三浦知良

サッカー選手

  • Twitter
  • Facebook
  • Hatebu
  • Line
  • Copy

三浦知良の名言

三浦知良の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 常に何かに挑戦していれば輝きは失われない。挑戦してその結果が成功だとか、失敗だとかではない。挑戦したときがもう成功といえるのではないだろうか。

  • 人生もサッカーも量じゃない。質だ。シュートの練習もそう。2000本打とうが、ただ打っているだけだったら上手くはならない。30本でも1本1本気持ちを込めて集中したほうが断然上手くなる。

  • これまで本当にいいサッカー人生を送ってきた。でもそれは昨日までの話。今日もすぐに過去となる。明日をどんな1日にして、どう自分を高めるか。僕はそれだけを考えていたい。

  • 新天地での挑戦はいつだって、誰だって難しい。でも、人生は、いつの瞬間だって挑戦なんだ。

  • 自分があきらめてしまったら、どうしても悪いことが続くものだ。どんなときでも、謙虚な姿勢や、成長しようとする気持ちをもっていたい。上を向いている限り、絶対にいいことがある。

  • 人生でいちばん大切だと思う夢は、どんなに苦しいときでも見続けていたい。なかなか叶わないように思えても、夢を捨てたらすべてが終わってしまう。チャンスをつかめるときが来るまで、しっかりと自分を磨いていこう。

  • サッカーは僕の人生です。自分のすべてです。ただ、サッカーを人生そのものにするためには、遊びがなければいけない。

  • 遠回りした事で得るものがある。一足飛びで成功しないで良かった、と言える時もある。腐らず、未来をみつめる。今の僕もそんな気持ち。自分がこの先どうなれるのか、考えながらサッカーと向き合い続ける。「今さらなにを」と言われるかもしれない。でもこれは自分との勝負だから。

  • いつも必ず自分に勝てる強い人間なんて、そうそういるものではない。大事なのは、自分に負けたとき、「もっと強くならなければ」と願うことだ。そうして自分に勝ったり負けたりしなから、少しずつ進んでいけばいい。

  • 1センチでもいいから前に出る。前に出ようとする心を持つ。

  • もっとサッカーがうまくなりたい。その夢があるから、毎日、目標を積み重ねながら、現役プレイヤーとして挑戦し続けることができている。

  • 悔しさを乗り越えれば、人は必ず強くなれると信じている。

  • 日本にもブラジルにも、他のどんな国にも、良いところも悪いところもある。肝心なのは、今自分がおかれた環境の「良さ」を見つけることだろう。異なる環境での新たな発見は、必ず自分の成長の糧になるはずだ。

  • 学ばない者は人のせいにする。自分に何が足りないかを考えないから。学びつつある者は自分のせいにする。自分に何が足りないかを知っているから。学ぶことを知っている者は誰のせいにもしない。常に学び続ける人でいたい。

  • 何が支えになるとかいうことではなくて、プロは自分の道を極めるしかないからね。

  • 99回外しても、平然と100回目を蹴る。そういう精神構造でないとやっていけない。

  • 頑張れば必ず夢が叶うってわけじゃない。大事なのは、結果が出なくても人のせいにしないことじゃないかな。悪いときは、つい誰かのせいにするけど違うんです。自分自身に原因があるんです。僕はずっとそう思い続けてきました。

  • 海外には行ったほうがいいと思う。行くといろんなことがわかるから。日本の良いところも悪いところも、自分の良さも悪いところも。

  • 一生やるよ。自分からは辞めないと思う。でも俺にも、どこもクラブが雇ってくれなくなる時が必ず来る。それが現役生活の終わりだと思ったらそうだろうけどサッカーはどんなところでもずっと続けられる。プロじゃなくてもいいんだから。プロサッカープレイヤーでなく、「サッカープレイヤー」として。

  • 何事も失敗する確率の方が高いんだから。それでも、いいことが起きたときの喜びは、苦しいときの悲しみに勝るもの。総じて人生は成功も失敗も五分なんだ。そこで、あきらめる人とあきらめない人の差が出る。僕はあきらめないよ。またゴールを取って勝ちたいね。

  • 日々の目標に向かって努力する先に、夢の実現があると思います。今日を頑張り抜く、今日を乗り越えていくことしか考えていません。

  • 僕にとって、夢は生きるための原動力。だから、同年代の皆さんには、どんなことでもいいので、夢を持ち続けてほしい。

  • イエスかノーで判断されるのがプロの世界。叩かれるうちが花だし、選手はそれを乗り越えて大きくなるものだ。批判に耐える強い精神を持っていなければ、上のレベルにはたどり着けない。

  • 成功なんて、いつまでもぶらさがっていられるほど甘くないと思っている。

  • 失敗して、考え悩むこともあるだろうけど、立ち止まっていてはいけない。一気に100メートルも進まなくていい。1センチでもいいから前に進もう。

  • 「とにかく今日を一生懸命、精一杯やる」と思って練習を積み重ねるだけだ。そうして「気がつくとここまで来ていた」という生き方でいいんじゃないか。

  • 厳しい試合になるけど、でも可能性はあるよ。試合は0-0から始まるんだから。

  • 経験から言えば、いいことしか言われない時期は「まだまだ」なんです。悪いことを言われて初めて一流に近づく。それを越えてこそ一流じゃないかな。

  • あきらめる理由を探すんじゃなくて、あきらめない理由を探せ。

  • 自分にとってプロとして必要とされるということが一番大事。自分を本気で必要としてくれて、プロとして条件を満たすのなら考える。

三浦知良について

三浦知良は元日本代表のサッカー選手。愛称はカズ、またはキングカズ。15歳でプロサッカー選手を夢見てブラジルに渡ってサントスFCなどで活躍。1990年、23歳のときに日本に帰国して日本サッカーリーグの読売サッカークラブへと移籍。1992年には日本年間最優秀選手賞を受賞するなど活躍し、Jリーグを代表するスター選手となった。その後、日本、イタリア、クロアチア、オーストラリアで50歳を超えるまで長きに渡って活躍。プロリーグでの世界最年長得点記録を更新。選手寿命の長さでも注目を集めた。

1968年静岡県静岡市生まれ。父・納谷宣雄、叔父・納谷義郎、母方の叔父・三浦哲治がいずれもサッカーを指導しているというサッカー一家で、兄にはJリーグで活躍し、日本代表にもなった三浦泰年がいる。小学校のとき叔父の納谷義郎が監督を務める城内FCに入団。小学校4年生で両親が離婚し、三浦姓を名乗るようになる。1982年、静岡学園高校1年生のときに三浦知良はブラジルへのサッカー留学を決意。サンパウロ州のCAジュベントスに所属した。1986年にはサントスFCとプロ契約に成功するが、この時は出番には恵まれなかった。その後移籍を繰り返しながらステップアップを果たし、1990年にサントスFCに復帰。ブラジル全国選手権で活躍するなど、その名を高めた。

1990年、三浦知良はJリーグ発足を見据えて日本の読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ)に移籍。当初は適応に苦しんだものの、Jリーグ開幕前年の1992年に行われたJリーグカップで、10試合10得点の活躍を見せ、チームを優勝に導いた上に大会MVPにまで選ばれた。Jリーグ開幕後も活躍は続き、初年度の1993年シーズンには36試合20ゴールの活躍を見せ、Jリーグ初代MVPに輝いた。日本代表でも活躍し、1993年のアジア年間最優秀選手賞に選ばれた。1993年のワールドカップアメリカ大会アジア最終予選では、最終戦で勝利すると日本代表史上初のワールドカップ出場にまで迫ったが、ロスタイムに失点して引き分けに終わり、出場を逃した。この試合は後にドーハの悲劇と呼ばれるようになった。1994年シーズンも引き続き活躍し、22試合16ゴールを決めた。1994年夏に三浦知良は海外挑戦を決意。イタリア・セリエAのジェノアに移籍したが、22試合に出場して1得点に終わり、翌年ヴェルディ川崎に復帰。1995年は26試合23ゴール。1996年には27試合23ゴールで得点王にも輝いた。

しかし、1997年シーズンには怪我もあって得点数が伸びず、1997年は14試合4ゴール、1998年は28試合5ゴールに終わる。1997年、日本代表は史上初のフランスW杯出場を決めるが、三浦知良は翌年のワールドカップメンバーから最終選考で外されてしまう。1998-99シーズンからクロアチアのザグレブに移籍するも半年で帰国。その後、京都サンガ、ヴィッセル神戸、横浜FC、シドニーFC、横浜FCでプレー。30年以上に渡ってプロ選手としてプレーを続け、プロリーグでの世界最年長得点記録を更新した。

三浦知良の名言を見ている方へお薦めする名言

三浦知良の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。