オットー・フォン・ビスマルク

プロイセン王国首相、ドイツ帝国首相

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オットー・フォン・ビスマルクの名言

オットー・フォン・ビスマルクの過去の名言をまとめた名言集です。

  • 敗北を味わった世代の次の世代は、必ず敗北を処理しせねばならない。

  • 青年諸君に忠告したいことは、ただ三語に尽きる。すなわち、働け、もっと働け、あくまで働け。

  • 的確な弾丸よりも鋭い弁舌のほうが強力なのだ。

  • 鉄と血が、命運を決定するのだ。

  • 猟犬は餌を与える者に従うのだ。

  • アメリカを州に分断して合衆国としたのは、南北戦争のずっと前にヨーロッパの金融界によって決められたことだ。ヨーロッパの銀行家はアメリカが一つになって独立性を持てば、金融界を支配する力を持ってしまうと恐れた。ロスチャイルドが勝利したのだ。彼らは密偵を送って奴隷制への不満を増大させ、国を分断した。

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オットー・フォン・ビスマルクについて

オットー・フォン・ビスマルクは「鉄血宰相」の異名を持つ19世紀のドイツの政治家。プロイセン王国の首相となり、普墺戦争(プロイセン=オーストリア戦争)でオーストリアを破って北ドイツ連邦を結成。さらに普仏戦争(プロイセン=フランス戦争)でナポレオン率いるフランスを破り、南ドイツ4カ国(バイエルン、ヴュルテンベルク、バーデン、ヘッセン=ダルムシュタット)を従属させてドイツ統一を達成。ドイツ帝国を成立させた。

1815年プロイセン王国・シェーンハウゼンの貴族の家に生まれる。ゲッティンゲン大学とベルリン大学で法律を学ぶ。卒業後、ビスマルクはプロイセン王国の官僚となるが、3年で退官して地元のシェーンハウゼンに戻って実家の所領の管理をする。1847年プロイセン連合州議会の議員となる。1849年にビスマルクはこの時新設されたプロイセン衆議院の議員にも当選し、3年間務める。1851年にはドイツ連邦議会プロイセン全権公使に就任し、プロイセンの外交官として活躍し始める。1859年駐ロシア・プロイセン全権大使、1862年駐フランス・プロイセン全権大使を歴任し、1862年ビスマルクはプロイセン首相となった。プロイセンの軍国化を推進し、1866年普墺戦争(プロイセン=オーストリア戦争)に勝利して、ドイツからオーストリアの影響力を排除し、北ドイツ連邦を成立させた。さらに1870〜1871年には普仏戦争(プロイセン=フランス戦争)で皇帝・ナポレオン率いるフランスに勝利する。このとき共に戦った南ドイツ4カ国(バイエルン、ヴュルテンベルク、バーデン、ヘッセン=ダルムシュタット)を北ドイツ連邦に引き入れ、1871年ドイツ帝国を成立させた。ドイツ帝国の建国と同時にビスマルクはドイツ帝国初代首相となった。1890年まで20年近く首相に君臨し、通貨の統一,中央銀行の創立,統一民・商法典の制定,高等裁判所の設立、社会保障制度の充実、保護関税政策による産業保護などを行った。1898年死去。享年83歳。