勝海舟

幕臣、政治家

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勝海舟の名言

勝海舟の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 行いは俺のもの、批判は他人のもの、俺の知ったことじゃない。

  • 自分の価値は、自分で決めること。つらくて貧乏でも、自分で自分を殺すことだけは、しちゃいけないよ。

  • 誰を味方にしようなどと言ふから、間違うのだ。みんな敵がいい。敵がないと、事が出来ぬ。

  • 何でも大胆にかからねばならぬ。難しかろうが、易しかろうが、そんな事は考えずに、いわゆる無我の境に入って断行するに限る。

  • 外国へ行く者が、よく事情を知らぬから、知らぬからと言うが、知って往こうというのが、良くない。何も、用意をしないで、フイと往って、不用意に見てこなければならぬ。

    出典:  「海舟座談」

  • 人心の理というものは、古今おなじだからな。ただその趣きが違って見えるだけだもの。

    出典:  「海舟語録」

  • 時勢の代わりというものは妙なもので、人物の値打ちが、がらりと違ってくるよ。

  • およそ世の中に、歴史というものほどむずかしいことはない。元来、人間の知恵は未来のことまで見通すことができないから、過去のことを書いた歴史というものに鑑みて将来をも推測しようというのだが、しかるところ、この肝心の歴史が容易に信用せられないとは、実に困った次第ではないか。見なさい。幕府が倒れてからわずか30年しかたたないのに、この幕末の歴史をすら完全に伝える者が一人もいないではないか。

  • 事を遂げるものは、愚直でなければ。才ばかりに走ってはいかぬ

    出典:  「海舟語録」

  • 大事業をし遂げるくらいの人は、かえって世間から悪く言われるものさ。おれなども、一時は大悪人とか大奸物とかいわれたっけ。

  • 行政改革というものは、余程注意してやらないと弱い物いじめになるよ。肝心なのは、改革者自身が己を改革する事だ。

  • いまの世の中は、実にこの誠というものが欠けている。政治とか経済と言って騒いでいる連中も、真に国家を憂うるの誠から出たものは少ない。多くは私の利益や、名誉を求めるためだ。世間の者は「勝の老いぼれめが」と言って嘲るかしらないが、実際俺は国家の前途を憂うるよ。

  • 生死を度外視する決心が固まれば、目前の勢いをとらえることができる。難局に必要なことはこの決心だけだ。

  • 人はどんなものでも決して捨つべきではない。いかに役に立たぬといっても、必ず何か一得はあるものだ。

    出典:  勝海舟「氷川清話」

  • これだけと限ってしまふと、それより大きい事があった時、仕方が無いから。どうか、限らないやうに。

  • 私はズルイほど世間をよく知っているから、世間の波には流されない。他人や世間からの評価は、上がるときもあれば、下がるときもある。毀誉褒貶というように、上がった評価も下がるときがあれば、下がってもまたいつかは上がるものだ。10年辛抱すればよいのだ。

  • 機は感ずべきもので、言うふことの出来ず、伝達することの出来んものです。

  • 今年破れた所を丈夫に直すと、この次はその向ふが破れるものだよ。

  • 外交の極意は、誠心誠意にある。ごまかしなどをやると、かえって、こちらの弱点を見抜かれるものだよ。

  • あれのこれのと心配ばかりしていては、自然と気が餓え神が疲れて、とても電光石火に起こりきたる事物の応接はできない。

  • 人間の精根には限りがあるから、あまり多く読書や学問に力を用いると、いきおい実務の方にはうとくなるはずだ。

  • 一時の感情に制せられず、冷ややかな頭をもって国家の利害を考え、群議を排して自分の信ずるところを行うというには、必ず胸中に余裕がなくてはできないものだ。

  • 私はすでに門閥階級というものが、大いに国家進運を妨害するということを悟り得たから、その弊害を打破してやろうと思ったが、いかんせん、幾百年来の習慣はまったく親譲りの格式に甘んじて、上をかさに被るというありさまだから、なかなか一朝一夕に断行されるものではなかった。

  • 敵は、多ければ多いほど面白い。

  • 内で喧嘩をしているからわからないのだ。ひとつ、外から見てみな。じきにわかってしまうよ。

    出典:  「海舟語録」

  • 身命をなげうち、真心をこめてやるという腹さえ決まっていれば、あとはその場合その場合で考えたらいい。

  • 勢いというものが一たび目の前に来たら、まごまごしてはいけない。

  • 男児世に処する、ただ誠心誠意をもって現在に応ずるだけのこと。あてにもならない後世の歴史が、狂と言おうが、賊と言おうが、そんな事は構うものか。

  • 百年の後に、知己を待つのだ。なにが、わかるものか。昔から、大功の有つた人は、人が知らないよ。久しうして後にわかるのだ。

  • 国といふものは、独立して、何か卓絶したものがなければならぬ。いくら西洋々々といつても、善い事は採り、その外に何かなければならぬ。

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勝海舟について

勝海舟は幕末、明治の政治家。1823年(文政6年)下級幕臣、勝左衛門太郎の長男として江戸に生まれる。西洋兵学を究めるために蘭学を学び、幕府の長崎海軍伝習に参加して、海軍兵法を身につける。1859年(安政6年)勝海舟は軍艦操練所教授方頭取に任ぜられる。1860年(万延1年)咸臨丸で太平洋横断。1862年(文久2年)軍艦奉行並に抜擢され、神戸海軍操練所を設立。

戊辰戦争で勝海舟は軍艦奉行として指揮をとった他、会津・薩摩間の調停や長州との停戦交渉にあたる。1868年(明治1年)には陸軍総裁に昇進。新幕府軍の江戸総攻撃の前日に勝海舟は西郷隆盛と談判。西郷に妥協案を提示させ戦闘回避に成功。江戸城は無血開城された。明治新政府発足後は、政府から重用され、外務大丞、兵部大丞、参議兼海軍卿、元老院議官、枢密顧問官などに指名され、伯爵の地位も得た。しかしながら、勝海舟は明治新政府への協力に消極的で、前述の役職は本人が辞退したり、務めても短期間に留まった。旧幕府への思いが強かった勝海舟は、自らの地位を活用して旧幕臣の就職の斡旋や援助などを積極的に行った。また歴史書の執筆・編纂も行い、「吹塵録」、「海軍歴史」、「陸軍歴史」、「開国起源」などを残した。1899年(明治32年)死去。享年75歳。