田中角栄

第64代、第65代内閣総理大臣

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田中角栄の名言

田中角栄の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 確かにノーというのは勇気がいる。しかし、逆に信頼度はノーで高まる場合もある。ノーとイエスははっきり言ったほうが、長い目で見れば信用されるということだ。

  • いつも誰かのせいにしていれば、努力をしなくてもいいから楽だ。社会が悪い、政治が悪いなんて言っていったいなにがあるんだ。人に貢献できるようになってから言うべきなんだよ。

  • 嫌なことは、その日のうちに忘れろ。自分でどうにもならんのにクヨクヨするのは阿呆だ。

  • 君達ね、自分の置かれている立場を有り難てェことだと思わんとダメですよ。寝言を言ったり不満ばかり言っている奴は、人生終わるまで不満を抱き続ける人間になるぞ。社会が悪い、政治が悪いなんて言って、一体何があるんだ。人に貢献できるようになってから言うべきじゃ。

  • どんな境遇におかれて辛い思いをしても、天も地も人も恨まない。

  • 仕事をすれば、批判、反対があって当然。何もやらなければ、叱る声も出ない。私の人気が悪くなったら、ああ田中は仕事をしているんだと、まぁこう思っていただきたい。

  • 若い君が本当に思っていることを話せばよい。借り物はダメだ。百姓を侮ってはいけない。小理屈で人間は動かないことを知れ。

  • 好むと好まざるとに関わらず、立たなければならない時がある。総理という職責は、なりたいと思ってもなれない。なりたくないと思っていても、やらなければならない時があるんだよ。

  • いいか。お前は絶対に「これをやるんだ」という態度をみせてはならん。あくまで「もらって頂く」と、姿勢を低くして渡せ。世の中人はカネの世話になることが何よりつらい。相手の気持ちを汲んでやれ。そこが分かってこそ一人前だ。

  • 功は焦らなくても良い。自分に実力がありさえすれば、運は必ず回って来る。

  • 必ず返事を出すんだ。結果が相手の希望通りでなくても『「聞いてくれたんだ」となる。大切なことだよ。

  • 政治家たるもの、国会で国政に携わる者は、全てのことは無理にしても、一つや二つ、誰にも負けない専門分野を持たなくては、国家国民のための政治家にはなれん。

  • できることはやる。できないことはやらない。しかし、すべての責任はこのわしが背負う。

  • ウソはつくな。すぐばれる。気の利いたことは云うな。後が続かなくなる。そして何より、自分の言葉でしゃべることだ。

  • 自分の物差しばかりでものを云っちゃいかんということだ。世の中には、人の為に働かないで、文句ばかり言う横着な人間が少なくない。こういうのはダメだ。使いものにならない。

  • とにかく、人の悪口をいったり、自分が過去に犯した過ちを反省せずに、自分がすべて正しいとする考え方は、国のなかでも外でも通用しない。そういう考えの人には一人で山の中に住んでもらうことだよ。

  • 戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは心配ない。平和について議論する必要もない。だが、戦争を知らない世代が政治の中枢になった時はとても危ない。

  • 戦後の政治家は行政に精通し、予算書が読めて、法律案文を修正することが政治だという錯覚に陥っている者が多い。けしからん。自らの手で立法することにより、政治や政策の方向を示すことこそ、政治化本来の姿だ。政策を作れん奴は政治家を辞めた方が良い。

  • いくら財政再建を叫んでも、石頭ばっかり揃っていたのでは、いつまでたっても財政再建は出来ない。

  • カネというものはチマチマ使うより、ここぞというときは一気に使え。その方が、効果は何倍も大きい。

  • 会議の長さは出席者数の二乗に比例し、会議の成果は出席者数の二乗に反比例する。

  • 困難な問題を解決するのは国民全体が考えて、三人寄れば文殊の知恵、1億も寄って日本の地価問題が解決できないはずはありません。

  • 私が田中角栄だ。ご承知の通り小学校高等科卒だ。諸君は天下の秀才ぞろいで、財政のエキスパートだ。しかし、私は素人ながらトゲの多い門松をくぐってきたので、実地の仕事の要領は心得ている。

  • バカ野郎ッ。どこを見て政治をやっているんだ。お前たちは、日本のために政治をやっている。私情で動いてどうする。

  • いいか、演説というのはな、原稿を読むようなものでは駄目だ。聴衆は、初めから終わりまで集中して聞いていない。きっちりとした起承転結の話をしても、駄目なんだ。話があっちへいつたり、こっちに行ったりしてもいい。聴衆の顔を見て、関心のありそうな話をしろ。30分か1時間の演説の中で、何か一つ印象に残るような話をもって帰ってもらえばいいんだ。

  • 借り物でない自分の言葉で全力で話せ。そうすれば、初めて人が聞く耳を持ってくれる。

  • 国民のための政治がやりたいだけだ。かまきりの斧と笑わば笑え。

  • 大仕事を遂げて死なまし。熱情の若き日は又と来はせじ。

  • 人生は、すべて「間」だ。お前みたいに一本調子、直進しようとするだけでは何も前に進まない。「間」の取れない奴はどうしようもないぞ。

  • ものごとを知っている人は怖さを知ってるわけだから、無茶なことはしないものだ。

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田中角栄について

田中角栄は昭和の政治家。第64代、第65代日本国内閣総理大臣。鉄道、道路など地方への積極的な公共投資で地方の工業化を推進するとの「日本列島改造論」を主張。総理大臣時代はは日中国交正常化などを成し遂げる一方、その金権政治が批判を浴び、田中金脈問題で辞任。のちにロッキード事件で起訴された。

1918年(大正7年)新潟県生まれ。実家は農家で、小学校卒業後すぐに土木工事の現場で働き、16歳で上京。1937年独立し、建築事務所「共栄建築事務所」を設立(のちに田中土建工業に改組)。田中土建工業の顧問だった進歩党代議士の大麻唯男に政界入りを勧められた田中角栄は1946年、進歩党から衆議院選挙に出馬するが、落選した。翌年、日本国憲法下で最初の総選挙が行われ、田中角栄は進歩党が改組した民主党から立候補し当選。

1957年、田中角栄は30歳の若さで郵政大臣に就任すると、自民党政務調査会長、大蔵大臣、自民党幹事長、通産大臣と要職を歴任。1972年自民党総裁選で「日本列島改造論」を掲げ福田赳夫を破り、田中角栄は第64代総理大臣に指名された。在任中は日中国交正常化を達成する一方、拡大的な財政政策から地価や物価が急上昇し社会問題となった。1974年田中角栄のファミリー企業の土地取引に絡む疑惑「田中金脈問題」を追及され辞任。1976年アメリカ・ロッキード社の航空機に関わるリベート疑惑「ロッキード事件」が浮上。田中角栄は5億円の受託収賄罪と外国為替・外国貿易管理法違反で逮捕され、自民党を離党。1993年死去し、ロッキード事件では判決が下されないまま公訴棄却となった。