羽生結弦
フィギュアスケート選手
羽生結弦の名言
羽生結弦の過去の名言をまとめた名言集です。
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避難所で3日間過ごしました。その避難所で、沢山の人たちに助けていただいて、だから僕はその皆さんの為に何でもしたいと思っています。僕が出来ることはスケートだけですが。
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自分は今ここに1人でいます。金メダリストは日本の男子スケーターとして1人しかいないですけど、表彰台に上がったとき、本当に日本の皆さん、世界中で応援してくださった皆さんの思いを背負って演技できたことをうれしく思いました。恩返しができたんじゃないかなと思っています。
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どんな状況でも全力を出すのはスケーターとしての流儀。
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僕がみんなを支えるなんて間違った考えでした。僕の方がみんなに支えられていたんだな。
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連覇は意識しない。短い準備期間でどれだけ成長できるかに集中したい。
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いつも通りやろうとしたら僕の負け。
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なによりも自信になっているのは、やっぱりすごく実績のある方々が自分のことをすごい褒めてて。今まで自分が夢見てて「こういうふうになりたい」って思ってた人が自分のことを認めて、「彼が本当のチャンピオンだ」とかって言ってくれるこの世界に対して、感謝の気持ちしかないですね。うん。
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今の自分のこの金メダルをとってきたという気持ちだとか、自分のスケートだとか、そういうものをすごく待ち望んでいる方がいらっしゃるということはうれしいことだし。またアイスショーにおいても、またこういったイベントだったりとか、いろんなところで喋る機会があったとしても、こうやってたくさんの方が待ってくださって、自分の声やスケートをお金を払ってでも見に来てくださる。そういった方々のために、ちょっとでも自分のスケートを使えたら、ちょっとでも自分の体力とか気持ちとか気力とか、そういったものを使えたらなというふうには今思っています。
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まだ日本男子はオリンピックで金メダルを獲ったことがないので、オリンピックで金メダルを獲りたいです。
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とにかくきつい練習がしたい。
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特に自分は謙虚と思っていない。貪欲だし、勝ちにこだわる。勝ち気だし、ビッグマウスと思われていると思う。
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一生懸命さが大事1分1秒を大切にする。
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自分自身が納得できる演技をしたい。
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広いリンクで一人で滑って、一人のためだけに歓声が起こる。その瞬間が魅力の一つ。4回転ジャンプを転倒したときも、会場に「あーっ」と大きなため息がこぼれますよね。それだけファンの皆さんが真剣に見てくださっているんだと思う。本気で見入ってなければ、ああはならない。演技を終えると、大量の花束をリンクに投げ込んでもらえる。いつも、「また、頑張らないと」と高いモチベーションになっています。
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僕は跳ぶ直前に、バッって頭の中に成功する軌道とかのイメージが湧いて、そこに身体を乗っけていって跳ぶ。だから口で指導されてもダメ。視覚で伝わってくるものが良いんです。ビデオとかを繰り返し見て、イメージを記憶します。
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明日は明日でやるべきことがありますし、今日は今日でやるべきことがあったので、それをできたと思っています。明日はやるべきことをしっかりと一生懸命楽しみながら、演じきりたいと思っています。
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僕はただ滑りたいだけなんです。
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「負けてたまるか」という怒りの感情が原動力になる。
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日本人として金メダルを持ち帰れることはすごく誇りに思っています。
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僕の強みは「考えて、分析して、感覚をマッチさせて氷上で出すこと」。
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芸術というのは明らかに正しい技術、徹底された基礎によって裏付けされた表現力。ジャンプ、ステップ、スピン、全てにおいて正しい技術を使い、それを芸術として見せることが一番大切なことだと思っている。
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相手が誰であろうと絶対勝つ。
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これまでに出場したグランプリシリーズは勉強するためだったが、この大会はその成果を見せる大会。
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1番の敵は自分自身じゃないかなぁって。
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ちっちゃい頃から、学芸会の時とか主人公になりたいタイプ。
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ジュニア1位がジュニア3位に負けたんですよ!ああ考えただけで腹が立ってきた。
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僕は集中するのは簡単だけど、気持ちをコントロールできなくなるときがある。そんなとき、ブライアンは僕を笑わそうとして助けてくれる。
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スケーターって、「アーティスト」であり「アスリート」でもある。どっちの魂も捨てちゃダメなんだと思っています。
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ノーミスしたいという気持ちはあります。ただ、ノーミスすることが全てではないですし、ノーミスするために何をしていくべきか、また、いい演技をするために何をしていったらいいか、ということを毎日、過程を大事にしながらやっていきたいと思います。
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自分の調子とイメージのギャップを埋めようとした。イメージだけでもみんなに追いつこうと考えていた。
羽生結弦の名言を見ている方へお薦めする名言
羽生結弦の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。
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小利を見れば、すなわち、大事が成らず。
孔子 思想家、儒教の祖
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あなたにとってなにかが重要であるとき、例え勝算があなたの望むものでなくても、あなたはそれをやるだろう。
イーロン・マスク PayPal、SpaceX創業者、テスラモーターCEO
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私は孤独である。私は自由である。私は自分自身の統治者である。
イマヌエル・カント 哲学者
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一見社会の役に立ちそうな研究でも、他人の真似をしているだけなのではないかという観点で評価すべきだと思うんです。単に真似するだけだったら、一カ所か二カ所の研究機関でやればいいのであって、日本中のあちこちでやる必要はありません。それよりも、すぐに役には立たないけれど、世界で誰もやっていないような研究を応援する気風が、日本にも生まれればいいなと思っています。
山中伸弥 医学者、iPS細胞の開発者
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どうして勝てなかったのか、何より自分自身が腹をくくっていないことに気が付いていました。他人に批判されてもいい。自分が信じるサッカーをやればいいのだ。私は開き直りました。
岡田武史 サッカー監督、元サッカー選手
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他人の力を頼りにしてはいけない。頼るべきものは、ただ己の力のみである。
ナポレオン フランス皇帝
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同じことを繰り返しながら、違う結果を望むこと、それを狂気という。
アインシュタイン 物理学者
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上手くやろう、成功しようとするから、逆に上手くいかない。人生上手くやろうなんて、利口ぶった考えは、誰でも考えることで、それは大変いやしい根性だと思う。世の中上手くやろうとすると、結局、人の思惑に従い、社会のベルトコンベアーの上に乗せられてしまう。一応世間体もよく、上手くはいくかもしれないが、本当に生きているのではない。流されて生きているにすぎない。
岡本太郎 前衛芸術家、画家、彫刻家
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なにをやったかではない。今からなにをやるかだ。
松本清 マツモトキヨシ創業者
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世界中の子供達に夢を持つきっかけを与えたい。夢を持つと人は強く大きくなれる。それが世界を変えるきっかけになると思う。
本田圭佑 サッカー選手
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利害を越えた究極の目的を人と共有する時、初めて心のままに生きることができる。
サン=テグジュペリ 作家、パイロット
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自分のやっていることを愛していなければ、成功の確率は大幅に低下する。苦しいときを乗り切るのも遥かに難しくなるだろう。情熱は大きなことを成し遂げるのに必要な、立ち直る力を与えてくれるんだ。
ドナルド・トランプ 第45代アメリカ合衆国大統領、実業家
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今日考え方を変えなければ、明日夢見る場所にたどり着くことはできない。
アインシュタイン 物理学者
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技術者には一つの意地がある。やりかかったらそれを完成して見たいという意地である。
豊田喜一郎 トヨタ自動車創業者
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心のままに進んで行け、最後はきっとうまくいく。
ボブ・ディラン 歌手
羽生結弦について
羽生結弦は宮城県出身のフィギュアスケート選手。2008年と2009年の全日本フィギュアスケートジュニア選手権を連覇し、2010年には世界ジュニアフィギュアスケート選手権にも優勝。次世代のフィギュアスケート界を担うスタートして期待されるが、2011年3月の東日本大震災で実家が被災し避難所生活を送った。一時はフィギュアスケートを諦めることも考えたが、苦難の中練習を続け2012年の世界フィギュアスケート選手権で3位に入る健闘を見せ、トップ選手の仲間入り。2014年世界選手権、ソチオリンピック優勝。2017年世界選手権優勝。2018年平昌オリンピック優勝、2013年〜2016年までグランプリファイナル4連覇など輝かしい成績を残す。
1994年12月7日宮城県仙台市泉区生まれ。スケートを習っていた姉の影響で4歳からスケートを始める。その後本格的にフィギュアスケートを始め、小学校2年生から小学校6年生まで元フィギュアスケート選手の都築章一郎に指導を受けた。小学校4年生の時に全日本ノービス(Bクラス)で優勝。才能が開花した羽生結弦は2007年中学校1年生にして全日本ジュニア選手権3位となり、翌2008と2009年全日本ジュニア選手権で優勝。2010年には世界ジュニアフィギュアスケート選手権も制し、フィギュアスケート界の将来を担う選手として期待される。しかし2011年3月11日の東日本大震災で実家が被災。一家は避難所生活を余儀なくされた上に、練習拠点として使用していたアイスリンク仙台も一時閉鎖されるという自体に見舞われる。一時はスケートを辞めることも考えたが、かつて師事した都築章一郎が練習場所を斡旋、羽生結弦は都筑が所属する東神奈川スケートリンクで練習を再開した。2011年ロステレコム杯を制し、グランプリシリーズ初優勝。それにより2012年の世界選手権への出場権を手にする。世界選手権はショートで7位と出遅れるも、フリーで巻き返して3位に入賞した。練習拠点をカナダ・トロントに移し、コーチをブライアン・オーサーに変更して挑んだ2012/13シーズンにはフィンランディア杯、NHK杯、全日本選手権で優勝した。高校を卒業した羽生結弦は、2013年4月早稲田大学人間科学部の通信制に入学。7月には全日本空輸と所属契約を交わした。2013/14シーズンにはフィンランディア杯、全日本選手権、グランプリファイナルを制し、ソチオリンピック代表に選出。ソチオリンピックではショートで完璧な演技を見せ101.45点の公式大会世界最高得点を記録。フリーでは転倒するなど不本意な演技に終わったが、ライバルのパトリック・チャンのミスもあって優勝、金メダルを獲得した。さらにオリンピックの翌月に行われた世界選手権も制した。
その後は怪我などもあり苦しんだが、2014/15、2015/16、2016/17シーズンにはグランプリファイナルを制し、2013/14シーズンから通算で4連覇を達成した。2016/17シーズンには世界選手権にも優勝した。2017/18シーズン、ロステレコム杯で2位となった後、羽生結弦は右足関節外側靱帯損傷の怪我を負い、NHK杯、全日本選手権、グランプリファイナルを欠場。しかしながら、実績を考慮されて平昌オリンピック代表には選出された。平昌オリンピックを前にしても怪我は完治せず、団体戦は欠場して個人戦に専念。ショートで見事な演技を披露し、111.68点で首位、フリーでも高得点をマークして2位に10点以上の大差をつけて再び金メダルを獲得した。2018年6月、史上最年少で国民栄誉賞を授与された。