野村克也

プロ野球選手、監督

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野村克也の名言

野村克也の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 敵に勝つより、もっと大事なことは、常に自分をレベルアップすること。

  • 俺は怒ったり、カッとなることなどない人間だ。ボヤくだけや。感情に走ると勝利はこぼれ落ちる。平常心なき者は、勝負ごとで力を発揮できないからだ。

  • 「この監督の言うとおりにやっていれば必ず結果は出る」そのように思わせることが何よりも大切だった。

  • 結果が求められるからこそプロセスが大事なのだと私は考える。

  • 重荷があるからこそ、人は努力するのである。重荷があるからこそ、大地にしっかりと足をつけて歩いていける。

  • 大きな大会で勝つチームというのは「実力」以外のところで差が出る。それほどのレベルになると、出場チームの力は拮抗するからね。それは「腹を決めて勝負しているか否か」ということ。ひとことで言えば「覚悟」だ。

  • 第1段階は「強い欲を持つ」ことだ。「優勝したい!」「稼ぎたい!」。こうした目標や夢があれば、「絶対に勝ちたい!」という執念が宿るもんだよ。すると「勝つには何をすればいいか」「足りないものは何か」と自ら努力し始める。

  • 大人になってからの恥は、屈辱的だ。プライドはずたずたになり、気持ちも揺さぶられる。しかし、そうやって深く沈んだ時こそ、人は高く飛び上がれるものだ。恥を存分にかいたのなら、存分に取り戻さなければ損だろう。

  • 野球は技術力には限界がある。その先は頭で考えるしかない。そこから先がプロの世界なんだよ。

  • 優勝というのは強いか、弱いかで決まるんじゃない。優勝するにふさわしいかどうかで決まる。

  • 問題は不調に見舞われた時、多くの選手が「技術」ばかりに目が向くことだ。「フォームが悪いのでは?」と悩み過ぎ、コーチや記者にまで意見を求め始める。そして迷い、むしろフォームが崩れ、また自信喪失という悪循環に陥るんだ。

  • 野球なら「走る」「打つ」「守る」。ビジネスなら「売る」「つくる」などだろうか。しかし、そんな王道の戦力だけが組織に必要なのではない。たとえば口が抜群に上手い人間、ユーモアを持つ人材だって、一芸に秀でるほどならば、必ず組織にとって替えが利かない戦力となる。主役だけじゃなく名脇役がいてこそ、物語は光るんだよ。

  • コンプレックスを持っている人間は、まず理想が高いんだ。「こうありたい」「ああなりたい」という高い理想が自分の中にある。その理想に届かない自分にいらだち、劣等感を抱いてしまう。ならば、つき合い方は簡単や。「武器」とする、に尽きる。

  • 「こうしたい」という執念があれば、見て、考えて、何かが得られる。

  • ぼやくのはそんなに悪い事じゃないと思う。だって、理想を描いているわけだから。

  • いい素材の選手を集めたからといって、それだけでチームが強くなるわけではありません。指導も大切ですが、それ以上に選手に進歩しようとする気持ちがあることが強くなる絶対条件です。

  • 反省などしていないで前を向こうという人もいますが私の考える反省は未来へ向かっている。常に前を向いて省みるから次のステップへ進める。

  • 「弱い相手からは、必ず先に点をとれ」。南海で選手だった頃、鶴岡一人監督に徹底して叩きこまれた考え方が、それだった。弱いチームは心が弱い。失点すると「また負けだ……」とすぐ心が折れる。だから先制点で出鼻をくじけば、いとも簡単に自ら調子を崩す、というわけだ。

  • ミスを恥と思わないヤツは見込みがない。その証拠にダメなチームほど「ドンマイ!気にするな!」と言い合っている。

  • 「野村の野球」とは、結果ではなくプロセスを大事にすること。目標を掲げ、そのために何を考え、何をするかが大事なんだ。すべてそうでしょ。

  • チームのために犠牲になっても評価されないのであれば、選手が個人成績だけを追求するようになるのは当たり前。

  • 不器用を恥じることはない。不器用なことを認識していれば、熱心に研究するし、対策を考える。

  • 相手を研究するのも大事だが、もっと大事なのは自分を研究することだ。

  • 運は、すべて「準備を怠らなかった」から引き寄せられたとも思っている。いつかチャンスが来るから、と信じて練習を続けたからな。準備さえできていれば、突然、目の前に現れるチャンスを逃がさずつかめる。努力なき者はこれができない。それこそが幸運・不運を分ける正体じゃないかな。

  • ひらめきというと、直感的な思いつきや、突然アイデアが降ってくるようなものと考えている節がある。それはまったく違う。それまで得てきた知恵や知識を少しずつ蓄積してはじめて、いままでにないユニークな発想が生まれてくるんだ。

  • 「仲がいいか悪いか」で人選するような組織に属す者は、能力よりも処世術を磨くようになる。仕事ができる人間より、おべっかがうまい人間が重用されるようになるからな。それでは、勝負の世界で勝てるチームができるはずはない。

  • プロ5年目から突如打てなくなってしまいました。なぜ打てないかを考えてみたところ、どうやら自分はプロでやるには不器用すぎるという結論に行き当たりました。ストレートを待っているところにカーブが来ると、とっさに反応できないのです。いくら練習でバットを振っても打てるようにならないはずです。こうなったら、読みの精度を上げるしかない。そう思った私は、データを集め、他チームのバッテリーの配球を徹底的に分析しました。

  • 努力に即効性はない。コツコツやるしかない。いつの時代にもいる一流選手と自分は何が違うのか。それを考えながらやるしかない。

  • 自分は特別だという自信と、自分なんて普通の人間だという謙虚さ、その両方を持つ人間がプロとして頭角を現す。どちらかに傾くと消える。

  • 「お前を絶対に信じている。任せたぞ」と伝えることで、選手に責任感と覚悟が芽生える。

野村克也について

野村克也は捕手としてプレーしたプロ野球選手、プロ野球監督。現役時代は強打の捕手として活躍し、戦後初の三冠王を達成、出場試合数、通算本塁打、通算安打数はいずれも歴代2位。監督としても南海、ヤクルト、阪神、楽天を通算24年にわたって指揮し、監督試合数歴代は3位。

1935年京都府京丹後市生まれ。中学二年から野球を始め、高校は京都府立峰山高校に進学。峰山高校は弱小チームで野村も全くの無名選手であり、プロからのスカウトはなかった。それでもプロ野球の夢を諦めず南海のプロテストに合格。テスト生として入団した。野村克也は肩が弱かったが、2年目には2軍で打率2位を残すなど打力の評価は高く、南海の捕手の選手層が薄かったこともあって3年目には捕手のレギュラーに定着した。4年目に野村克也は打率.302、30本塁打、94打点の好成績を残しホームラン王を獲得。以降、強打の捕手として活躍し、1961年〜1968年まで8年連続ホームラン王、1965年三冠王など輝かしい成績を残す。1970年35歳で現役のままプレイングマネージャーとして監督に就任。監督、4番、捕手を同時に務めたが打棒は健在でこの年は打率.295、42本塁打、114打点の好成績を残している。以後1977年まで野村克也は8シーズンにわたって監督を務め、リーグ優勝を1度達成した。1977年南海の監督を解任されるが、現役続行を希望し1978年ロッテに移籍。1979年、1980年は西武でプレーし現役を引退した。

1990年ヤクルトの監督に就任。野村克也のデータを重視する野球は「ID野球」と呼ばれ、9年間でリーグ優勝4回、日本一3回という輝かしい結果を残した。1999年から2001年まで阪神タイガースの監督を務めるが、当時弱小チームだった阪神を変えることはできず、3年連続最下位となり解任。さらに野村克也は2006年、球団創設2年目の弱小チーム楽天ゴールデンイーグルスの監督に就任。1年目こそ最下位だったものの、2年目の2007年には4位となり球団創設以来初めて最下位を回避。4年目の2009年には球団史上最高の2位となりクライマックスシリーズ進出を果たすが、第2ステージで日本ハムに敗れた。好成績を残したものの、2009年オフに契約満了により惜しまれつつ楽天の監督を退任した。

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