ベンジャミン・フランクリン
アメリカの政治家、科学者
ベンジャミン・フランクリンの名言
ベンジャミン・フランクリンの過去の名言をまとめた名言集です。
-
困難を予期するな。決して起こらないかも知れぬことに心を悩ますな。常に心に太陽を持て。
-
国家の自由を破壊しようとする者は、必ず自由な言論の抑圧を始める。
英語: Whoever would overthrow the liberty of a nation must begin by subduing the freeness of speech.
-
もし皆が同じような考えを持っているなら、それは誰も考えていないということだ。
英語: If everyone is thinking alike, then no one is thinking.
-
戦争では、政府が誰が悪者なのかを決める。一方革命では、あなた自身が悪者を決めるのだ。
英語: War is when the government tells you who the bad guy is. Revolution is when you decide that for yourself.
-
人間の幸福は、稀にしか来ないような大チャンスが生むのではなく、常日頃のわずかな利益が積み重なったものだ。
-
正義が執行されるには、無関係な者が当事者と同様に憤慨する必要がある。
英語: Justice will not be served until those who are unaffected are as outraged as those who are.
-
一時的な安定のために自由を手放す者は、自由も安定も得られない。
英語: He who would trade liberty for some temporary security, deserves neither liberty nor security.
-
人生の秘訣は、自分が必要としていることではなく、世の中が必要としていることをやることだ。
-
相手を説得するために、正論など持ちだしてはいけない。相手にどのような利益があるかを、話すだけでいい。
-
井戸が干上がってはじめて、人は水の価値を理解する。
-
人生を大切にしたいなら時間を無駄使いしてはいけない。人生は時間によってできているのだから。
-
人類の不幸の大半は、ものごとの価値を計り間違えることによってもたらされる。
-
自由な国家では統治者が使用人であり、国民が上位者、主権者である。
英語: In free governments the rulers are the servants, and the people their superiors and sovereigns.
-
自由のない安全は牢獄と呼ばれる。
英語: Security without liberty is called prison.
-
もしも、人生をやり直すことが、出来るのだとしたら、私はこれまでの生涯を、始めからそのまま繰り返すだろう。
-
君の失敗を友人に告げること、それが友人を大いに信頼するということだ。友人の失敗を友人につげるより、より偉大な信頼なのだ。
-
自分が努力して名をあげる望みのないものは、人が自分の位置まで落ちるのを喜ぶ。
-
教育が高くつくというなら、無知はもっと高くつく。
-
本当の貧乏人一人に対し、贅沢が原因の貧乏人は百人いる。わずかな出費に注意せよ。小さな水漏れが大きな船を沈めてしまう。安物買いで得した者が、よく破産する。
-
賢い者は、他人の失敗に学ぶ。愚かな者は、自分の失敗にも学ぼうとしない。
-
どんな愚か者でも批判し、糾弾し、不平を言うことができる。そして愚か者はたいていそれらを行うものだ。
英語: Any fool can criticize, condemn and complain - and most fools do.
-
たとえ平凡な能力の人間でも、気が散るような娯楽や職をきっぱりとやめて、それまで学んできた計画に集中して実行するならば、目覚ましい変化を遂げて、人類の中で際立つ成功をおさめることができるだろう。
-
長生きしても人は満足しないかも知れないが、充実した人生には満足する。
-
足を滑らせてもすぐに回復できるが、口を滑らせた場合は決して乗り越えることはできない。
-
言い訳が上手い者で、他に得意なことを持つ者に、私は一度も会ったことがない。
英語: I never knew a man who was good at making excuses who was good at anything else.
-
憲法が与えてくれるのは幸福を追求する権利だけだ。幸福は自分の力で掴まなくてはならない。
-
もし財布の中身を頭につぎこんだら、誰も盗むことはできない。知識への投資がいつの世でも最高の利子を生む。
-
どんな愚かな者でも、他人の短所を指摘できる。そして、たいていの愚かな者が、それをやりたがる。
-
富への道はあなたがそれを望むのであれば、市場へ行く道と同じくらい簡単なものだ。富への道はふたつの言葉にかかっている「勤勉」と「倹約」。つまり時間もお金も無駄にせず、その両方を最大限有効に活用するということだ。
-
勤勉な者は、願をかける必要もない。勤勉はすべての物事を容易に運ばせる。
ベンジャミン・フランクリンの名言を見ている方へお薦めする名言
ベンジャミン・フランクリンの残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。
-
人類は先に飛行機を開発し、のちに安全な飛行を目指しました。もし安全を先に考えるならば、誰も飛行機を作ることはありません。
マーク・ザッカーバーグ Facebook創業者
-
戦後の日本人はいつの間にか、働くことと利を得ることを一緒にして利を得るためにだけ働くようになった。利がすべての目的に変わった。利のためにほかのものを多少は犠牲にしていいという風潮が社会を支配した。
遠藤周作 小説家
-
人々が自らの自由に無関心な時、独裁者が現れる。独裁者は行動力と熱意があり、神や宗教、その他の名のもとに眠っている人々に鎖をはめようとする。
ヴォルテール 哲学者
-
「そんなことは不可能だ」などと言う者は、それに挑戦している者の邪魔をすべきではない。
バーナード・ショー 劇作家
-
世界には自分が正しいということを信じて、その考え方を他国に強制しようという原理主義的な態度をもった人たちがいますが、人というのは矛盾の塊だし、人であれ国であれ、良いところもあれば悪いところもあるのだから、お互いの良いところを認め合うようにしないといけませんね。私たち60億の人類は奇跡的にここ、地球にいるわけで、もっと生まれて、いまここで生きているということを大事にして欲しいと思います。
井上ひさし 劇作家、放送作家、小説家
-
リラックスしたい!って思ってる人は一生できないよ。リラックスしようしようと思ってたら緊張しちゃう。なんも考えずにもう今日は1日だらけてよう、とか、社会に対して無責任に生きよう、とか思ったら自然とリラックスしてるわよ。
マツコ・デラックス タレント
-
完全に満たされた者は、腹を空かしている者の望みを理解しない。
カール・マルクス 経済学者、思想家
-
「しまった」と思い続ける、自己否定の積み重ねが大切です。環境が変わったのだから、自分を変えるしか生き残る方法はありません。そして、昨日までのあり方、考え方を否定するしかありません。
矢野博丈 ダイソー創業者
-
悦びは伝わるものであり、だから悦びを教えるということにかけては、みずから悦びにあふれた者に勝る者はいない。
キルケゴール 哲学者
-
矛盾だらけの人間がつくりあげている世の中というものも、また当然、矛盾をきわめているのだ。
池波正太郎 歴史小説家、劇作家
-
あなたが正しいと教えられ、皆が正しいと思っているとしても、それが正しいとは限らない。
マーク・トウェイン 小説家
-
賢者は理論に基づいて行動する、一般人は経験に基づき、愚か者は欲望と野生の本能で行動する。
キケロ 哲学者、政治家
-
アメリカ人であれ。地域で対立してはならない。北も南も東も西もないのだ。
ジョージ・ワシントン アメリカ合衆国初代大統領
-
歴史によって神聖化されないものなんか、一つだってありはしない。
アントン・チェーホフ 劇作家、小説家
-
私たちの足取りを便宜や効率といった名前を持つ最悪な犬たちに追いつかせてはなりません。私たちは力強い足取りで前に進んでいく非現実的な夢想家になるのです。
村上春樹 小説家
ベンジャミン・フランクリンについて
ベンジャミン・フランクリンはアメリカの独立に大きく貢献した政治家で、雷が電気であることを解明したり、海流や地震について研究した科学者でもある。アメリカ独立宣言の起草者5人のうちの1人となるなど、独立に尽力。独立後は連邦憲法会議の代表としてアメリカ連邦憲法の制定に貢献した。アメリカ建国の父の一人であり、勤勉性、合理主義、社会奉仕活動への尽力などにより「代表的アメリカ人」とも言われる。著書「フランクリン自伝」は時代を超えて愛される名著である。
1706年1月17日、アメリカのボストンに生まれる。1718年、12歳のときから兄・ジェームズが出版していた新聞新聞「ニューイングランド・クーラント」の印刷所で働き、印刷工として働く傍ら、自ら新聞に文章を寄稿した。1723年、「ニューイングランド・クーラント」をめぐって兄と喧嘩別れし、フィラデルフィアで印刷工として働き始める。1729年、新聞「ペンシルベニア・ガゼット」紙を買収し、ベンジャミン・フランクリンは自ら新聞の発行を行った。1932年、節約や勤勉についての諺が書かれた暦「貧しきリチャードの暦」を発行して評判になる。一方でベンジャミン・フランクリン社会奉仕活動に尽力。道路の舗装と清掃、街灯の改善、消防組合、会員制貸出し図書館の設立、フィラデルフィア・アカデミー(現・ペンシルベニア大学)の設立などを行った。また、科学技術にも深い関心を持っており、避雷針の研究、雷が電気であることの解明、風、海流、地震の研究などを行った。
1748年、ベンジャミン・フランクリンは印刷業をやめ、公職に専念。植民地議会の書紀や議員、郵便局長、北米郵政副長官など公職でも活躍した。1754年に始まったフレンチ・インディアン戦争ではオルバニー会議にペンシルベニア代表として出席し最初の植民地連合案を起草、自らも義勇軍として戦った。1757年には植民地議会代表として、1764年にペンシルベニア王領植民地化の請願のため、2度イギリス本国に派遣された。1775年植民地の大陸会議代表に選出され、以降ベンジャミン・フランクリンはアメリカ独立に尽力。1776年の「アメリカ独立宣言」の起草委員となり、同年12月には大陸会議代表としてフランスに渡り同盟を結び、1783年のパリ条約締結にはアメリカ代表の一人に選ばれた。1785年にペンシルベニア行政長官、1787年連邦憲法会議代表となり、アメリカ連邦憲法の成立に大きく貢献した。1790年死去。葬儀は国葬として執り行われた。