犬養毅

第29代内閣総理大臣

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犬養毅の名言

犬養毅の過去の名言をまとめた名言集です。

  • すなわち記者諸君は公平なる地位にあって、各政党の正不正を裁く裁判官であると同時に、政党が正義に向かって進むことを躊躇する場合、これを鞭撻し激励する役目にあるものである。いかなる臆病太郎といえども「お前は強いぞ」と始終励まされると、卑怯な真似はようしないものである。

    出典:  全国護憲記者大会での演説

  • 政党には、党勢拡張、政権獲得などという一種の病気がつきまとう。そのために、あるいは種々の不正手段に出たり、あるいは敵に向かって進む勇気を失ったりすることがある。これを監視し激励するのが言論に従事する人々の責任でなければならぬ。

    出典:  全国護憲記者大会での演説

  • 今の暴れ者をもう一度呼んで来い、話して聞かせてやる。

    解説:  五・一五事件で青年将校に銃で撃たれた後に言った言葉

  • 仏教もキリスト教も道教も異途同帰で、要するに根本の信念を固めることにある。しかるに、現在の我方国民教育の不完全は、道徳の根本たる信念に導くべき教えが欠けている。

  • そもそも政界百弊の根源は、選挙に莫大の金を要するがゆえなれば、まずもって現行選挙法を改正しなければならぬ。

  • 青年血気のときには、金も持ちたし、学者にもなりたし、政治家にもなりたし、と種々の事に意思が動く。これが万事失敗の本になる。

  • 話せば分かる。

    解説:  五・一五事件で青年将校が首相官邸を襲撃した時にかけた言葉

犬養毅の名言を見ている方へお薦めする名言

犬養毅の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

犬養毅について

犬養毅は明治から昭和初期まで活躍した政治家。42年間衆議院議員を務め18回連続当選している。総理大臣在任中、青年将校の反乱事件で凶弾に倒れた。(五・一五事件)

1885年(安政2年)岡山県岡山市に庄屋の次男として生まれる。1876年(明治9年)慶應義塾に入学。在学中に郵便報知新聞(現・報知新聞)の取材活動に参加し、1880年(明治13年)慶應義塾を退学して記者となる。1882年(明治16年)犬養毅は大隈重信が結成した立憲改進党に入党、大同団結運動などで活躍する。1890年(明治23年)第一回衆議院議員選挙で当選を果たす。以降、7度にわたって所属政党を変えながら18回連続衆議院に当選し、42年間にわたって議員生活を続けた。

1931年(昭和7年)犬養毅は立憲政友会の総裁として内閣総理大臣に指名される。当時の日本は1929年(昭和4年)に発生した世界恐慌の影響で大不況に陥っていた。犬養毅は高橋是清を大蔵大臣に指名し、金輸出禁止と金兌換停止を実施、同時に積極財政へと転換した。また、就任3ヶ月前に発生した満州事変への対応では、関東軍が行った満州国の中国からの分離独立を事実上黙認。一方で中国との間で外交交渉を重ね、外交的解決を目指した。1932年5月15日、犬養が休日を過ごしていた総理公邸に海軍と陸軍の青年将校が乱入し、犬養に向けて発砲。犬飼は顔面に被弾し、同日夜に犬養毅は死亡した。享年76歳。