先ひとつで絵柄も変わってくる。なん本も線を引いて、自分の絵柄に合ったものを選ぶこと。

  • 人気がある漫画をということは、大勢の読者が喜んで読んでくれたということです。つまり、その漫画の描き手と読者との間に、共感を持つ部分がたくさんあったということなのです。

  • のび太は、私自身なんです。具体的に言えば、スポーツが苦手とか、意志が弱くて、勉強しなければいけないのに遊んでばかりいて、夏休みも終わりになると泣き出すとか。そういうところは、僕の体験そのものですね。

藤子・F・不二雄について

藤子・F・不二雄(フジコ・エフ・フジオ)はに富山県出身の漫画家。本名・藤本弘。代表作に「ドラえもん」、「オバケのQ太郎」、「キテレツ大百科」、「パーマン」など。デビュー当初は、中学校時代から漫画を共作していた安孫子素雄と「藤子不二雄」として活動。1987年から藤本は藤子・F・不二雄、安孫子は藤子不二雄 (A) として別々に活動を始めた。1994年日本漫画家協会賞文部大臣賞を受賞。

1933年(昭和8年)12月1日、富山県高岡市に生まれる。小学校5年生でにのちに「藤子不二雄 (A) 」となる安孫子素雄と出会い、中学生になって共同で漫画を描き始める。高岡工芸高校在学中、毎日小学生新聞に安孫子素雄とともに「天使の玉ちゃん」を投稿し、採用される。高校卒業後は製菓会社に就職するが数日で退社、自宅でマンガ制作に打ち込む日々を送る。1954年(昭和29年)、安孫子素雄とともに上京し、共同で「藤子不二雄」として活動。1964年(昭和39年)から「少年サンデー」で「オバケのQ太郎」が連載され人気を呼ぶ。1969年(昭和44年)から小学館の学年誌(「よいこ」、「幼稚園」、「小学一年生」、「小学二年生」、「小学三年生」、「小学四年生」)でドラえもんの連載が開始、ドラえもんは1973年(昭和48年)から日本テレビ系列でテレビ半年間テレビアニメ化され、さらに1979年(昭和54年)からテレビ朝日系列で再びテレビアニメとして放映されて人気に火がついて40年以上に渡って放送され、映画も40本以上制作されている。

オバケのQ太郎の頃から、藤本と我孫子は別々に漫画を制作するようになっており、藤本は「ドラえもん」、「パーマン」、「キテレツ大百科」などを、我孫子は「忍者ハットリくん」、「怪物くん」などを制作していた。1987年(昭和62年)、コンビとしての藤子不二雄を解消し、藤本は「藤子・F・不二雄」、我孫子は「藤子不二雄 (A) 」として別々に活動を始めた。1996年、藤子・F・不二雄は自宅で漫画の執筆中に倒れ、三日後に肝不全のため死去した。享年62歳。

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