ジョン・F・ケネディ

アメリカ合衆国大統領

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ジョン・F・ケネディの名言

ジョン・F・ケネディの過去の名言をまとめた名言集です。

  • 共和党は皆に、彼らの交わした約束が果たされると信じ込ませることができる。それがどんなに大きな嘘でもだ。嘘を何度も繰り返せば、大衆はそれを真実と見なすようになる。

  • 行動にはリスクとコストが伴う。しかし長い目で見ると、何もせず快適に過ごすよりも、はるかにリスクが小さい。

  • 人類は戦争に終止符を打たなければならない。さもなければ、戦争が人類に終止符を打つことになるだろう。

  • 国家が生き残っても、その伝統が消えてしまうのでは全く価値がない。

  • どれだけ大それた嘘をつこうとも、それを繰り返せば、大衆はそれを真実とみなす。

  • 我が同胞アメリカ国民よ、国が諸君のために何が出来るかを問うのではなく、諸君が国のために何が出来るかを問うてほしい。

  • 我々が未来に信頼を持つには、まず我々自身を信頼することである。

  • もし「リベラル」が過去に縛られず進歩的な人を現すなら、新しいアイデアを歓迎する人を現すなら、福祉や健康や住環境、学校、仕事、権利、自由を尊重する人を現すなら、政策を広めて手詰まりや疑念を打破する人を現すなら、誇りを持って言おう、私はリベラルであると。

    出典:  民主党大統領候補の指名会見

  • 皆の能力が同等なわけではないが、皆が同等な教育の機会を得なければならない。

  • 中国語では「危機」という言葉は2つの文字でできている。1つは危険を意味し、もう1つは機会(チャンス)を意味する。

  • 存在している物を見て、それがなぜ存在するのかを語ることは誰でも出来る。私は存在しないものを夢見て、それがなぜ存在しないのかを語りたい。

  • 平和は憲章や盟約だけに根ざすものではない。それは人々の心情の中に根ざすものである。

  • 国家は国民の使用人である。国民の主人ではない。

  • ものごとは起こるのではない、起こすのだ。

  • 我々でなければ、誰がやるんだい?今でなければ、いつやるんだい?

  • もし自由な社会が大多数の貧しい人々を助けられないなら、少数派の富豪たちも救われない。

  • 互いに相違点があることは認めよう。たとえ今すぐ相違点を克服できないにしても、少なくとも多様性を認められるような世界を作る努力はできるはずだ。

  • 大きな失敗を恐れない者だけが、偉大なことを成し遂げる。

  • 我々の問題は、人間が生んだものである。それゆえ、人間はそれを解決することができる。

  • 変化は人生の習わしである。過去と現在にしか目を向けないものは、確実に未来を見逃してしまう。

  • 平和的な革命を不可能だと言う者は、暴力的な革命を不可欠にするだろう。

  • 民主党員らしい答え、共和党員らしい答えを追い求めず、正しい答えを出そうではないか。過去についての批判は控え、将来への責任を果たそうではないか。

  • われわれは言葉だけでなく、行為でそれを示さなくてはならない。

  • 自信を持って恐れることなく、私たちは努力を続けなければならない。人類絶滅の戦略に向かってではなく、平和の戦略に向かって。

  • 富は手段であり、その目的は人間である。物質的な富は、人間の向上のために用いられなければ意味がないと言ってよい。

  • 我々には、この現代を人類にとって史上最高の時代にする力がある。それと同時に人類最後の時代にもできる事を忘れてはいけない。

  • この国を物質的に豊かで精神的に貧しい国にするわけにはいかない。

  • 楽な人生を願い求めるな。より強い人間になれるように願いなさい。

  • 事実をありのまま率直に語ることは、未来に絶望することでも過去を告発することでもない。

  • やるべきことはやる。自分がどうなろうとも、いかなる障害、危険、圧力があろうとも。これは人間道徳の基本。

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ジョン・F・ケネディについて

ジョン・F・ケネディは第35代アメリカ合衆国大統領。テキサス州ダラスでの遊説で、パレード中に射殺された。犯人は未だに不明。

1917年アメリカ・マサチューセッツ州ブルックライン生まれ。ケネディ家はジョンの祖父が事業に成功し、有力な民主党員でもあった。父のジョセフも実業家で映画や株の投資で財を成し、ルーズベルトの大統領選に資金援助した縁で英国大使も務めた。1940年にハーバード大学を卒業すると、1941年海軍に入隊。第二次世界大戦でジョン・F・ケネディは、魚雷艇PT109の艦長としてソロモン諸島で日本軍と対峙した。しかし、航行中に日本軍の駆逐艦「天霧」と衝突して船が大破。ケネディは近くの島に生存していた仲間を導いて救命した。この功績によりケネディは海軍から勲章を受けている。1945年ジョン・F・ケネディは健康不安を理由に海軍を除隊。

1917年ジョン・F・ケネディは下院議員選挙に29歳の若さで立候補し当選、5年間下院議員を務めた。1952年上院議員に鞍替えして立候補し当選。上院議員時代は弟ロバート・ケネディとともに組織犯罪と労働組合の腐敗を追及する「上院マクレラン委員会」で活躍。トラック運転手組合とマフィアの癒着を暴くなどして徐々に名が知られるようになった。1956年の大統領選ではアドレー・スティーブンソン大統領候補の副大統領候補として出馬。予備選挙で敗れたがその風格ある演説で注目を集め、後の大統領選挙への足がかりを築いた。1960年大統領選挙でジョン・F・ケネディは民主党の大統領候補として出馬、テレビ討論会で有権者を魅了し共和党候補のニクソンを逆転。接戦の末、第35代アメリカ合衆国大統領となった。大統領としてはアポロ計画の推進、人種差別の撤廃、ベトナム戦争への増兵、キューバ危機の回避などを行った。1963年11月22日、翌年の大統領選挙キャンペーンでテキサス州・ダラスを訪れていたジョン・F・ケネディはパレード中に銃弾二発を浴び、うち一発が後頭部に当たり死亡した。数々の陰謀説などが唱えられたが、背後関係は未だ不明で犯人もわかっていない。享年46歳。