クリスティアーノ・ロナウド
サッカー選手
クリスティアーノ・ロナウドの名言
クリスティアーノ・ロナウドの過去の名言をまとめた名言集です。
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7歳のとき、父にマイケル・ジャクソンのような家が欲しいと言ったんだ。父は「それはお金持ちの特権なんだよ。夢は夢なんだ。」と私に言った。私はおとなになって夢を実現したけど、父がそれを見られなかったこち、私が達成したことを見られなかったのは悲しい。でも父は空から私を見てくれていると感じるんだ。
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僕の人生の中でも特別な瞬間です。まず、父と母、家族と友人、代理人のジョルジュに感謝します。全員の名前を挙げなくてもいいだろう。みんなわかってくれているはずだから。そして、この賞をチームメイトに捧げたい。彼らがいなければ、このトロフィーを手にすることはできなかった。
解説: バロンドールを受賞して
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誰よりもいい仕事をした自負がある。今シーズンは、過去のどのシーズンよりも結果を残したと思う。他にも2、3人受賞してもおかしくない選手はいる。だけど、プレミアとチャンピオンズリーグを制して、これ以上バロンドールのために何が必要なんだ?
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あの夜、僕は脆弱になっていた。何千万人もが見守るテレビカメラの前で、号泣してしまいそうだった。ああいう大舞台で負けるのは、大嫌いだ。
解説: 2004年の欧州選手権決勝でギリシャに敗れて
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サッカーを好きな人なら、誰もがクリスティーナ・ロナウドのプレーを見たいと思っていることは間違いない。
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賞を受け取ると、いつも死んだ父のことを思うんだ。
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メスト・エジルが僕を世界最高の点取り屋にしてくれたんだ。彼は他の選手ができないプレーをするから、本当に驚かされる。しかもそれを偶然じゃなく、繰り返しできるんだ。彼はみんなに思われているよりも、さらに凄い選手だよ。
解説: メスト・エジルはレアル・マドリード時代のチームメートで、背番号10を付けていたテクニシャン
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僕に投票してくれた全ての人々、チームメートや監督、会長、レアル・マドリードに関わる人たちに感謝したい。僕にとってこれは夢なんだ。僕をより良い選手にしてくれた代表チームや、ポルトガルの人たちにも感謝しているよ。
解説: バロンドールを受賞して
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1回、2回、3回とフェイントを繰り返したらゴール前には誰もいなかった。
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僕が7番にふさわしい選手かどうかは歴史が判断する。
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世界最高のチームと契約できて、うれしいです。マンUに所属する、初のポルトガル人選手になれたことを誇らしく思います。そして、今後チームの勝利に貢献できることを楽しみにしています。
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背番号7は、大きな名誉であり、かつ責任が伴うね。マンチェスターの人はみな、ベストやカントナの話をする。後を継げるのは名誉なことだ。でも、背番号7は、僕にとっても特別なんだ。ルイス・フィーゴが、スポルティングでつけていた番号だからね。子供のときから憧れていたんだ。
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バロンドール受賞は幼い頃からの夢でした。だからこそ、私にとって特別な瞬間なのです。このトロフィーを、いつも支え続けてくれた家族に捧げます。
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この背番号に恥じないプレーをみせる。
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僕を傷つけようとする選手とシャツの交換をすることはないんだ。
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19歳で欧州王者になりたかった。だけど、前を向かないといけない。またいつか、欧州王者になるチャンスが来るはずだから、今回の落胆をバネにしないといけないんだ。
解説: 19歳で出場した欧州選手権は、決勝でギリシャに破れて準優勝に終わった。
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アレックス・ファーガソンが将来また復帰する可能性もあるよ。誰も予想しないことが起こり得るのが今の時代だからね。
解説: マンチェスター・ユナイテッド時代には名将アレックス・ファーガソンの下でプレーした。
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僕は9歳で、あの1994年アメリカW杯の決勝戦をマディラ島の実家で家族と一緒に見ていた。みんな、ブラジルを応援していた。でも、ロベルト・バッジョがPKを外してしまった場面は、永遠に忘れられない。
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花に囲まれていれば呼吸もよくなる。
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ウェイン・ルーニーにアドバイスすることはないね。彼は自分なりのスタイルを持っている。でも、彼は髪が増えて良くなったとは言えるね。今はとても格好いい。以前は少し醜かったけど、髪が増えて美しくなったよ。
解説: ウェイン・ルーニーはマンチェスター・ユナイテッドのチームメート。植毛をしたことで話題になった。
クリスティアーノ・ロナウドの名言を見ている方へお薦めする名言
クリスティアーノ・ロナウドの残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。
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自分にとって満足できるのは少なくとも誰かに勝ったときではない。自分が定めたものを達成したときです。
イチロー プロ野球選手、メジャーリーガー
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日々の仕事の中にも、ちょっとした好奇心を満たしてくれる発見や、人々との出会いがあるはず。それをもっと楽しめば、「今日は昨日の延長線上」という意識がなくなっていき、毎日、何かしら新しいことをしていると感じられます。
松岡修造 元プロテニスプレーヤー
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自分は韓国籍だから大学を出ても日本では認めてもらえない。アメリカで結果を出せば日本で評価される。
孫正義 ソフトバンクグループ創業者
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もし金だけが目当てだったら誰もジェフには来ない。金持ちクラブではないし、取り巻く環境も決していいとは言えない。それほど優れた選手がいるわけでもない。だから選手やスタッフの野心を高めていく以外にない。強い意志を喚起して、働く環境を整えていく。そのうえで集中的に仕事ができれば、それだけですでに素晴らしいことだ。
イビチャ・オシム サッカー監督
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私は当時、会社の指示を全部無視していました。でも、普通の企業でそんなことをしたらクビでしょう。私の場合は、小川信雄さんがいてくれたからできた。だから、小川信雄さん(日亜化学工業創業者)が経営に関与できなくなったとき、会社を辞める決心をしました。理由はそれだけではなかったけれど、それは大きな理由です。私を擁護してくれる方がもういなくなったわけですから。私は企業に勤めてはいましたが、極めて特殊な環境にいたわけです。同じような環境を普通の会社でつくるのは難しいと思います。
中村修二 青色発光ダイオードの発明者、カリフォルニア大学教授
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私は何も発明していない。私の夢が発明したのだ。
トーマス・エジソン 発明家、起業家
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奉公至誠の念にすべて寸時もこれを離るべからず。
岩崎弥太郎 三菱財閥創始者
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聖域なし、問題は一つ。会社を復活させること。
カルロス・ゴーン 元日産自動車CEO
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私が現役の頃は、サッカーが楽しくて仕方がなかったが、時代が変わったのだろうか?顔を引きつらせ、拳を握りしめながらプレーする選手は、プレーを楽しんではいないし、サッカー選手というよりも陸上選手である。私は理想主義者だから、サッカー選手を求める。
ヨハン・クライフ サッカー選手、サッカー監督
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我が家の繁栄を捨て、身命をなげうって、無数の家を繁栄させることに努める。これが私の決意である。
二宮金次郎 農政家、幕臣
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日本人として金メダルを持ち帰れることはすごく誇りに思っています。
羽生結弦 フィギュアスケート選手
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自分の天分を見出し、存分に生かし切ること。それこそが真の成功である。
松下幸之助 パナソニック創業者
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世界を見渡しても僕のコンサートのように、あるときは国旗が舞い、何万もの観客がひとつになって拳を突き上げる光景というのは見たことがない。このひとつになるエネルギーがあるうちに我々は、正しいと思うことを社会や国や世界に表現する必要があるんです。巨大なエネルギーっていうのは一夜にできたものではありませんね。僕とファンがずっと長い歴史をつむいでつくってきたものなんですね。
長渕剛 シンガーソングライター、俳優
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最初から答えの出ていることは、他の人に任せればいい。他の人にできないこと、自分たちにしかできないことに挑むのが、ベンチャービジネスなのだ。
三木谷浩史 楽天創業者
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世界最高の気持ちです。まさか80歳でエベレストの頂上にたどり着くとは。
三浦雄一郎 登山家、プロスキーヤー
クリスティアーノ・ロナウドについて
クリスティアーノ・ロナウドはポルトガル人サッカー選手。ポルトガルのスポルティングCPの育成組織で育ち、のちにマンチェスター・ユナイテッドに移籍。マンチェスター・ユナイテッドでは2007-08シーズンにプレミアリーグ得点王、2008年には世界最高の選手に贈られるバロンドールを獲得するなど、世界でも有数の選手に成長、当時最高額となる9400万ユーロでレアル・マドリードに移籍した。クリスティアーノ・ロナウドはそこからさらなる活躍を見せ、5度のバロンドールに輝いた。2018年夏、入団時を上回る1億1700万ユーロの移籍金でイタリアのユベントスに移籍した。
1985年ポルトガルマデイラ島フンシャル生まれ。6歳で地元のサッカーくらぶ、CFアンドリーニャに入団。入団当初はディフェンダーをしていたが、のちに前線にコンバートされた。10歳で地元フンシャルのプロサッカークラブ「CDナシオナル」の育成組織に入団。12歳でポルトガルの強豪クラブ、スポルティングCPのトライアルを受けて合格。ポルティングに入団し、母親とともにリスボンに移り住んだ。
スポルティングで持ち前のドリブル突破とスピードを武器に順調にステップアップを果たしたクリスティアーノ・ロナウドは、2002-03シーズンからトップチームで初出場を果たし、25試合で3得点を記録。2003年8月6日、マンチェスター・ユナイテッドとのプレシーズンマッチで2得点を奪うと、マンチェスター・ユナイテッドの監督だったアレックス・ファーガソンに強い印象を与える。そしてプレシーズンマッチからわずか6日後の8月12日に1,224万ポンドの移籍でマンチェスター・ユナイテッドの移籍が決定した。マンチェスター・ユナイテッドでも移籍1年目からリーグ戦29試合に出場するなど突破力のあるウインガーとして活躍。しかし、この頃のクリスティアーノ・ロナウドはドリブル突破に大きく依存するプレースタイルで、ドリブルを封じられ全く活躍できなかったり、得点数も1年目リーグで4得点、2年目5得点とさほど多くなかった。そこで身体能力と体のキレを活かして、ゴール前でのシュートやヘディングシュートでチームに貢献するスタイルへと徐々に変化。得点数はそれに応じて伸び始め、2007-08シーズンには31得点をあげてプレミアリーグ得点王を獲得。チームもプレミアリーグとUEFAチャンピオンズリーグを制し、クリスティアーノ・ロナウドは2008年バロンドールに選ばれ、その年の世界最高の選手の称号を得た。
2009年夏、当時の移籍金最高額である9400万ユーロでのレアル・マドリードへの移籍が発表された。レアル・マドリードでのクリスティアーノ・ロナウドは得点力にさらなる磨きをかけ、サイドアタッカーでありながら得点を量産。1年目の2009-10シーズンにいきなりリーグで26得点をあげると、2年目には40得点で得点王を獲得。以降、2013-14シーズン、2014-15シーズンにも得点王を獲得。2013、2014年、2016、2017年にはバロンドールも受賞した。その間チームはラ・リーガを2度、コパ・デル・レイを2度、UEFAチャンピオンズリーグを4度制している。2018年夏、移籍金1億1700万ユーロでのユベントスへの移籍が発表された。