ジョン・F・ケネディ

アメリカ合衆国大統領

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ジョン・F・ケネディの名言

ジョン・F・ケネディの過去の名言をまとめた名言集です。

  • 人は死に、国は興亡するかもしれない。しかし思想は生き続ける。

  • 勝ち戦には100人もの将軍が名乗り出るが、負け戦は1人で責任を負うのみだ。

  • 我々には、かつてなかったようなことをしようとする人間が必要だ。

  • 感謝の気持ちを表す時、賛美を表す最高の方法は言葉ではなく、ともに歩むことだと忘れてはならない。

  • 民主主義は完全ではないかもしれない、しかし少なくとも国民を守る塀を築く必要はなくなる。

  • あなたの希望を叶えることを、恐怖に妨げさせてはいけない。

  • 我々に必要なのは、過去にないことを夢見ることができる人間だ。

  • 一人の人が社会を変えることができる、そしてそれを皆が挑戦すべきだ。

  • 学問を伴わぬ自由は危険であり、自由を伴わぬ学問は空虚である。

  • 我々は真に勇気ある人間であったか?

  • 私は大統領になる時に若すぎると言われた。君は野球をするには年を取りすぎだと言われた。しかし今、どちらも全く的外れであることがわかった。

  • 人は他人とは違う何事かをなすことができる。だったら誰もがそうすべきである。

  • 同調は自由の看守であり、成長の敵である。

  • 我々は闇を呪うためにここにいるのではない、我々を闇から安全で健全な将来へと導くゆりかごに光を照らすためにここにいるのだ。

    出典:  大統領候補への指名受諾スピーチ

  • 成功は千人の方々のお陰です。でも、失敗はあなた一人の責任です。

  • 思い切って悲惨な失敗をする勇気のある者は、大成功を収め得る。

  • われわれは時間を道具のように使わねばならない。すがりつく松葉杖としてではなく。

  • 知識が増すほど、われわれの無知が明らかになる。

  • 良い成果を上げる政府の基礎となるのは、国民の信頼である。

  • やらねばならないことをやる。個人的な不利益があろうとも、障害や危険や圧力があろうとも。そしてそれが人間倫理の基礎なのだ。

  • 目的と方向性がない場合、努力と勇気だけでは不十分である。

  • 民主主義においては、有権者の無知が全国民の安全を損なわせる結果となる。

  • 我々は立ち止まり、人生に影響を与えてくれた人物に感謝する時間を作らねばならない。

  • 大きな危機は偉大な人間を作り、偉大な勇気ある行動を生み出す。

  • もはや自己満足のために事実を秘匿するような時代ではない。混乱のためではなく、大衆を目覚めさせるために警告を発しようではないか。

  • あなたの敵を許しなさい。だが、その名前は決して忘れるな。

  • 我々は、望みに向かって進むとき、恐れに行く手をふさがれてはならない。

  • 如何なる犠牲、如何なる危険を伴おうとも、すべての危険の中で最も大きな危険は、何もしないということである。

  • 我々すべてが等しい才能を持っているわけではない。しかし、我々すべては才能を伸ばす等しい機会を持つべきだ。

  • その道が千里またはそれ以上であったとしても、この国土の、この時代の我々が、その第一歩を踏み出したことを歴史に記録させようではないか。

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ジョン・F・ケネディについて

ジョン・F・ケネディは第35代アメリカ合衆国大統領。テキサス州ダラスでの遊説で、パレード中に射殺された。犯人は未だに不明。

1917年アメリカ・マサチューセッツ州ブルックライン生まれ。ケネディ家はジョンの祖父が事業に成功し、有力な民主党員でもあった。父のジョセフも実業家で映画や株の投資で財を成し、ルーズベルトの大統領選に資金援助した縁で英国大使も務めた。1940年にハーバード大学を卒業すると、1941年海軍に入隊。第二次世界大戦でジョン・F・ケネディは、魚雷艇PT109の艦長としてソロモン諸島で日本軍と対峙した。しかし、航行中に日本軍の駆逐艦「天霧」と衝突して船が大破。ケネディは近くの島に生存していた仲間を導いて救命した。この功績によりケネディは海軍から勲章を受けている。1945年ジョン・F・ケネディは健康不安を理由に海軍を除隊。

1917年ジョン・F・ケネディは下院議員選挙に29歳の若さで立候補し当選、5年間下院議員を務めた。1952年上院議員に鞍替えして立候補し当選。上院議員時代は弟ロバート・ケネディとともに組織犯罪と労働組合の腐敗を追及する「上院マクレラン委員会」で活躍。トラック運転手組合とマフィアの癒着を暴くなどして徐々に名が知られるようになった。1956年の大統領選ではアドレー・スティーブンソン大統領候補の副大統領候補として出馬。予備選挙で敗れたがその風格ある演説で注目を集め、後の大統領選挙への足がかりを築いた。1960年大統領選挙でジョン・F・ケネディは民主党の大統領候補として出馬、テレビ討論会で有権者を魅了し共和党候補のニクソンを逆転。接戦の末、第35代アメリカ合衆国大統領となった。大統領としてはアポロ計画の推進、人種差別の撤廃、ベトナム戦争への増兵、キューバ危機の回避などを行った。1963年11月22日、翌年の大統領選挙キャンペーンでテキサス州・ダラスを訪れていたジョン・F・ケネディはパレード中に銃弾二発を浴び、うち一発が後頭部に当たり死亡した。数々の陰謀説などが唱えられたが、背後関係は未だ不明で犯人もわかっていない。享年46歳。