羽生結弦

フィギュアスケート選手

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羽生結弦の名言

羽生結弦の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 自分が弱いと思えるときは、強くなりたいという意思があるとき。だから、逆境や自分の弱さが見えた時が好き。

  • 悔しい思いはネガティブに受け取られますが、僕にとってはポジティブ。悔しい気持ちは、先に進もうとしているって意味。

  • 王者になる。まずそうして口に出して、自分の言葉にガーッと追いつけばいい。

  • 自分を貫いていると何かしら言われることがたくさんあると思いますし、もちろん家族に心配されたり、逆に家族に文句を言われたりとか。本当に信じている人に裏切られたりするかもしれません。ただ、そうやって自分自身を貫くことによって、後悔は絶対しないと思います。

  • 夢って叶う人って本当に限られてて。はっきり言っちゃえば、自分の夢だって、叶ったのはこの金メダル……だけって言ったらおかしいけど、この金メダルが叶った夢だけであって、ほかの夢はたくさん捨ててきたので。

  • 自分が負ける勝つではなく、高みに立とうとしていることが大事。

  • 自分が負ける・勝つそういうものじゃなくて、自分が今、高みに立とうとしているのかしていないのか、そっちの方が今、すごく重要視してる方かなって思います。

  • できることを出し惜しみしてやっていてもつまらない、それは一生懸命ではない。

  • 試合のときは、挑戦することに対してなんの怖さもないですし、失敗するということを考えて挑戦したことは一度もありません。

  • オリンピックの魔物って、結局のところ、自分の中にいるものなんだと思う。

  • 逆境は嫌いじゃない。それを乗り越えた先にある景色は絶対にいいはずだと信じている。

  • 自分が幸せになったときにたくさんの方々が幸せになって、そしてその幸せが還元されてまた自分に戻ってきて。自分がこうやって笑うことによって、みんなが笑ってくれる。そんな平和な世界じゃないですけれども、そんなことはすごく感じました。

    出典:  平昌オリンピック後の記者会見

  • いっぱいあっていいと思うんですよ、夢って。絶対適性があるし、高い目標じゃなくても、低い目標だって夢って言えると思うので。

  • 昔、小さい頃に「ああ、これやりたい」「これで強くなりたい」「これで一番上に立ちたい」「こういう人になりたい」、そういうふうに憧れて、それを信じ切っていた自分がたぶん今もずっと心の中に残っていて。その自分の心の中で「絶対やってやるんだ!」と言っている昔の自分が、たぶん僕の夢というか、夢の原動力になっているんだと思います。

  • スケートって場所って自分の辛い事とか、逃げたい事を忘れる事のできる場所もである。そういった意味ではスケートに頼りっきり。スケートがないと心が潰されそうなこともある。

  • 優勝するしかないのなら、優勝すればいい。わかりやすい。

  • 課題を乗り越えたらまたその上がある。

  • いつも心を開いているんです。心を開いていなきゃ、何も吸収できないし、おもしろくない。心を開く事が成長の原動力。

  • 「負けても悔いはない」は嘘。勝てない試合が楽しいわけがない。

  • できる時にできることを精一杯やる。できない時はその時にできることをやる。

  • 普通の人から見たらですけれども、僕からの目線じゃなくて普通の人から見たら、「もう手に入れるものすべて入れただろう」とかって。お金も、名誉も、地位も。でも、僕にとってはそんなことぜんぜんなくて。実はこうやって地位とか名誉とか、お金ももちろんそうですけれども、結局飾られたものでしかなくて、自分本来の気持ちとか夢とか、そういうものがすべて満足感に満たされているかと言われたら、そんなことはないです。やっぱりこれからも1人の人間として普通に生きなきゃいけないし。

  • 前回のオリンピックが終わって、それからいろんな人にこうやって祝福されればされるほど、「ああ、自分の気持ちってどこにあるんだろう?」って。そういうのはすごく思っていました。みんなが、周りがあまりにも幸せになりすぎてて、僕は「僕の幸せはなんなんだろう?」って。「僕ががんばってきたものって、本当に自分に還元されてるのかな?」って思うこともありました。

  • いろんな子どもたちが夢を持ちながらいろんなことにやっていって、少しでもなにかその夢が叶う瞬間を作ってあげられるような、その叶う瞬間になるきっかけのような言葉を出せたらなと、今、あらためて思いました。

  • 壁を乗り越えて見えるのは、壁ですね。人間とはそういうもの。課題を克服し、また何かを乗り越えようとすることに関して、僕は人一倍欲張り。

  • どこにだって行きますよ。僕、上手くなるためなら、何だってしますから。

  • 信じられるものがなくなりつつある。今の日本には、ひょっとしたらそんな雰囲気もあるかもしれません。でもやっぱり、1人ひとりの持っている力を信じて、「信じること」そのものが大きな力になる、そう思いたくてメッセージを書きました。

  • プレッシャーを感じても乗り越えることができれば、自分が強くなれる。

  • 挑戦自体がモチベーションを上げるためのもの。

  • たとえば、注意をしてくれるじゃないですか。でもそこだけ伸ばせばいいかって言われたら、そこだけじゃない。だから、そこを伸ばすためにも、他の部分を何かしなきゃいけない。その何かがわからない。

  • スケートにいろんなものを賭けたし、いろんなものを捨てた。

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羽生結弦について

羽生結弦は宮城県出身のフィギュアスケート選手。2008年と2009年の全日本フィギュアスケートジュニア選手権を連覇し、2010年には世界ジュニアフィギュアスケート選手権にも優勝。次世代のフィギュアスケート界を担うスタートして期待されるが、2011年3月の東日本大震災で実家が被災し避難所生活を送った。一時はフィギュアスケートを諦めることも考えたが、苦難の中練習を続け2012年の世界フィギュアスケート選手権で3位に入る健闘を見せ、トップ選手の仲間入り。2014年世界選手権、ソチオリンピック優勝。2017年世界選手権優勝。2018年平昌オリンピック優勝、2013年〜2016年までグランプリファイナル4連覇など輝かしい成績を残す。

1994年12月7日宮城県仙台市泉区生まれ。スケートを習っていた姉の影響で4歳からスケートを始める。その後本格的にフィギュアスケートを始め、小学校2年生から小学校6年生まで元フィギュアスケート選手の都築章一郎に指導を受けた。小学校4年生の時に全日本ノービス(Bクラス)で優勝。才能が開花した羽生結弦は2007年中学校1年生にして全日本ジュニア選手権3位となり、翌2008と2009年全日本ジュニア選手権で優勝。2010年には世界ジュニアフィギュアスケート選手権も制し、フィギュアスケート界の将来を担う選手として期待される。しかし2011年3月11日の東日本大震災で実家が被災。一家は避難所生活を余儀なくされた上に、練習拠点として使用していたアイスリンク仙台も一時閉鎖されるという自体に見舞われる。一時はスケートを辞めることも考えたが、かつて師事した都築章一郎が練習場所を斡旋、羽生結弦は都筑が所属する東神奈川スケートリンクで練習を再開した。2011年ロステレコム杯を制し、グランプリシリーズ初優勝。それにより2012年の世界選手権への出場権を手にする。世界選手権はショートで7位と出遅れるも、フリーで巻き返して3位に入賞した。練習拠点をカナダ・トロントに移し、コーチをブライアン・オーサーに変更して挑んだ2012/13シーズンにはフィンランディア杯、NHK杯、全日本選手権で優勝した。高校を卒業した羽生結弦は、2013年4月早稲田大学人間科学部の通信制に入学。7月には全日本空輸と所属契約を交わした。2013/14シーズンにはフィンランディア杯、全日本選手権、グランプリファイナルを制し、ソチオリンピック代表に選出。ソチオリンピックではショートで完璧な演技を見せ101.45点の公式大会世界最高得点を記録。フリーでは転倒するなど不本意な演技に終わったが、ライバルのパトリック・チャンのミスもあって優勝、金メダルを獲得した。さらにオリンピックの翌月に行われた世界選手権も制した。

その後は怪我などもあり苦しんだが、2014/15、2015/16、2016/17シーズンにはグランプリファイナルを制し、2013/14シーズンから通算で4連覇を達成した。2016/17シーズンには世界選手権にも優勝した。2017/18シーズン、ロステレコム杯で2位となった後、羽生結弦は右足関節外側靱帯損傷の怪我を負い、NHK杯、全日本選手権、グランプリファイナルを欠場。しかしながら、実績を考慮されて平昌オリンピック代表には選出された。平昌オリンピックを前にしても怪我は完治せず、団体戦は欠場して個人戦に専念。ショートで見事な演技を披露し、111.68点で首位、フリーでも高得点をマークして2位に10点以上の大差をつけて再び金メダルを獲得した。2018年6月、史上最年少で国民栄誉賞を授与された。