橋下徹

弁護士、政治家

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橋下徹の名言

橋下徹の過去の名言をまとめた名言集です。

  • できることをやっても「変化」に過ぎない。できないことをやるのが「改革」だ。

  • 新しいモノを作るためには、一回古いモノを壊さないとダメですよ。

  • 意味のない議論を延々と続ける人たちは、それがもはや議論では収束できない「価値観の違い」であることに気付いていない。

  • 街頭演説を見に来ていたおかんからメールが来て「人柄を良くしろ」「優しい市長を目指しますって演説しろ」って。僕がそんな事を言ったらおかしい。

  • 選挙で選ばれる者は、やらなければやらなかったで実行力や決断力がないと言われ、やればやったで独裁だと避難される。どうせ批判を受けるなら、やって批判を受けたほうがいい。

  • どんなに大きな仕事に関わっていたとしても、その人でなくてもできるのであれば、社会での評価は大したことない。その人にしかできない仕事なら、たとえ小さな仕事でも、ものすごく評価される。この「代替性のなさ」が重要。

  • メディアは、報道の自由が「国民の知る権利を達成させる」ためにあることを勘違いしていて、報道の自由がメディア自身のためにあると思っている。

  • 原則、人の立場・価値観というものは、どちらが論理的に絶対的に正しくどちらが論理的に絶対的に間違っているのかという議論をやっても意味がないんだよね。

  • 挑戦して失敗することに対しては拍手を送る組織にしたい。

  • 今の官民給与比較は、公務員の世界の「安定」分を全く考慮せずに、給与額を民間と完全一致させようとしている。官民比較は、安定と給与額の総合比較をすべきだ。給与について官民を完全に一致させると公務員は「安定」分について完全なアドバンテージを得る。

  • 僕は「酢豚のパイナップルと共産党は大嫌いだ」と公言していますが、共産党の思想信条とは関係なく、共産党機関紙の「しんぶん赤旗」にまで目を通します。大嫌いな共産党が何を考えているか、何を発信しているかを知るためです。

  • 嫌われることを恐れていたら、改革はできない。

  • 「言うだけじゃダメなんだ」身に染みてそう感じました。だったら、いうだけじゃなく自分でやるしかない。政治家になろうと決めたのは、そんな思いが心の奥底から湧き上がってきたから。

  • ネットでの選挙運動の禁止。これこそ日本の民主主義が成長しない最大の規制。有権者と直接つながり、専門家も飛び込み、メディアも入ってくればいい。最初は無秩序かもしれないが、徐々にルールはできるだろう。とにかく、政策論をすれば良い。そこから真実がうっすらと見えてくるだろう。

  • 交渉において相手を思い通りに動かし、説得していくには、はっきり言って三とおりの方法しかない。「合法的に脅す」「利益を与える」「ひたすらお願いする」の三つだ。その中でも、もっとも有効なのが、「利益を与える」である。

  • 文部科学省の英語教育がおかしいのは、僕の英語力ではっきりしている。

  • 今後、「検討中」とおっしゃる場合は、きちんと納期を示して欲しい。

    解説:  大阪府知事時代、「検討中」を連発する職員に対して

  • 大阪をニューヨークやロンドンに勝てる年にする。政治は夢がなければ。夢に向かってみなさんと歩みたい。

  • 他人の人格を否定すると、結局自分に跳ね返ってくることになる。お前は、そんなに完璧なのかって。

    出典:  橋下徹「まっこう勝負」

  • 僕は反対意見を言われて納得いかなければ反論します。反対意見はいくらでも構わない。だから議員が反対意見を言われたことは維新の会の議論が活性化することで良いことなんです。僕がプチンときたのは、「口を出すな」と言われたこと。この点は誤解なきよう、お願いします。

  • 批判のための批判では、結局何もしない、現状維持になる。政治は一歩でも前に進めるためのものだ。

  • なぜ僕は、あえて完全協調路線をとらなかったのか。簡単な話で、既存の政党はすべてなんらかの既得権益と結びついています。だから、何かを変えるときには必ずどこかから反発が出る。行政側があらゆる反発にすべて妥協してしまうなら、それは協調とはいわず「馴れ合い」です。

  • 自民党では本気の改革はできない。自民党の公約は、野心的な数値目標が掲げられている。基本的には賛成だ。しかし自民党はそれをどうやって実現するのかを逃げている。あの野心的な数字を実現するためには、死に物狂いの改革を断行しなければならない。しかしその改革には死に物狂いで既得権が抵抗する。

  • 日本維新の会のメンバーは主張が激しいから、しょっちゅうぶつかりますよ。意見の対立はありますよ。それで良いんです。政治家グループなんだから。だけど最後はまとめる。決定する。それが政党の役割。これからもどんどんメンバー間の対立を出してやる。

  • 体制を変える、仕組みを変えるというのは、民主主義ではほんとに容易ではないと思います。

  • 組織を運営するにあたっては、誰が決定権を持つのか、これが全てです。そして決定権は全てトップが持つものではありません。トップが全て決定権を持つ組織はダメになるでしょう。メンバーが責任を持たなくなりますし、そこまでトップも全知全能ではありません。事項によって決定権者を分けるのです。

  • 今の政治に必要なのは独裁。独裁という言葉だけを捉えて、反独裁としか言わなかった既成政党に有権者は飽き飽きしている。

  • 小さい頃からギャンブルを積み重ね、勝負師にならないと世界に勝てない。国民を勝負師にする必要がある。

  • さしたる資源もない島国日本が今の5つ星ホテルのような生活レベルを維持するには教育しかない。

  • 最後に責任を取るのは政治家。もし災害が発生したら僕の家族は大阪では生きていけない。役人とは覚悟が違う。

橋下徹について

橋本徹は大阪府知事、大阪市長も務めた弁護士。早稲田大学卒業後に弁護士資格を取得。タレント弁護士としてテレビ出演して有名になり、その知名度を活かして大阪府知事選に出馬。得票率54%の圧勝で大阪府知事に就任した。大阪府知事在任中に地域政党「大阪維新の会」を結党した。その後「大阪都構想」を発表して、その実現のために大阪市長に転身。大阪市長を2期務めた。しかしながら、大阪市の住民投票で大阪都構想が否決されたことにより、自身の政治家としての最大の目標が実現不可能になったとして政界引退を発表。2期目の任期満了を持って大阪市長を辞任し、政界からも身を引いた。

1969年東京都渋谷区生まれ。幼くして父を亡くし、一家は大阪府に移り住んだ。大阪市立中島中学校から大阪の名門校・北野高校に入学し、ラグビー部に所属。ラグビー高校日本代表候補に選ばれる活躍を見せる。高校卒業後は早稲田大学政治経済学部に進学。法律家を志し、早稲田大学を卒業した1994年に司法試験に合格。司法修習を修了後、約一年間法律事務所に勤務したのち、1998年大阪に自らの法律事務所「橋下綜合法律事務所」を設立。2001年に大阪の夕方のワイドショー「ワイドABCDE〜す」に出演。2003年、「行列のできる法律相談所」への出演を始めると橋下徹の知名度は急速に高まった。同年関西の有名政治バラエティ「たかじんのそこまで言って委員会」にも出演を開始した。

2007年自民党の推薦を受けて橋下徹は大阪府知事選に出馬。183万票を獲得する圧勝で見事府知事に就任した。府知事就任後は「財政非常事態宣言」を発表して、人件費や私学助成の削減、文化関連事業の縮小による財政建て直しを図ったり、「教育非常事態宣言」を出して、教職員の役割を明確化した「大阪府教育基本条例」を提案するなどした。2010年大阪の地域政党として「大阪維新の会」を旗揚げし、自ら代表に就任した。翌年、大阪維新の会の掲げる最大の目標「大阪都構想」を実現するため、3ヶ月の任期を残して大阪府知事を辞任し、大阪市長選挙に出馬した。大阪市長選では対立候補の平松邦夫に与野党が相乗りし、厳しい選挙戦が予想されたが、平松52万票に対し、橋下徹は75万票を獲得して大阪市長に選出された。大阪市長としても財政再建と教育改革に奔走。国旗国家条例の制定、大阪市立学校管理規則の改定、公募校長制度の開始、減債基金からの借入れの削減などを行った。2012年国政政党「日本維新の会」を設立し、代表に就任した。その後、太陽の会合流にあたって、太陽の会代表だった石原慎太郎を代表に任命、橋本徹は一時代表代行に退く。そして2012年12月の衆議院議員選挙で54議席を獲得する躍進を遂げた。翌年1月石原慎太郎と橋本の共同代表体制となった。しかしながら、石原と橋下徹の路線対立などが原因となり、日本維新の会の支持は尻すぼみとなる。その後、石原が辞任して、江田憲司率いる結いの党と合流して江田が共同代表に就任、党名を「維新の党」とした。2014年に橋本徹は共同代表を辞任した。2015年5月大阪市で大阪都構想の賛否を問う住民投票が行われ、賛成49.62%、反対50.38%の僅差で大阪都構想は否決されることとなった。この結果を受けて橋下徹は政界からの引退を表明。2015年12月、2期目の大阪市長の任期満了をもって政界から引退した。

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