落合博満

プロ野球選手、プロ野球監督

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落合博満の名言

落合博満の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 良けりゃ勝てる、悪けりゃ勝てない、ではなんともならない。悪いときにどうやって抑えるかだ。

  • 昔から言われていたこと。ユニホームを脱げば、ただのおっさんなんだ。おれだって、ユニホームを脱ぐと、ただの人。そんなことは百も承知で言っている。だから、現役のとき、落合博満の名前を残したんだ。

  • 信じて投げて打たれるのはいい。信じて投げて打たれたのなら、それは結果。一番いけないのは、やる前から打たれたらどうしようと考えること。

  • 「まあ、しょうがない」と思うだけでは、しょうがないだけの選手で終わってしまう。

  • 継続してやろうと思ったら、基本に忠実にやるのが一番早道だと思ってます。

  • 一般社会において、あと一歩で契約を取れなかった社員が「自分の仕事はしました」と胸を張るだろうか。前回からの成長ぶり、その仕事にベストを尽くせたかどうかの評価は別の次元の話であり、契約を取れなければ仕事をしたとは言えない。

  • 起用する方としては、今もっている最高の選手と納得するしかない。「どうしてもっと打てないのか」「守れないのか」と怒ることのできる監督は幸せだろうと思う。俺は怒れない。だって、選手はみんな必死になってやっているんだもの。

  • 長いこと育成でやってる選手がいるから、そろそろ支配下にしようか、なんて気はまったくない。力があるからなんだ。

  • 3割を超えられない選手の傾向を分析すると、3割を目標にしているケースがほとんどである。一方、3割の壁を突破していく選手は、一度も3割をマークしていないにも関わらず、3割3分あたりを目指している。

  • 志の低い人間は、それよりさらに低い実績しか挙げられない。

  • 自分は頭を下げないと生活できないと思っているから、媚も売るし、喧嘩もできないんだ。人間、自分に自信があれば 喧嘩もするのよ。

  • 勝負ごとっていうのは何があっても勝たなくてはいけない。

  • 大記録達成した事が凄い事ではない。必ず1本目がある。それが凄い事なんだ。本人にとってどれだけ貴重な事か。一つ一つの積み重ねがどれだけ大きくなっていくかは、日頃の精進で道が開けるかどうか。1本目、1勝目があるから次がある。それがなければ、次もない。

  • プロは一生懸命やるのが仕事じゃない。結果を残すのが仕事。アマじゃないんだから。生活をかけてやってるんだ。

  • オレは何もしていない。選手の邪魔をしないようにするだけだ。

  • プロの世界に「ここまでやればいい」という終着点はないんです。だからこそ全員に期待をかけ、全員にさらなるレベルアップを求めます。実際、期待されれば人は変わるんです。

  • 選手ってのはやれないことをやろうとするわけじゃない。だから空回りするんだよ。

  • うちは相手に点数をたくさん取られたからって試合をやめましょうという白旗は掲げない。

  • ゲームセットの瞬間まで、みんなあきらめてない。これからもこういう試合をやっていくんだ。

  • 何かを犠牲にすることが育てることだと思っている人がいるが、それは違う。皆に迷惑をかけてまで、力のない者を育てることはあり得ない。レベルに達した者がグラウンドに立てる。力のない者を立たせるわけにはいかない。最初から手塩にかけてではチームに不協和音が生じる。

  • いつもいつも言うけど、結果論であーだこーだ言われたら、何もできなくなる。最善の手を打って、駄目なら仕方ない。選手は一生懸命やってるんだから。結果論では野球ができない。

  • 負けてまで若いヤツを使うほど、勝負事は甘い世界じゃない。それがまだ理解されていない部分ある。

  • 1つ1つのプレーについては、グラウンドに出てる選手が、「これが一番いい」と思ってやっていること。それがミスだったとしても野球にはつきものだから。

  • 本当にその選手を育てたいと思ったら、「負けるなら負けてもいい。この試合はおまえに任せた」と言ってやるのが大切。

  • 組織の中にはいい思いをしている人とそうでない人が必ず混在している。ならば、職場に「居心地のよさ」を求めず、コツコツと自分の仕事に打ち込んでチャンスをつかむことに注力したほうがいい。運やチャンスをつかめる人ほど、このことをよく分かっている。

  • 役割がはっきりしていれば、あとは全員で目標を目指して前進するだけだ。難しいことは何もないだろう。

  • 来年以降、どうか皆様、選手を温かい目と心をもって応援してやってください。8年間ありがとうございました。

    出典:  監督退任のあいさつ

  • この子らには、基本の反復練習でいいんだ。基本がないのに、応用はできない。そうだろ?なんで自分が打てないのか、できないのかを分かってくれればいいんだ。

  • 誰も予想しない事が起きるのが今の世の中。こんな事はありえない、あんな事は起きないなんて思っていても、実際に起きてしまうのだ。この不安定な世の中の状況からすると、いつ何があってもおかしくないと思う。だから不測の事態を想定して、準備しておく事が求められる。

  • 泥臭い、かっこわるい。そういう野球ができて初めて上位にいける。

落合博満について

ロッテ、中日、巨人、日本ハムでプレーしたプロ野球選手。ロッテ時代に史上最多となる3度の三冠王を獲得。1986年には牛島和彦らとの4対1の大型トレードで中日に移籍。日本人初の1億円プレイヤーとなった。中日では7年間プレーし、2度のホームラン王と2度の打点王を獲得。1993年オフには導入初年度のフリーエージェント制度を使って巨人に移籍している。1998年に現役生活を終え、2004年からは中日ドラゴンズの監督に就任。8年間で4度の日本シリーズ出場を果たすが、優勝はならなかった

1953年落合博満 は現在の秋田県男鹿市に生まれる。長嶋茂雄に憧れて野球を始めたが、秋田工業の野球部に所属した高校時代は無名の選手だった。さらに、東洋大学に進んで野球部に入ったものの、厳しい上下関係に嫌気がさして半年で退部し、大学も退学してしまった。その後は実家のある秋田に戻ってボウリングに熱中し、プロボウラーを目指したがこれも挫折した。

1974年落合博満は東京芝浦製作所の府中工場で働き始め、ここで野球部に所属。東芝府中を初の都市対抗出場に導くなど強打者として活躍し、5年間で70本塁打を放った。

社会人野球での活躍が認められ1978年のドラフト会議でロッテオリオンズから3位指名を受け入団。当時25歳という遅咲きでの入団だった。1年目は平凡な成績に終わるが、2年目に二軍のイースタン・リーグで5試合連続ホームランを放ち、一軍昇格。一軍でも15本塁打を放った。3年目からレギュラーに定着し、打率.326、33本塁打、90打点と大活躍し、首位打者のタイトルも獲得。4年目の1982年には打率.325、32本塁打、99打点で初の三冠王を獲得。その後も活躍を続け、1985年に打率.367、52本塁打で三冠王、146打点、1986年には打率.360、50本塁打、116打点と卓越した成績で2年連続三冠王を獲得した。絶頂期にあった1986年オフ、ロッテの監督交代に伴ってトレードでの放出が検討され、牛島和彦・上川誠二・平沼定晴・桑田茂の4選手との4対1でのトレードにより、中日ドラゴンズに移籍した。中日ドラゴンズでの1年目、日本プロ野球の日本人選手史上初めて年俸1億円を突破した。

中日ドラゴンズには7年間所属し、主軸打者として活躍し、2度のホームラン王と2度の打点王を獲得。1993年シーズンオフに落合博満はフリーエージェント制度を利用して読売ジャイアンツに移籍した。読売ジャイアンツでプレーした3年間も主軸を担ったものの、本塁打数は最も多い年で21本と衰えは隠せなくなっていた。1997年から日本ハムファイターズに移籍し1998年で現役を引退した。

2004年からは古巣の中日ドラゴンズの監督に就任。厳しい練習で選手を鍛え上げ、8年間で4度日本シリーズに出場したが、日本一は達成できなかった。

2013年から中日ドラゴンズのゼネラル・マネージャーに就任。オーナーの意向を受けて選手の年俸削減に取り組んだが、あまりに厳しい年俸交渉とチームの成績低迷によって批判を受け、最下位となった2016年をもって退任した。

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