千代の富士

相撲力士

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千代の富士の名言

千代の富士の過去の名言をまとめた名言集です。

  • いま強くなる稽古と、三年先に強くなるための稽古の両方をしなくてはならない。

  • 皆様、長い間応援して下さり、有り難う御座いました。月並みの引退ですが.....体力の限界。気力も無くなり、引退することとなりました。

    出典:  引退会見にて

  • 今日いい稽古をしたからって明日強くなるわけじゃない。でも、その稽古は2年先、3年先に必ず報われる。自分を信じてやるしかない。大切なのは信念だよ。

  • 頂上であって同時に崖っぷちなんだよ。

  • プロはいかなる時でも、言い訳をしない。

  • 自信は自分でつけていきたい。

  • 師匠であって、兄のようだといいますか、よく話し合える仲なんです。何を言われても、素直に聞き入れることが出来るんです。

    解説:  師匠の九重親方(元横綱・北の富士)について

  • 不労所得。ちょっときまり悪いねぇ。

    解説:  不戦勝して

  • ここまでくれば「何が何でも並びたい」「何が何でも抜きたい」とみずからハッパをかけて土俵に上がった。

    解説:  大鵬の持つ45連勝の連勝記録にあと一勝と迫ったときの言葉

  • 連勝記録もいい励みになる。

  • 礼に始まり、礼に終わる。勝った喜びより、敗者を敬うことを重んじる。それが相撲道だ。

  • 場所前の手形の押しすぎで、土俵にまで手形を押しちゃったよ。

  • 気持ちはまだ26か27。次の目標は25回目のV。

  • 私が第58代横綱に昇進した時、師匠だった当時の九重親方の最初の言葉は、「おい、千代の富士。やめるときはスパッといこうな」だった。

  • 横綱の名を汚さないよう、一生懸命頑張ります。

    解説:  横綱推挙伝達式での口上

  • 次の目標は、1001勝です。

    解説:  大相撲通算1000勝を達成した際、次の目標を聞かれての答え

  • 貴花田との一番に敗れ、「ああこれで」と感じた。

    解説:  1991年夏場所、当時18歳だった前頭筆頭貴花田に敗れた一番を振り返って。この一番は千代の富士の引退につながったとされる。

  • 流した汗はウソをつかない

  • やっぱりベテランは怖いね。右足を蹴られちゃったよ。でも、白星という薬をいただいたから大丈夫だよ。

千代の富士の名言を見ている方へお薦めする名言

千代の富士の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

千代の富士について

千代の富士は「ウルフ」、「小さな大横綱」の愛称で親しまれた、第58代横綱。優勝回数31回は歴代3位。

1955年北海道松前郡福島町に生まれる。中学校では陸上の選手だった。その運動神経を見込んだ九重親方(千代の山)に勧誘され、中学校卒業後に各界入り。1974年千代の富士が19歳のとき十両昇進、翌年には初入幕を果たす。その後は肩を脱臼してそれが持病持病となりやや苦しんだが、1981年1月場所で初優勝し、大関に昇進した。1981年7月場所には2度目の優勝を果たし、千代の富士は第58代横綱となった。1981年はさらに横綱として11月場所も優勝し、年間3場所優勝。1982年は4場所優勝し、千代の富士は現役最強力士と言われるようになった。

怪我などもあり翌1983年は2場所、1984年は1場所の優勝に留まり、30歳を迎えようとしていた千代の富士には限界説が囁かれ始めた。しかし、1985年に4場所、1986年は5場所優勝。1987年には歴代3位の53連勝を記録。30歳を迎えてなお強さを増していき、20代での優勝回数は12回なのに対し、30代で19回優勝した。1989年には国民栄誉賞を受賞、1991年には度重なる怪我により休場を繰り返したのち、5月場所で1勝3敗となったところで引退を発表した。引退後は親方となり大関・千代大海、小結・千代天山などを育てた。2016年膵臓癌により死去。享年61歳。