ベーブ・ルース

メジャーリーガー

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ベーブ・ルースの名言

ベーブ・ルースの過去の名言をまとめた名言集です。

  • 簡単ではないかもしれない。 でもそれは「できない」 という理由にはならないんだ。

  • 諦めない奴には絶対に勝てない

  • 三振したとき何を考えるかって?ホームランを打つことを考えるよ。

  • 英雄は忘れられることがない。でも伝説は、死ぬことがないんだ。

  • 偉大な指導者がいないことが問題だと言われているらしいけど、私はそれについて行く人たちの問題じゃないかと思う。医者や技術者や経済学者など、ついて行くに値する頭のいい人たちがいる。でも民衆は代わりにに私に喝采を送るんだ。

  • ピッチャーがストライクを投げるということは、次のホームランのチャンスが生まれることなんだ。

  • 人生は試合みたいなものさ。あまり真剣に考えないほうがいいんだ。

  • 助言を受けることをためらってはいけない。そこにはいつも新しい学びがある。

  • ファンは、2塁打を3本飛ばすんじゃなくて、ホームランを1本打つのを見に来てるんだ。

  • 三振を恐れてちゃ、 何もできないよ。

  • 昨日のホームランで今日の試合に勝つことはない。

  • チームが全体としてどうプレーするかが成功と失敗を分ける。世界で最高の選手を集めても、手を取り合ってプレーしなければ無価値なんだ。

  • 簡単ではないこともあるが、君にはできる。世界は君のものなのだから。

  • 守備の甘いところへ打つのがコツなんだ。 だから俺は場外へ向けて打つ。

  • 野球は過去も、今も、将来も、僕にとってこの世で最高の競技であり続ける。

  • ホームランの心理学だと?学問で球が打てるか

  • ホームランを打ちたいなら、思いっきり振ることだね。

  • 私は子どもの頃、大勢の人に迷惑をかけ続けていました。それから立ち直ることができたのは野球のおかげです。どうか、ここに集まった少年諸君が、野球で心と体を鍛え立派な人になって下されることを望みます。

  • 三振の恐怖で尻込みしてはならない。

  • 俺は思いっきり振る。渾身の力を込めてな。でっかく当たるか、でっかく外すかのどっちかだ。俺はできる限り、でっかく生きたいんだ

  • 野球をしていなかったら、刑務所か墓地に入っていただろうね。僕は父親や兄と同じように暴力的な気性なんだ。二人とも街でカッとなって喧嘩して死んだよ。

  • おれが信じる験担ぎはただ一つ。ホームランを打ったときはかならず全部のベースにさわることだ。

  • ゴルフに逆転ホームランはない。ゲームの勝敗は、ほとんどが自滅によって決する。

  • どうやったらホームランを打てるか。 できる限り強くバットを振り、ボールを振りぬこうとする。バットを強く握れば握るほどボールを振りぬくことができるし、ボールも遠くに飛ぶ。私は自分の持っているすべてをかけてバットを振る。大きく打つか大きく外すか二つに一つだ。私はできる限り大きく生きたいんだ。

  • 野球はこの世で最も偉大な競技だ。それは最善を尽くすに値するんだ。

  • 簡単でないこともあるが、君にはできる。世界は君のものなのだから。

  • きつい練習をしろ。長い練習をしろ。

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ベーブ・ルースの残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

ベーブ・ルースについて

ベーブ・ルースはアメリカ合衆国メリーランド州ボルチモア出身のプロ野球選手。本塁打王12回、打点王6回、首位打者1回、MVP1回など数々のタイトルを獲得。1927年には当時メジャーリーグ史上最多の60本塁打を記録、この記録は1961年にロジャー・マリスに破られるまでメジャーリーグ史上最多だった。さらに生涯本塁打数714本も1974年にハンク・アーロンに破られるまでメジャーリーグ記録であり続けた。アメリカにおいてメジャーリーグの人気を定着させた最大の功労者とも言われるスーパースター。

1895年アメリカ・メリーランド州ボルチモア生まれ。父は酒場を経営していた。ベーブ・ルースは幼い頃から不良少年であり、近所の子供と喧嘩をしたり、学校をサボるなどしていた。父は酒場の仕事が忙しく、母は病弱であったため、そんなベーブ・ルースを持て余し、7歳のときにセント・メアリー少年工業学校という全寮制の学校に送られ、両親と離れて19歳まで12年間全寮制のこの学校で暮らした。野球部に入部するとエースで主軸打者を務めてスカウトの目に止まり、1914年ボストン・レッドソックスに入団。この年さっそくメジャーリーグデビューを果たし4試合投手として登板、初勝利も上げた。翌1915年は投手として先発ローテーション入りを果たし、18勝8敗防御率2.44と投手として大活躍。チームもワールドシリーズで優勝した。1916年は投手として更に進化を見せ、23勝9敗防御率1.75で、最優秀防御率のタイトルまで獲得した。1917年も24勝13敗、防御率2.01の活躍を見せた。第一次世界大戦により、期間が短縮された1918年シーズン、ベーブ・ルースは投手としてだけでなく外野手としても出場する機会が増える。投手としては13勝7敗、防御率2.22、打者としては打率.300、本塁打11本、66打点で初のホームラン王にも輝いた。この年、ベーブ・ルースはメジャーリーグで初めて投手として10勝し、かつ打者として10本塁打を記録した。翌1919年シーズンは投手で 9勝5敗、防御率2.97、打者で打率.322、29本塁打114打点で、打点王とホームラン王を受賞。その年のオフ、レッドソックスとの給与交渉が不調に終わりヤンキースに金銭トレードされた。1920年シーズンからは野手に専念しいきなり打率.376で54本塁打を放つなど打棒が開花。ヤンキースに所属した15年間で10度のホームラン王、5度の打点王、1度の首位打者を獲得。1935年ブレーブスに入団するが、目立った活躍はできず、1935年シーズンをもって引退。その後ドジャースのコーチに就任するがわずか1年で辞任している。1948年ベーブ・ルースは肺炎により死去した。享年53歳。