大隈重信

内閣総理大臣、早稲田大学創設者

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大隈重信の名言

大隈重信の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 人の志操は失意の時に真にして、人の情好は失意の時に密なるものである。

    解説:  人間の不変の志は失意のときに真理となり、人間の友情や愛情は失意の時に深まるものである。

  • 道が窮まったかのようで他に道があるのは世の常である。時のある限り、人のある限り、道が窮まるという理由はないのである。

  • 諸君は必ず失敗する。成功があるかもしれませぬけど、成功より失敗が多い。失敗に落胆しなさるな。失敗に打ち勝たねばならぬ。

  • 最愚者の為す所が最賢者の頭脳を支配することもある。世に無価値な人間があるべき理はない。

  • 個人としては幾多の失敗を重ねたが、しかし恐縮はせぬ。失敗はわが師なり。失敗は我が大なる進歩の一部なり。

  • 学問は脳、仕事は腕、身を動かすは足である。しかし、卑しくも大成を期せんには、、先ずこれらすべてを統ぶる意志の大いなる力がいる。これは勇気である。

  • 顧みて過去の行程を想うとき、その大部分は、多くは失敗と蹉跌との歴史である。

    出典:  大隈侯昔日譚

  • 政治には側面がある。まして裏面がある。歴史はよほど浅薄なものだ。

  • 人間が生きるのは、社会の利益のために存在するということだ。ただ生きているのではつまらない。

  • 失敗に落胆しなさるな、失敗に打ち勝たなければならぬ、度々失敗するとそれで此大切なる経験を得る。其経験に依って以て成功をきさなければならぬのである

  • 若い人は高尚な理想を持たなければならない。そしてそれを行う勇気がなければならない。

  • 我が輩は、爆弾くらいで青くなるような腰抜けじゃない。そんなもの屁とも思っていない。

  • 男性だけが活躍する社会は国力の半分を無駄にしている。

  • 怒るな。愚痴をこぼすな。過去を顧みるな。望を将来に置け。人のために善をなせ。

  • 我が輩は楽観説である。人生を重んじて、常に未来に光明を望んで行くのである。

  • 施して報を願わず、受けて恩を忘れず。

  • 何事も楽観的に見よ。

  • 政治は、学問や科学ではない。術である。人の心を知るという術なのです。
    人の心を察する ーこう言うと悪くすると陰険らしくも聞こえるがそうではない。他人の苦は自己の苦しみであるという、ここの道場から多数の幸福が得られてよい政治が生まれるのです。

  • 大衆を侮るな。

  • 枝葉を切っても木は蘇らない。根元を掘って自然の力、太陽光を根にあてて水を注げば、木は蘇生する。

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大隈重信について

大隈重信は幕末から明治、大正の政治家、武士。尊皇攘夷運動で活躍し、倒幕に参加し、のちに政治家となった。楽天的な人柄で「民衆政治家」と親しまれ、2度総理大臣を務めた。

1838年佐賀藩士の長男として生まれる。国学や蘭学を学び、蘭学塾や英学塾の講師を務めた。幕末には大隈重信は佐賀藩が討幕運動へ参加するべきと訴えたが、藩の方針を変えることはできなかった。明治維新後は明治新政府の役人として取り立てられ、外国との交渉や金融行政で力を発揮した。

その後は政治家を志し、1882年(明治15年)4月小野梓とともに立憲改進党を結成、大隈重信が党首となる。同年10月には「学の独立」を掲げて東京専門学校(現早稲田大学)を設立。1888年(明治21年)政敵であった伊藤博文から外交手腕を評価され外務大臣に就任する。外国との不平等条約解消を目指すが、外国人判事を導入するという内容が反対派を刺激し、爆弾を投げつけられて右足を失い辞職する。

1898年(明治31年)板垣退助とともに立憲党を結成。同年、総理大臣となり日本で初めての政党内閣を組織したが、党内抗争により4ヶ月で辞職した。1907年(明治40年)には政界を引退し早稲田大学総長となる。しかし憲政擁護運動が起こると正解に復帰し、1914年(大正3年)再び総理大臣となる。第一次世界大戦中に大隈重信は中国に21か条の要求を突きつけて国内外から批判を受け、2年半で辞職した。