イニエスタ
サッカー選手
イニエスタの名言
イニエスタの過去の名言をまとめた名言集です。
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時の経過には抗えません。いつかサッカーを辞めるときが来ます。一つはっきりしているのは、引退後もサッカーに関わりたいということです。現時点でどのように関わるかかはわかりませんが、サッカーに関わることは間違いありません。サッカーこそが僕の人生なのです。
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ある人はあなたを好きになり、ある人はそうならないでしょう。最後には自分自身であるしかないのです。
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昔は私にも憧れの選手や好きなチームがありました。でも今は、観戦した全ての試合から学ぶことに喜びを感じています。
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小さい選手は感覚を研ぎ澄まし、予測をし、ボールを持とうとします。90キロの選手は60キロの選手と同じように動けません。私はいつもピッチ上で、はるかに大きな選手とプレーしています。そこで私はボールに絡むことに努めています。私が勝てるのはボールの扱いだけだからです。
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すべての選手に共通する思いは勝ちたいということだけです。それによって障害を乗り越え、目標のために戦うのです。
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なんの犠牲も払わずに勝利するのも楽しいでしょう。しかし、苦労したときほど満足感は大きいものです。
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私は自分のチームを助けるために、自分のサッカーをお見せするために日本に来ました。それによって、クラブや日本サッカーがより一層発展することを祈っております。
出典: ヴィッセル神戸への入団会見
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私がヴィッセル神戸への入団を理由は、提示されたプロジェクトが非常に興味深いものだったからです。私を非常に信頼してくれました。人として、プレーヤーとして私を信頼してくれました。そこが大きかったです。
出典: ヴィッセル神戸への入団会見
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私は偉大なサッカー選手として記憶されたいと願っています。サッカー選手をしていなければ普通の人間ですから。
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サッカーでは完璧などというものは存在しないんです。
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人間には自分でも想像もしないようなことができる瞬間があるものです。
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日本は素晴らしい国で、日本文化は素晴らしいです。できるだけ早く日本に馴れて活躍したいと思っています。日本の生活を楽しみながら、プレーも楽しみ、早くチームの一員になりたいと思っています。
出典: ヴィッセル神戸への入団会見
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私は自分がスターだと思ったことはありません。
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人々が私に敬意を払ってくれて、私を好きでいてくれていると感じる時、私は幸せを感じます。
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どんな背の高さや、体の大きさでもサッカー選手になれるんです。
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日本に来て一番重要なのは、文化に溶け込むことだと思います。皆さんと同じような国民の一員になりたいと思っています。私の家族もそうです。私たちの祖国の文化とは違いますが、できるだけこの文化の一部になりたいと思っています。
出典: ヴィッセル神戸への入団会見
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プレーの多くは内側から生まれてくる、直感的なものです。それが私のやり方なんです。
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サッカーではじっくり考える時間は与えられません。思いついたままに行動するんです。
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ラ・マシア(バルセロナの育成組織)は、たくさんの選手がともに暮らす場所ですが、一人一人が自立しているんです。
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日本のサッカーをとてもリスペクトしています。日本のプレーヤーについてもそうです。非常に技術が高く、考えてプレーしていますし、コンビネーションもよく使います。Jリーグについても、日本代表についても良く知っています。非常にレベルの高い選手が多いと思っています。
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人々はサッカー選手を手の届かない存在のように考え、僕らが問題を抱えていないかのように思っていますが、僕らも人間なんです。もちろん恩恵も受けますが、現実にはみなさんと同じなんです。
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今日の私を作ってくれたのはバルセロナとラ・マシア(バルセロナの育成組織)です。本当に感謝しています。
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助けが必要なとき、それを求めることが必要です。そのために専門家がいるのです。彼らを活用しなくてはいけません。
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できる限り長くサッカーをプレーしたいと思っています。
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サッカーを見るのは好きです。どんなチームでも、どんな選手がプレーしていても楽しいものです。
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私は人前で話すよりもサッカーをプレーするのが好きですが、人前で話すのを求められることも増えました。そのときはできる限りのことをして皆さんに心地よく感じてもらえるように努めています。私にとっては時に難しいこともありますが、全力を尽くしています。
イニエスタの名言を見ている方へお薦めする名言
イニエスタの残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。
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アマチュアは問題を複雑にし、プロは問題をシンプルにする。
カルロス・ゴーン 元日産自動車CEO
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自分一身に降りかかる労苦を何とも思わないような人でなければ、どうして天下国家の人々を幸せにすることができようか。
吉田松蔭 教育者、思想家
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一番大事なのはアナログの感性。美しいな、良いなという気持ちに対して人はお金を払うことになる。
松井道夫 元松井証券社長
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「日本代表になる」「海外でプレーする」と、プロ入り当時は全く描いていませんでした。まずは「浦和レッズで試合に出られるようになりたい」と。試合に出られるようになれば、「タイトルを獲りたい」になり、叶ったら「日本代表になりたい」になったし。日本代表でプレーすることになってからも、「日本でプレーしていたら成長は緩やか」という感覚があったので、「海外行ってみたい」気持ちになりました。
長谷部誠 プロサッカー選手
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作家も、なかなか芽が出なくてもへこたれない、したたかな鈍感力がないと続かないよね。僕が新人作家のころ、故・有馬頼義先生が主宰していた「石の会」という新人作家の会があってね。一応、全国区の新人賞はとっても、直木賞や芥川賞の手前という連中が集まっていたんだけど、生き残ったのは、いい意味で、したたかでたくましい人たちだよ。
渡辺淳一 小説家
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海外では「グローバルで活躍しない人」が頑張れるんですね。最初は語学力とパソコンと思ってましたけど、英語をうまく話せなくても、一生懸命、前向きに頑張る社員が成功しますね。目の前のスタッフに一生懸命に教える人。自分に厳しい人は、人に優しいもんじゃないですかね。優しさと一生懸命さ、これがあればグローバルということじゃないですか。
矢野博丈 ダイソー創業者
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市場は、さまざまな種類の顧客、製品、ニーズから成り立っているため、マーケティング担当者は、どのセグメントが企業の目的達成のために最良の機会を提供するかを判断しなければならない。
フィリップ・コトラー 経営学者
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人の仕事はこれまで、色々学ばせてもらったことへのお礼。いつも人の役に立っているという、心棒がなければそれは仕事ではない。
灰谷健次郎 児童文学作家
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希望は戦略ではありません。幸運は要因ではありません。恐れは選択肢にありません。
ジェームズ・キャメロン 映画監督
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夢を実現するには、まずは「緊急ではないが大切なこと」を手帳に書き込んで、時間をしっかり確保すべきです。その次に、他の時間を使って、「緊急で大切なこと」の予定を入れていく。この習慣をつければ、緊急の仕事ばかりに時間を奪われることも減るでしょう。
渡邉美樹 ワタミ創業者
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研究というのはアイデアひとつ、努力で色々なものが生み出せる。日本は天然資源が限られている現実があるが、研究成果は無限に生み出せる。それが国の非常に大きな力にもなるし、病気で苦しんでおられる方の役にも立つ。一人でも多くの方が研究に参加してほしい。そのような人が安心して研究できるような環境を、私たちがさらにつくっていきたい。それに微力ながら貢献したい。
山中伸弥 医学者、iPS細胞の開発者
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まず営業の主義を社会の利益に立脚せんとしました。事業の生命は社会と共に永久であるからであります。
出光佐三 出光興産創業者
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社員に「ありえない」というところまで考えていいんだと伝えたい。そして今後も、任天堂がそういう会社でいられたらカッコいいなと思いますね。
岩田聡 元任天堂社長
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本を出すようになったのは、著者になろうと思っていたわけではなくて、そこまで投資顧問も忙しくなかったのと、周りから「書け」「書け」と言われていたから書いてみようかなという気持ちでした。みんなキャリアというと、きちんとゴールや道筋があるイメージだと思います。私はドリフトという表現を使っていますが、ふらふらしているわけです。
勝間和代 公認会計士、経済評論家
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人間は生まれも育ちも不公平だが、たったひとつ公平なものがある。それは、1日24時間という有限で貴重な「時間」という資源だ。時間をいかに有効活用するか。時間との戦いである陸上競技での勝敗はこの1点で決まる。
原晋 陸上指導者
イニエスタについて
イニエスタはバルセロナ、ヴィッセル神戸でプレーしたスペイン人サッカー選手。12歳でバルセロナの下部組織に入団すると、高い技術が評価され18歳の若さでトップチームにデビュー。以降、シャビ・エルナンデス、リオネル・メッシらとともにバルセロナの黄金時代を支えた。2017-18シーズン終了後、契約満了をもってバルセロナを退団。新天地が注目される中、Jリーグのヴィッセル神戸に入団することが発表された。年俸はJリーグ史上最高額の年俸32億5000万円で、3年契約とされる。
1984年スペイン・アルバセテ、フエンテアルビージャ生まれ。8歳で地元のプロサッカークラブ、アルバセテ・バロンピエの下部組織に入団。そこで卓越した技術を見せて注目を集め、多くのクラブから引き抜きの勧誘を受けた。両親がバルセロナの下部組織のコーチをしていたエンリケ・オリザオラと知り合いだった縁で両親とバルセロナの下部組織を見学し、バルセロナへの入団を決断。12歳の時にバルセロナの下部組織へと入団した。バルセロナでも高いテクニックが早くから注目を集める。イニエスタが15歳の時、プレーを見たジョゼップ・グアルディオラがシャビ・エルナンデスに対し「あの坊やが俺たち二人を引退させるかもしれない」と話したという逸話は有名。2000-01シーズンからイニエスタは下部組織の最上位であるバルセロナBでプレーし、2002-03シーズンにトップチームに昇格。2002年10月29日、チャンピオンズリーグのクラブ・ブルージュ戦でトップチームデビュー。18歳の若さだった。
当時バルセロナの監督だったフランク・ライカールトによってトップチームに引き上げられたイニエスタは、2002-03、2003-04シーズンはおもに途中出場でプレー。2年間で26試合に出場し2得点をあげた。そして2004-05シーズンからは主力に定着。リーガ・エスパニョーラ、コパ・デル・レイ、チャンピオンズリーグ合わせて46試合でプレーし2得点をあげた。このシーズン、リオネル・メッシをトップチームに昇格させたバルセロナはリーガ・エスパニョーラで優勝を果たした。翌2005-06シーズンにはリーガ・エスパニョーラ、UEFAチャンピオンズリーグの両方を制覇した。しかし2006-07シーズン、2007-08シーズンは無冠に終わり、監督のフランク・ライカールトは退任、代わってジョゼップ・グアルディオラが監督に就任する。
ジョゼップ・グアルディオラの下で、バルセロナは前線からのハイプレスと安定したビルドアップによって高いポゼッション率で相手を圧倒するチームに変貌、2008-09シーズンにはリーガ・エスパニョーラ、コパ・デル・レイ、チャンピオンズリーグの三冠を達成した。ジョゼップ・グアルディオラが指揮した四年間でバルセロナはリーガ・エスパニョーラ3回、チャンピオンズリーグ2回、コパ・デル・レイを2回制覇。バルセロナが展開したハイプレスをベースにしたポゼッションサッカーはサッカーの戦術に革命を起こしたと称賛された。
グアルディオラ退任後、イニエスタはさらに6年間バルセロナでプレーし、リーガ・エスパニョーラ4回、コパ・デル・レイ4回、チャンピオンズリーグ1回の優勝に貢献。2014-15年シーズンにはルイス・エンリケ監督のもとで再びリーガ、コパ、チャンピオンズの三冠を達成している。2012年にはイニエスタはFIFAバロンドールの最終候補に選ばれ、3位となっている。2017-18シーズンをもってバルセロナを対談したイニエスタは、Jリーグのヴィッセル神戸へと入団。年俸32億5000万円はこれまでの記録を大幅に更新するJリーグ史上最高額となった。