ゴルバチョフ

ロシアの最高指導者

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ゴルバチョフの名言

ゴルバチョフの過去の名言をまとめた名言集です。

  • あなたにとって昨日成し遂げたことがまだ偉大であるならば、あなたは今日十分やっていない。

    出典:  ミハイル・ゴルバチョフ「Prophet of Change : from the Cold War to a Sustainable World」

  • 平和とは似た者が団結することではない、異なった者が違いを認め合って団結することだ。

    出典:  ミハイル・ゴルバチョフ「Prophet of Change : from the Cold War to a Sustainable World」

  • 時代は、時代に遅れる者を罰する。

  • 自分の間違いを認めることは非常に難しい。しかしそれをしなければ先には進めない。

  • 私は収穫の時には立ち会わないかもしれないが、今のうちに蒔けるだけの種を蒔いておきたい。

  • 心から泣くことを知らない者は、笑うことも知らない。

  • 20世紀の教訓を忘れないでください。誰も幸福を作り出すことはできないのです、理想郷を作り出そうとしても国家に幸福は生まれません。社会主義はある種の理想郷を作ろうとしたものであり、ロシア国民は大きな代償を払いました。それでも、世界全体に他の方式を押し付けようと試みる動きが見られます。西欧方式、あるいはアメリカ方式です。このやり方は我々の進むべき道ではありません、摩擦を生み出すだけです。

  • 危機とは、人生に向き合っていない者に待っているものだ。

  • 何より大切なのは自分が成功しようとしまいと悠然として自信を失わないこと、家族や友人、そして、自分を信じて、権力や名誉などなくとも立派に生きていけることを確信していくことです。

  • 人間は、試練に立ち向かう強い心を常に持たなければならない。不幸や敗北に屈しない勇気と頑強さ、そして困難のときこそ、自身を試すという決意なくして、本当の人生を生き抜くことは難しい。

  • 心が変われば、態度が変わる。態度が変われば、習慣が変わる。習慣が変われば、人格が変わる。人格が変われば、人生が変わる。

  • いままで使ってきた方法や手段で今後も問題を解決できると思っているとしたらその考えは甘いと言わざるを得ない。

  • 外交には敵も味方もない。あるのは国家利益だけだ。

  • 我々は自然環境の主人ではなく、客人であることを認識すべきです。そして技術や消費が許す限りの成長ではなく、自然環境によって制限される、新しい成長規範を採用すべきです。それが全ての人々の利益になります。

  • 誰かと面と向かって会っても、その人の顔が見えていないことが時々あるものだ。

  • 今日では、誰も世界を動かすことはできなくなった。どんなグループも国もそれができない。現在ではアメリカ大統領が世界の状況を変えられるとは思えない。これは危険なことで、世界は無秩序の時代に入っている。

    出典:  2007年7月記者会見にて

  • お互いを潰し合うような不道徳な計画を立てるぐらいなら私は議論に議論を重ね合いどこまでも話し合うことを選ぶ。

  • 今やるべきじゃない?じゃあいつやるんだ。

  • 世界は独裁や支配を受け入れないだろう。

  • 社会主義の根本理念はキリスト教と類似している。その教えでは国籍に関係なく皆が兄弟であり、正義と平等と平和を重んじ、人々の間のいがみ合いを終わらせることを目指す。

  • 政治指導者は、まだ力による解決が可能であると考えている。しかし、それではテロの問題を解決することはできない。こうした古い考えはテロの温床であり、我々はそれと戦わなければならない。

  • 冷戦が終わって10年、我々は新しい国際秩序を構築しようとしてきたが、それは無駄に終わった。アメリカは独立して行動する国家に我慢できないのだ。どのアメリカ大統領も戦争をしなければならないかのようだ。

  • 私がやらなかったら誰がやるんだ?そして、それが今でなければいつやるんだ?

  • この世は一冊の美しい書物である。しかしそれを読めない人間にとっては何の役にも立たない。

  • 握り締めたこぶしでは、握手はできない。

  • 私の人生は、チェルノブイリの前と後に分かれる。

  • 旧ソ連の崩壊の真の原因はペレストロイカではなく「チェルノブイリ」だ。

  • 困難を極め、痛みを伴うだろうが、民主主義はロシアで勝利を収めるだろう。ロシアが完全な独裁に向かうことはないだろうが、独裁主義に陥ることはあり得る。

  • 我々は今や社会主義を国民に強いる悪癖をやめ、人々は社会主義から離脱する機会を得た。私はアメリカ人に言いたい、あなたたちは数十年に渡って我々にアメリカの方式を強いていると。あなたたちは、それが完璧だと思い、人類が考えうる最高の偉業だと考えている。しかし、別のやり方もあるはずだ。アメリカ人は自分たちの欲望についてもっと控え目であるべきだ。我々は人間の欲を刺激するのではなく、人間の善良さを引き出すべきだ。

  • 将来の世代が過去の環境問題への対応に評価を下すとしたら、「過去の世代は何も知らなかった」と結論付けるであろう。我々は「知っていたが、気にしなかった」世代になってはいけない。

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ゴルバチョフについて

ゴルバチョフはソビエト連邦最後の最高指導者。1990年ノーベル平和賞受賞。ソ連の書記長に就任後、「ペレストロイカ」と呼ばれる政治・経済改革を推し進め、外交面では新思考外交に基づき東欧の民主化革命を支持。アメリカとの冷戦を集結させた。ところが改革に反対する守旧派が1991年にクーデターを起こす。クーデターは失敗に終わるが、クーデーターの首謀者にゴルバチョフの側近もいたため指導部への信頼は失墜する。結果としてソビエト連邦を構成する各共和国が独立宣言し、ソビエト連邦は崩壊した。

1931年ソビエト連邦スタヴロポリ地方プリヴォリノエ村生まれ。父は農業技術者だった。1946年頃から地元で農業の手伝いをしながら勉学に励み、優秀な成績を残す。1950年ソビエト連邦の最高学府・モスクワ大学で法学を学び始めた。1952年ゴルバチョフはモスクワ大学在学中にソ連共産党に入党した。

1955年に同校を卒業後は地元のスタヴロポリ地方で党の活動に参加しながら、1967年にスタヴロポリ農業大学を卒業。1970年スタヴロポリ地方党委員会第一書記となり、1978年にゴルバチョフはソ連共産党中央委員会書記にまで出世した。さらに1980年党中央委員会政治局員に抜擢された。

1985年ソ連共産党最高指導者チェルネンコ書記長の死去に伴い、ソ連共産党は時期書記長の選定に入る。ゴルバチョフは外務大臣で第一副首相でもあったアンドレイ・グロムイコらの支持を取り付け、ソ連共産党書記長に就任した。書記長に就任したゴルバチョフは「グラスノスチ(情報公開)」、「ペレストロイカ(建て直し)」のスローガンのもと、国内の自由化、民主化を推し進め、党人事も若手を抜擢。外交面では「新思考外交」を提唱し、西側諸国との協調・融和路線に転じた。1989年新設された最高会議の議長に就任。1990年憲法改正によって新設されたソビエト連邦大統領に選出された。この頃、ソビエト連邦がゴルバチョフによる自由化路線を採ったことが影響し、共産主義陣営の諸国でも民主化運動が起こり、ハンガリー、チェコスロバキア、ブルガリアでは共産党による一党独裁体制が崩れた。さらに1989年にベルリンの壁が28年ぶりに壊された。同年12月マルタでゴルバチョフはアメリカ合衆国大統領ジョージ・H・W・ブッシュと会談し、米ソ冷戦の終結を宣言した。さらに1990年に東西ドイツが統一、同年ゴルバチョフは東西冷戦を集結させた功績からノーベル平和賞を受賞した。

1991年8月ソビエトの保守派によるクーデター事件が起こる。クーデーターは未遂に終わったが、ゴルバチョフは責任を取って党書記長と大統領を辞任。ソビエト連邦は独立国家共同体(CIS)へと移行したが、傘下の各国が次々に独立し、独立国家共同体は早々に崩壊した。1996年ロシア大統領選挙に出馬するも、大差で落選している。