糸井重里

コピーライター、株式会社ほぼ日創業者

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糸井重里の名言

糸井重里の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 今日も、きみの仕事が、世界を1ミリうれしくしたか?

    出典:  株式会社ほぼ日のオフィスに掲げたキャッチフレーズ

  • 僕は希望のある人間観が好きなんです。人って案外悪いモンじゃないよ、とか、社会っていいモンだな、とか、人生は楽しいはずだ、という哲学を持っていると、辛いところで救われるんです

  • 最良って何だろうと考えたとき、その道には失敗があるかもしれません。それでも進まなければならない。

  • みんなの気持ちの中で、はたらくというのは、メシの種を稼ぐとか、安定を求めるとか、そういうところで捉えられていた時期がけっこう長かったわけですよね。我慢料としてお金をもらう、みたいな。僕はそれがなんだか嫌だったので、むしろ、働かないとつまんないよと。

  • 向きだの不向きだの、考えてる場合じゃない。はじめるこった。恥をかいたり、無視されたりするためにも、まずは、はじめるこった。

  • 新しいなにかが生まれるのは、場所なんかもらえなかった者たちが、苦しまぎれに、「これしかない」とやったことからだ。道具がなければ、じぶんでつくる。人手が足りなければ、寝ないでもがんばる。そういう古臭い冒険心みたいなものが、肝心なのだ。

  • 僕はただ、「こうしたら人が喜ぶんじゃないか」「こうしたら自分が気持ちいいんじゃないか」と思うことを中心にやってきたんです。

  • 結果を自分の前にぶらさげて、そこを目指すと苦しいんですよ。そうではなくて、ちょっといい方に向かっている、ということが意識できたらいいと思うんです。

  • 選ぶのはいつも自分です。歴史が答えを出してくれるわけで、どちらがいいかは誰にもわからない。

  • 「誰々に会う」「どこどこへ行く」というスケジュールは他人のものです。「スケジュール表が真っ黒」って言い方がありますが、他人のもので埋め尽くされてしまっているので、それを続けているとおかしくなってしまう。

  • いわゆる仕事のできる子たちが集まった集団がそつなく手がけた仕事と、才能や実力が真ん中より少し下の子たちが一生懸命にやった仕事は、案外、差がないと思っています。弱点があっても、一生懸命に頑張ることが重要なんです。

  • 過剰に何かが欠けているのも才能のうち。

  • 「おかしくなっちゃった」と他人に思われるくらいのことでないと、新しいことなんかできやしないのだ。

  • 自分にとって、本当に大事なことってなんだろう。自分にとって、本当に大切な人って誰だろう。このふたつを、本気で思っているだけで、いい人生が送れるような気がする。

  • 人が喜ぶことをテーマに働くことはお金になる仕事ではないかもしれないけど、やりがいを持って働き続けるために必要な仕事なのではないかな。それを選び取れない仕組みの世の中が何か間違っているのではないか。

  • 「専門家に聞かない」というのは、イノベーションへの道の1つじゃないかな。経験豊かな専門家の不在は、スピードは遅くなる分、想像力を使うので、面白さは増すはずです。

  • 僕らはどんな仕事も、心配よりもやりたいという動機を大事に動いてきた。

  • 人って案外悪いモンじゃないよ、とか、社会っていいモンだな、とか、人生は楽しいはずだ、という哲学を持っていると、辛いところで救われるんです。そうでないと、ホントに、乗り切れない。ポジティブな人間観って、大事だと思う。

  • 一本の絵筆だけでも、いい絵は描ける。一色だけでも、いい絵は描ける。指についた泥でも、いい絵は描けるものだ。

  • 「多忙は怠惰の隠れ蓑である」と、何回でもじぶんに言おう。

  • 自分だけのために、自分が決めたことだけをやるのは、なかなか困難なことなのだけれど、誰かのためにもなることは、あんがいやれるものだ。

  • 誰だって飽きるのである、と。しかし、飽きてないふりをすることで続けられるのだ。飽きるからやめてしまうのは、アマチュアで、飽きても飽きてないふりをしているうちに続くのがプロ。

  • 最初から、これは向いてるなんてこと、なかなかないんですよね。やってるうちに、だんだんとね、「うまくできる」ことにおもしろさを感じてきて、もっと「うまくできる」んじゃないかと、苦労とか努力を、苦労や努力と思わなくなって、知らず知らずのうちに他人よりよく練習してたりして、「うまくできる」の質が高くなっていく。そんな感じで、技術だとか、構想だとか、方法だとか、表現だとかが磨かれていくのだと思うのです。

  • 「何も知らないよそ者がうっかり進めちゃった」ということが、何かを変えるエネルギーになったのではないか。

  • 僕は実は昔より今のほうが働いています。それは楽しくて仕方がないから。働くことは大変だとか、仕事をナメちやいけないとか、生きていくためにお金を稼がなきゃいけないとか言う人が僕の周りにもたくさんいたけれど、僕はそうは思いません。働くことは、やっぱり楽しい。大変なことも難しいことももちろんあるけれど、それでも面白い。それが今、一番伝えたいメッセージなのです。

  • 「僕が売ったら売れますよ」というやり手の営業マンは、ほぼ日では要らないんです。現に、ほぼ日は、書籍以外は営業担当がいません。それは、「商品自体が営業マン」と考えて作っているから。

  • 僕のやっていることにユニークな部分があるとしたら、「本当は誰も、働きたいなんて思ってないんじゃないか」という疑いから組織のあり方や仕事の仕方を考えてきたことです。そして、この点に秘密があるんじゃないかと考えています。

  • 僕は、バンドマンが観客を呼ぶために工夫するのと同じようなことをやってきました。ミュージシャンが最初にギターを習うとき、ギターでどう稼ぐかではなく、「どういう音楽をつくりたい」「どういう演奏をしたい」といったことを真っ先に考えると思います。利益や売上、顧客の価値について考えるのはずっとあとになってからだと思うんです。たぶん僕も、「まず音楽がつくりたかった」というミュージシャンと同じような感覚で経営してきたと思います。

  • 僕は弱点を大事にした方がいいと思っています。例えば、「観光」というテーマにおいて、山奥という立地は、通常の価値観から言うと弱点になります。でも、「星がきれいだからわざわざ行きたい」という価値にもなります。不便なことを弱点ではなく、個性と呼べば、その価値が分かりやすくなるでしょうか。

  • プロジェクトは会社が用意するのではなく、社員が自立的に手をあげてやります。決め事になると何でも楽なんですよね。しかし、楽をすると頭が休んでしまう。頭が休むとアイデアは生まれません。さらに、アイデアがないと周りを巻き込めないから、やる仕事がなくなります。

糸井重里について

糸井重里(イトイ・シゲサト)は群馬県出身のコピーライター、作詞家、エッセイスト、タレント。企業の広告キャンペーンのキャッチコピーを考案するコピーライターの第一人者。有名なキャッチコピーとしては西武百貨店の「不思議、大好き。」、「おいしい生活」、自らゲームデザインを手掛けたゲームソフト「MOTHER2」の「大人も子供も、おねーさんも。」などがある。またウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」をインターネット黎明期の1998年に立ち上げると人気サイトとなった。私生活では女優の樋口可南子と結婚している。

1948年(昭和23年)11月10日、群馬県前橋市に生まれる。群馬県立前橋高校卒業後、法政大学に入学。在学中は学生運動に身を投じ、中退。広告のデザイン事務所「サムシング」に就職し、広告業界に携わる。その後サムシングが倒産したことによりフリーランスのコピーライターとなった。1975年、ジーンズブランド「WELDGIN」のキャッチコピーで東京コピーライターズクラブ新人賞を受賞。翌1976年にも「WELDGIN」の広告で、東京アートディレクターズクラブ賞を受賞。1979年、沢田研二の楽曲「TOKIO」の作詞を担当。1982年、西武百貨店のキャッチコピーを手掛ける。この頃からコピーライターが世間的に認知されるようになり、糸井重里はその第一人者として脚光を浴びる。1989年、任天堂のゲームソフト「MOTHER」のゲームデザインを担当。「MOTHER」は人気を得てシリーズ化され3作品が作られた。1998年、ほぼ毎日糸井重里のエッセイや対談を発表するウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞 (略称・ほぼ日)」を開設。「ほぼ日刊イトイ新聞 」は独自のコンテンツを毎日更新することで人気サイトとなり、またサイトのグッズが人気を呼んでその販売収益によって高収益を獲得。「ほぼ日刊イトイ新聞 」の運営を行い、糸井重里が代表取締役を務める「株式会社ほぼ日」は、2017年にJASDAQ市場に上場した。

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