オットー・フォン・ビスマルク
プロイセン王国首相、ドイツ帝国首相
オットー・フォン・ビスマルクの名言
オットー・フォン・ビスマルクの過去の名言をまとめた名言集です。
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敗北を味わった世代の次の世代は、必ず敗北を処理しせねばならない。
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青年諸君に忠告したいことは、ただ三語に尽きる。すなわち、働け、もっと働け、あくまで働け。
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的確な弾丸よりも鋭い弁舌のほうが強力なのだ。
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鉄と血が、命運を決定するのだ。
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猟犬は餌を与える者に従うのだ。
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アメリカを州に分断して合衆国としたのは、南北戦争のずっと前にヨーロッパの金融界によって決められたことだ。ヨーロッパの銀行家はアメリカが一つになって独立性を持てば、金融界を支配する力を持ってしまうと恐れた。ロスチャイルドが勝利したのだ。彼らは密偵を送って奴隷制への不満を増大させ、国を分断した。
オットー・フォン・ビスマルクの名言を見ている方へお薦めする名言
オットー・フォン・ビスマルクの残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。
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国を憂えている。若いやつは何してんだ。みんな腰抜けじゃないか。このままじゃ死ねない。
石原慎太郎 作家、政治家
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不公平の話って、みんな好きだよなぁ。宇宙がぜんぶ滅んでも、まーだ不公平はあるよ。まるまる公平なんて、のっぺらぼうは、あり得ないよ。
糸井重里 コピーライター、株式会社ほぼ日創業者
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自分自身が無知であることを 知っている人間は、自分自身が無知であることを知らない人間より賢い。
ソクラテス 哲学者
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世の中のことは、月と雲のようにどうなるかわからず、おかしいものである。
坂本龍馬 維新志士
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潜在意識は、良い考えも悪い考えも同じように受け入れる。
ナポレオン・ヒル 自己啓発本作家
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私に批判的な人たちが私のことを何と言おうと、彼らが真実を語らない限りは気にしない。
マーク・トウェイン 小説家
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私たちが悩んだり、不可解に思ったり、とまどったりしている疑問とそっくり同じ疑問を昔から賢者も抱いてきたのであり、例外は一人としていない。そしてそれぞれ能力に応じて自分の言葉や生き方でそうした疑問に答えてきたのである。
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私は、個人では何の力もないのに、組織をつくって、権力をかさにきて、うまい汁を吸っている人たちが許せない。いま、証券の世界で、その嫌悪感をぶつけているだけなんです。消費者を無視した、供給者側の都合で築き上げられたこの世界を、どんどん変えていきますよ。これからが、本当の競争の幕開けなのです。証券の世界はもっともっと変わりますよ。
松井道夫 元松井証券社長
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勇気というのは強いからとか、勇ましいから勇気があるというのではない。
たとえ、自分にとって振りな結果になろうとも、自分が真実であり、妥当であると考えたことを認め、それに賛成することこそが勇気である。本田宗一郎 本田技研工業創業者
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何かがおかしいと感じた時は、真実が隠れてないか気をつけなさい。
バーナード・ショー 劇作家
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日本の社会は、その場で「わかった」と言っても、本当にその通りに動いてくれるほどやわではない。影響力のある人が粘り強く言い続けて、「もう、あいつの言うことを聞かないとしょうがないな」とヘトヘトにさせるくらいでないと動きません。
宮内義彦 元オリックス社長
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自分で会社を起こさない限り、搾取の対象になるのは一生まぬかれない。
堀江貴文 オン・ザ・エッジ創業者、投資家、著作家
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新製品をそのまま置いておいては、長続きはしません。必ずそこには新たな技術が必要になる。
樫尾和雄 カシオ計算機創業者
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人間は、ただ一身一家の衣食が足りていることで満足してはいけない。人間の天性にはもっと高い務めを果たす力があるのだから、人間交際の仲間に入り、社会の一員として、その身分にふさわしい場で社会のために尽くさなければならない。
福沢諭吉 思想家、教育家
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自分の中にどうしても譲れないものがある。それを守ろうとするから弱くなる。そんなもの、ぶち壊してしまえ。
岡本太郎 前衛芸術家、画家、彫刻家
オットー・フォン・ビスマルクについて
オットー・フォン・ビスマルクは「鉄血宰相」の異名を持つ19世紀のドイツの政治家。プロイセン王国の首相となり、普墺戦争(プロイセン=オーストリア戦争)でオーストリアを破って北ドイツ連邦を結成。さらに普仏戦争(プロイセン=フランス戦争)でナポレオン率いるフランスを破り、南ドイツ4カ国(バイエルン、ヴュルテンベルク、バーデン、ヘッセン=ダルムシュタット)を従属させてドイツ統一を達成。ドイツ帝国を成立させた。
1815年プロイセン王国・シェーンハウゼンの貴族の家に生まれる。ゲッティンゲン大学とベルリン大学で法律を学ぶ。卒業後、ビスマルクはプロイセン王国の官僚となるが、3年で退官して地元のシェーンハウゼンに戻って実家の所領の管理をする。1847年プロイセン連合州議会の議員となる。1849年にビスマルクはこの時新設されたプロイセン衆議院の議員にも当選し、3年間務める。1851年にはドイツ連邦議会プロイセン全権公使に就任し、プロイセンの外交官として活躍し始める。1859年駐ロシア・プロイセン全権大使、1862年駐フランス・プロイセン全権大使を歴任し、1862年ビスマルクはプロイセン首相となった。プロイセンの軍国化を推進し、1866年普墺戦争(プロイセン=オーストリア戦争)に勝利して、ドイツからオーストリアの影響力を排除し、北ドイツ連邦を成立させた。さらに1870〜1871年には普仏戦争(プロイセン=フランス戦争)で皇帝・ナポレオン率いるフランスに勝利する。このとき共に戦った南ドイツ4カ国(バイエルン、ヴュルテンベルク、バーデン、ヘッセン=ダルムシュタット)を北ドイツ連邦に引き入れ、1871年ドイツ帝国を成立させた。ドイツ帝国の建国と同時にビスマルクはドイツ帝国初代首相となった。1890年まで20年近く首相に君臨し、通貨の統一,中央銀行の創立,統一民・商法典の制定,高等裁判所の設立、社会保障制度の充実、保護関税政策による産業保護などを行った。1898年死去。享年83歳。