川淵三郎

Jリーグ初代チェアマン、B.LEAGUE初代チェアマン

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川淵三郎の名言

川淵三郎の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 仕事というものは、できないことにチャレンジして、できるようにしてみせることを言うんだ。

  • どんな仕事も同じだと思うんだけど、始めたばかりは知らないことばかり。やり始めたら勉強する機会が生まれるから、何でも試しにやってみること。その中でいろんな知識をどんどん吸収していくと、自分なりの意見ができてくる。それが見識となる。見識を実現に移すのが胆識。そうやって様々な物事を自分の中で高めていくことが、いろんな可能性に繋がっていくんです

  • 時期尚早という人間は100年たっても時期尚早という。前例がないという人間は200年たっても前例がないという。

  • 最近の起業家を見ていると、いったい何のために事業をやっているのか、理解に苦しむことが多い。お金を儲けて、自家用ジェットに乗って、世界旅行に行って、その先にいったい何があるというのか?

  • 思いを形にするためには、理念がないと前に進まないし、誰もついてきてくれない。そして、何が何でも継続させるという固い意志が大切なんですよ。

  • 大体仕事のできない者を見てみろ。自らの仕事に誇りと責任を持てない人間を見てみろ。次から次へと、できない理由ばっかり探し出してくるだろう。

  • リーダーは時に独裁者でいい。しかし、私利私欲を捨てて理念を持たなければ、独裁者になる資格は無い。

  • 何か営業目標があるとき、困難に向かっていかなくてはいけないとき、勇気付けであろうが、上司が「まあ最悪の場合、こうなってもいいから」とか、「結果は気にせず頑張れ」とか、言っている方は良かれと思っていても実は相手の気持ちを萎えさせるだけでまったくの逆効果です。

  • 解決すべき問題は山積み。でも、急いで結果を求めちゃダメなんだ。ひとつひとつクリアしていくしかないよね。

  • 言葉で共感を得られなければ、決してリーダーにはなれない。いまの時代、黙っていても察してもらえるというのは、甘い考えだと思う。

  • 長い目で見た場合には、真摯さ、誠意、正直さが重要。人は一回でもその場しのぎをしてしまうと、同じような事態が起こった時にまた繰り返してしまうもの。どんな大きな不祥事も、始まりは小さなウソからです。

  • 「夢があるから強くなる」。これは僕にとって支えとなる大事な言葉です。

  • 僕は、今も三日坊主を奨励しているんです。普通、飽きっぽい、長続きしないって、悪い意味で使われるんだけど、いい方に考えると好奇心が旺盛で、何かに取り組み始めたということでしょ。その取り組む姿勢こそが大事なのであって、何でもやってみないと自分に適しているかどうかなんてわからない。

  • 朝、こうだと思っても、夜、こっちの方がよかったとわかれば、判断をかえることを恐れてはならない。それでやれ手続きがどうだとか、一度決めたことなんだからという組織は衰退していきますよ。

  • 物事は何でも理念があって続いていくわけでね。理念がないのなら、単なるカネ儲けですよ。

  • したり顔で「時期尚早」と言う人は、やる気がないということ。それを正直に「私にはやる気がありません」とは情けなくて言えないから、「時期尚早」という言葉でごまかそうとします。「前例がない」と言う人は、「私にはアイデアがありません」と言えないから、「前例がない」という言葉で逃げようとします。これは仕事のできない人に共通している逃げ口上です。できない理由を探して、安穏とする。

  • 最初は相当反発があるわけですよ。「外から来て何も知らないくせに好きなことをぬかしやがって」と。でも、話していることは理にかなっているな。この方向に進めばいいかもしれないという理解が広がれば、徐々に一緒にやっていこうと考えるようになる。敵が味方になるわけです。でも最初の課題設定がズレていればいつまでも反発が続くことになる。

  • 確固たる理念さえあれば、賛同してもらうための説得力や交渉力もおのずとついてくる。

  • ザッケローニ監督が、一番すごいな、と思うのは「こういう時は、こうしたほうがいい、ああしたほうがいい」と言って、「君はどう思うか?」って必ず言うんですって。僕が知ってる中で「君はどう思うか?」って言う監督は今まで誰もいませんよ。

  • 仕事の上で困難に立ち向かうのは勇気のいることかもしれません。目の前の仲間や関係者、お客様の不興を買うこともあるでしょう。しかし、長い目で見れば、それがお互いの関係を良くしていく土台となっていきます。人と向き合うときも、事業に取り組むときも、一生懸命に勝るものはない。これが僕の仕事を通じて得た結論です。

  • Jリーグの理念は、賛同する人が多かった一方、「理念では食えない」という批判もありました。そうした批判に対しても、一歩も引かずに理念を熱く分かりやすく語ることにおいて、私はだれにも負けない自信がありました。

  • しっかりとしたサラリーマン教育を受けてきたからこそ、何もないところからプロサッカーを立ち上げたJリーグや日本サッカー協会で、難しい経営に携わることができたんだと思っています。

  • 不器用でも何でも、嫌な話ほど面と向かって話す。それが長い目で見て、信頼関係や組織の連帯につながります。

  • 改革には苦労も伴いますが、僕には失うものは何もないから、強力にやっていこうと思います。

  • 改革を断行するうえでは、スピードが最も重要で、走りながら考え、いいと思ったことは、どんどん前に進めることが大切です。間違ったと思ったら修正すればいいのです。

  • 議論が堂々巡りする時は、古い価値観や目先の利害にとらわれていることがほとんど。

  • 怒りが僕のエネルギー。怒っているから短期間でもガーッと思いっきり集中して取り組める。絶対に成功させてやるという執念も生まれる。

  • 壁を乗り越えるには、批判されたとき、立ち向かうエネルギーが必要。僕の場合は、反対する人、傍観者となって動かない人、足を引っ張ろうとする人がいればいるほど、燃えてしまう。

  • 企業は基本的に営利目的なわけですから、利益を挙げるのは当然です。じゃあ、その利益を社会のためにどう使うのか。これが重要。少なくとも企業に大きな利益が残ったのは、スタッフや、取引先、お客さんなどなど、多くの人が携わってくれた結果でしょう。だったら、その利益を使って今度はできるだけ多くの人に恩返しすること。そうやっていくことに、自分が生きている甲斐を見つけないといけない。それが見つけられないような事業活動なら、はっきりいってやらないほうがいい。

  • プロサッカークラブがしっかりと収益をあげ、その収益をもとに地域のスポーツ振興を図る。そして、企業はそのクラブを支援しながら、自らも地域貢献活動に参画する。つまり、クラブ、地域、企業が三位一体となって、心身ともに健全な子どもたちを育てていくということ。日本のプロ野球のような、企業オリエンテッドの仕組みにはしたくなかったんですね。だから、今でもJリーグのチーム名には企業の名前は入っていないでしょう。

川淵三郎について

川淵三郎は元日本代表のサッカー選手で、指導者に転身後に日本代表監督もを務め、さらにJリーグ創設時には初代チェアマンとなった人物。現役時代のポジションはフォワード。Jリーグ創設時には積極的にメディアに登場し当時マイナーだったサッカーの魅力をアピール。Jリーグ開幕とともに日本にサッカーブームを引き起こした。Jリーグのチェアマンを退任後は日本サッカー協会会長、首都大学東京理事長を歴任。その後、協会の分裂により国際資格停止処分を受けていた日本バスケットボール協会改革のためのタスクフォース「JAPAN 2024 TASKFORCE」のチェアマンに就任。バスケット協会の統一を成し遂げ、バスケットのプロリーグB.LEAGUEの初代チェアマンに就任した。

1936年(昭和11年)12月3日、現在の大阪府高石市に生まれる。高校からサッカーを始め、2年浪人した後に早稲田大学商学部に入学。早稲田大学サッカー部でプレー。関東大学リーグで優勝し、大学生でありながら日本代表に選出されるなど活躍を見せた。大学卒業後、川淵三郎は社会人サッカーの強豪、古河電気工業に入社し、サッカー部に所属。1964年の東京オリンピックでは、日本代表として出場を果たしゴールも決めている。現役引退後の1972年に川淵三郎は古河電気工業サッカー部の監督に就任。1980年から1981年まで日本代表監督も務めた。また、一方で古河電気工業のサラリーマンとしても働き、営業部の部長にまで出世している。

1989年、川淵三郎は当時社会人リーグとして活動していたJFAのプロ化を検討するJFA・プロリーグ委員会委員長に就任。1991年にJリーグの母体となる社団法人日本プロサッカーリーグが設立されると、初代チェアマンとなり、30年間勤務した古河電気工業を退社。1993年に開幕したJリーグは若者を中心に人気を獲得。サッカーが日本に普及するきっかけとなった。2002年、Jリーグチェアマンを退任し日本サッカー協会会長に就任。川淵三郎は「会長」という呼称は重く感じるとして会長職の愛称をマスコミに募り、「キャプテン」と名乗った。2008年まで協会会長を務め、その後は、日本サッカーミュージアム館長、首都大学東京理事長などを歴任。2015年、協会の分裂によって混乱が続いていた日本バスケットボール協会の改革を依頼され、タスクフォースのチェアマンに就任。バスケットボール協会の統一後は日本バスケットボール協会会長に就任。さらに検討が進められていたバスケットのプロリーグ「B.LEAGUE」の発足に伴ってB.LEAGUEの統括・運営団体JPBLの初代チェアマンに就任した。

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