マイケル・ジョーダン

プロバスケットボール選手

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マイケル・ジョーダンの名言

マイケル・ジョーダンの過去の名言をまとめた名言集です。

  • 私の体はどんな衝撃にも折れたりはしないが、ベンチで指を銜えているなんて精神がへし折れてしまうよ。

  • まだできるとわかっていて去ることを選んだ。ずっと辞めるときはそうしたいと思ってきた。

  • バスケットボールを心から愛したヤツがいた。ただ、それだけでいい。

  • 誰もが才能を持っている。でも能力を得るには努力が必要だ。

  • 第二のマイケル・ジョーダンは現れないだろう。そして私も他の選手にマイケル・ジョーダンになれとは言わない。

  • 仕事をこなすからこそ報酬が得られる。人生にショートカットなどない。

  • 新しいことにぶつかっても、基本を身につけていたので、すべてを理解することができた。

  • 成功したいと思うなら自己中心的でなければいけない。だがもし最高のレベルに達したなら、自己中心的であってはいけない。他人とうまく付き合い、一人になってはならない。

  • 人生で何かを達成したいと思うときは、積極的かつ、攻撃的にならなければならないと僕は自覚している。目標を決めたら、それに向かってひたすら努力するだけだ。何かを達成しようとする場合、受身の姿勢では絶対に達成することはできないと確信している。

  • 私は朝起きて自分の心に浮かんだことをしたいと思う、なんのプレッシャー感じず、なにか他のことをする義務もなくね。

  • あなたが信念とすることがなんであれ、それついて妥協してはいけません。それがどんなに早く現れて消えるものだとしてもです。他人に勝っていられる期間はいつも短く、長くて1年、1週間持たないこともあります。あなたが頂点ではないと感じる日、最高のあなたではないと感じる日が来るでしょう。でもあなたの信念は変わらないのです。妥協してはいけません。

    出典:  マイケル・ジョーダン、マーク・ヴァンシル「Driven from Within」

  • コーチとはあなたが考える限界の先を見て、あなたを卓越した存在へと導いてくれる存在です。

  • 心のすべてを注ぎ込めば、勝利するかどうかは問題ではない。

  • スタジアムの中には、今日が最初で最後のNBA観戦になる観客もいるはずなんだ。

  • ただプレーして、楽しく試合をすればいい。

  • 愛とは、すべての試合をまるで最後の試合であるかのようにプレイすることだ。

  • 失敗することなんていくらでも耐えられる。だけど挑戦しないでいることは僕には耐えられない。

  • 一度でもあきらめてしまうと、それが癖になる。絶対にあきらめるな。

  • ボールが手から離れたあとは、何もできないのだから。ボールを手から放したあとは、何も考える必要はない。

  • レーザーのように集中しなさい、フラッシュじゃいけません。

  • 僕のヒーローは両親さ。それ以外には僕のヒーローはいない。

  • 障害を前にして立ち止まることはない。壁にぶち当たっても、振り向いて諦めてはいけない。どうやってそれを乗り越えるか、突き進むか、回り込めるかを考え出すんだ。

  • 目標を達成するには、全力で取り組む以外に方法はない。そこに近道はない。

  • 色々あるだろうが、一つ重要なのは、今まさに君が尋ねたことを自分に問い続ける姿勢だよ。

  • 相手選手が僕との試合で最高のゲームをしたら、2度とはさせないようにする。

  • もし自分の弱みとされる部分に立ち向かわなければならなくなったら、僕はそれを強みに変えるやり方で乗り越えてきたんだ。

  • 私の父は私に「挑戦するのに遅すぎることはない。」とよく言ってくれたものだ。そして「挑戦するまで何ができるかわからないじゃないか。」と言うんだ。

  • 努力すれば報われるって、ずっと信じてきたんだ。

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マイケル・ジョーダンについて

マイケル・ジョーダンはアメリカNBAで活躍したプロバスケットボール選手。シカゴ・ブルズでプレーし、13シーズンでNBAチャンピオンを6回、MVPを5回、得点王を10回獲得する驚異的な活躍を見せ、バスケットボールの神様とも呼ばれた。ブルズで一度引退するが、NBAのワシントン・ウィザーズのオーナーの一人となったのち、チームの低迷を救うため現役復帰。ウィザーズでは2シーズンプレーした。また、ロサンゼルスオリンピックとバルセロナオリンピックではアメリカ代表チームに参加し、金メダルを獲得している。2009年、バスケットボール殿堂入りが発表された。

1963年ニューヨーク・ブルックリン生まれ。生まれてすぐに一家はノースカロライナ州ウィルミントンに引っ越す。父ジェームズは設備技師として、母デロリスは銀行で働いており、マイケル・ジョーダンは5人兄弟の4男だった。幼い頃から野球とバスケットボールをプレー。E・A・レイニー高校では野球、アメリカンフットボール、バスケットボールの高校代表チームへ入団を希望したが、バスケットボールチームからは180cmの身長が高校代表のチームでプレーするには低すぎるとして入団を断られてしまう。逆にそれで発奮したマイケル・ジョーダンはバスケットボールの2軍に入団し、そこで得点を重ね、身長が10cm伸びたこともあり、翌年には高校代表チームへ入団。平均20得点以上をあげる活躍を見せ、高校の全米代表チームにも選ばれた。

バスケットボールの強豪、ノースカロライナ大学から勧誘を受け、入団。1年時からプレーし、NCAAチャンピオン決定戦のジョージタウン大学戦で、残り17秒で逆転シュートを決め、チームは優勝。一躍有名選手となった。1984年のロサンゼルスオリンピックでは、アマチュア選手で構成されるアメリカ代表として出場し、金メダルを獲得。同年ドラフト1巡目3位でシカゴ・ブルズに入団した。

NBAの選手となったマイケル・ジョーダンは1年目から平均得点28.2点をあげるなど活躍を見せ、新人王を獲得。3年目の1986-87シーズンからは7年連続得点王に輝き、91年、92年、93年にNBAファイナルを3連覇する大活躍を見せる。1992年のバルセロナオリンピックでは、NBA選手からなるドリームチームの一員として金メダルを獲得した。 しかし、1993年7月、父の死をきっかけにして突如現役引退を表明。翌年には野球選手への転向を発表し、マイナーの2Aでプレーした。ところが1994年に起きたMLBのストライキで野球をプレーできなくなると、マイケル・ジョーダンはバスケットボールへの復帰を決意。1995年3月にシカゴ・ブルズに再び入団した。復帰後も平均26.9得点と活躍したジョーダンは、翌1995-96シーズンから1997-98シーズンまで3年連続得点王を獲得、チームもNBAファイナル3連覇を果たした。シーズン終了後、マイケル・ジョーダンは2度目の現役引退を発表した。

現役引退後のマイケル・ジョーダンはスポーツ用品のインターネット販売会社MVPドット・コムを設立したり、NBAのロサンゼル・ウィザーズの共同オーナー兼球団運営責任者するなどした。運営責任者を務めるウィザーズの成績が低迷を続けたことにより、マイケル・ジョーダンはチームを助けるため再びプレーすることを決断。2001-02シーズン、2002-03シーズンの2シーズンプレーし平均20点を超える得点を記録した。そして2002-03年シーズンをもって3度目の引退を発表した。引退後、マイケル・ジョーダンはウィザーズの球団運営への復帰を希望したが、球団からは拒否され解雇されてしまう。それでもバスケットボールへの情熱は衰えず、2006年に新設されたシャーロット・ボブキャッツの共同オーナーに就任。2010年にはボブキャッツを買収し、オーナーに昇格した。2016年、アメリカ国民に贈られる最高位の勲章とされる大統領自由勲章を受けた。