イビチャ・オシム
サッカー監督
イビチャ・オシムの名言
イビチャ・オシムの過去の名言をまとめた名言集です。
-
「リスクを負わない者は勝利を手にすることができない」が私の原則論である。
-
一番大事なのは指導者が自分のチームの選手を尊敬すること。それから相手選手を尊敬することを選手に教えることだ。
-
エゴイズムはプレッシャーへの強さでもある。エゴイストだから外す、では監督として単純すぎる。
-
限界には、限界はありません。限界の定義は何だと思いますか。限界は個々の選手の目標で、限界を超えれば、次の限界が生まれるのです。
-
負ける覚悟も含めて、すべてにおいて、完全な準備をしなければならない。準備に「やり過ぎ」などという言葉はないのだ。
-
ポジティブシンキングに客観性が加わるときに、平常心は生まれる。逆に何も信じるものがなくなったときに、あらゆる可能性が泡となってその姿を消すのだ。
-
ピッチで指示を待ち続けていたら、試合には負けてしまう。私が望んだのは、対戦相手のことを考え、敵にとって危険な地帯へ進入していくプレーだ。
-
タレント不足と言うならば、ユース時代から数年間にわたる強化が無意味だったということだ。つまり選手を否定することは彼らを選び、指導してきた人々も否定することになる。
-
人生は100年も続かない。選手のサッカーキャリアなどもっと短い。その短い選手生命の中で、何か歴史に残ることをしようじゃないか。
-
やることをやってもし負けるのなら、胸を張って帰れるはずだ。
-
いいチームとは、実は、大きな集合体が、やるべき仕事を確実にミスなく成し遂げているチームなのだ。
-
偽物は、いつまでたっても偽物。模倣はどこまでいっても模倣なのである。
-
自由を与えられた選手は、いつどこでどのようにプレーするか自分で判断しなければならない。・・・自由を与えられて何かできる選手と、何もできなくなる選手がいる。
-
戦術は、自分たちで決めるものではなく、相手に対して作るもの。相手がどうくるかによって、戦術を変えている。
-
若い選手にはミスする権利がある。
-
メディアの皆さんも、今日のゴールだけで本田をヒーローだと持ち上げないでほしい。もし明日の一面がすべて本田ということになれば、日本の未来は危ない。ヒーローは1人ではなく全員だ。
-
選手は何かを成し遂げられるという自信を持たなければならない。リーグ優勝でもカップ戦でも何でも良いが、勝てるという自信がなければプロサッカーという仕事はできない。
-
大事なことは、昨日どうだったか、明日どうかではなく、今日一日を大切にすること。
-
日本人は平均的な地位、中間に甘んじるきらいがある。これは危険なメンタリティーだ。受け身過ぎる。フットボールの世界ではもっと批判に強くならなければ。
-
日本人は背が低いから、サッカーはダメだということにはならない。体格の話をすることをまず止めましょう。それからいい面を見ましょう。つまり運動能力とスピードです。日本人の持つスピード、敏捷性をどうやって生かすか。予測の力と結びつけて、どうやって素早いプレーを高めていくか。そう考えて自分たちの特長を伸ばしていくべきです。
-
私にとって、サッカーは人生そのものだ。人生からは逃げられない。
-
リスクを冒して失敗したらそれは褒めてやった。その代わり、同じ失敗は繰り返すなよ、と言った。そうすると選手は成長する。
-
いったん掲げたら堂々とそれをめざせ。戦いの前から負け犬になるな。
-
私の現役時代のようなプレーをする奴は即時追放だ。監督になって短い間に哲学が変わった。最初に監督として選手に接して気がついた。それではチームプレーはできないと。
-
前に出ること-。それだけでサッカーは即座に美しくなる。少しリスキーではあるが美しい。
-
走ったって負けることはあるけど、走らずに負けるよりマシだ。
-
奇跡といっても、自然に起きるわけではない。奇跡がなぜ起きるのか、プロセスを研究する必要がある。毎日奇跡が起こるわけではない。奇跡を金で買うこともできない。入念に準備をした上でしか、奇跡は起きない。
-
全てが偶然だけなら、サッカーに監督は必要ない。だが、偶然についてもいろいろ哲学することできる。どんな偶然も、自分たちがサポートすることによって、幸運を自分たちのほうに引っ張ることができる。
-
今回は選手同士のコミュニケーションを増やした。コミュニケーションというのは、ありすぎても少なすぎてもダメ。今回はちょうどいいコミュニケーションが取れた。今でも監督と選手のコミュニケーションは通訳を介しているので難しいが。
-
本当に強いチームというのは夢を見るのではなく、できることをやるものだ。
イビチャ・オシムの名言を見ている方へお薦めする名言
イビチャ・オシムの残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。
-
不況を、長期成長戦略を練り直す好機ととらえ、そのために時代の大きな流れ、現実や変化を国際的な視野で迅速につかむ必要がある。
千本倖生 DDI(現KDDI)共同創業者、イー・アクセス、イー・モバイル創業者
-
伸びる人とは、自分で自分をかき立てるエンジンを持っている人。自主的に、自分で自分を奮起させる力や精神構造を持っている人。
御手洗冨士夫 元キヤノン社長
-
集団的秩序で安全、安泰としていられない「常に崖っぷち」という状況を、新しい人を入れることで作りたい。そうやって生きてきたからね。集団、あるいは人間関係、そんなものでは生き残れないんだから。
蜷川幸雄 演出家、映画監督
-
大事を成し遂げようとする者は、本筋以外のことはすべて荒立てず、なるべく穏便にすますようにせよ。
徳川家康 江戸幕府初代将軍
-
誰よりも賢くある必要はない。誰よりも自らを律するのだ。
ウォーレン・バフェット 投資家、バークシャー・ハサウェイ会長兼CEO
-
諦めることはとても簡単なこと。人生の中で遭遇するさまざまな困難。「自分には無理だ。もういいや」と諦めてしまえば、きっと楽になれるのでしょう。でもそれは、山を目の前にして登ろうとする努力もせず、ふもとでただウロウロしているだけ。それでは人生はつまらない。
三浦雄一郎 登山家、プロスキーヤー
-
いかなる事業と言えども、その成否は参加する全員が利益を得る仕組みを、作れたか否かにかかっているのである。
マキャヴェリ 政治思想家
-
負けているときに落ち込んだり、勝っているときに喜ぶチームは怖くない。負けているのに元気なチーム、勝っているのに喜ばないチームこそが怖い。
イチロー プロ野球選手、メジャーリーガー
-
完全に状況に恵まれるまで待つ者は、何も成し遂げることはない。
マルティン・ルター 神学者・牧師
-
事業で一番大切なのは、信用できる人物を得て取り締まりの手を省くという事にある。番頭や手代が商売しながら取り締まりの事も兼ねるのは、大工と普請奉行と二役を勤めるのと同じことなのだから、たとえ給料を高くしても主人にとってはるかに得であり、結局、双方共に利益となるであろう。
福沢諭吉 思想家、教育家
-
運は正面から来ない。必ず後ろから来る。
萩本欽一 コメディアン、タレント
-
たとえ自分という存在が、どんな人間であろうとも。目的に到達したとは思っちゃいけない。いつもどこかに向かう過程だと思うことだ。
ボブ・ディラン 歌手
-
何もしてない奴が「じゃあ、お前ちょっとやってみな」って言われることはあり得ない。ふだんから何かをやり続けているから、誰かの目にとまって声をかけられるんだ。
志村けん コメディアン
-
世の中でやり手と呼ばれるような機敏で活動的な成功者は、ほとんど何をするにも、明確な目標を持って動いている。彼らは明確な動機と計画に従って行動し、目指すものを知り、そこに達するまで諦めないことを固く決意しているので、たいていは目的を達成する。
アンドリュー・カーネギー カーネギー鉄鋼会社創業者
-
全くの新製品を作るためには、常識的な発想では人々を納得させることはできない。新製品に必要なのは、社会通念や習慣を変えるようなものでなければならない。そのためには非常識の発想が必要なんです。みんながこうするから自分もそうするなんていうのは論外です。我が道を行くという考え方、そのためには、他人に煩わされないで、自分の時間を多く持つことが大切だ。人と同じことをやっていたのでは、同じ考えしか出てこないんです。
山内溥 任天堂創業者
イビチャ・オシムについて
イビチャ・オシムはユーゴスラビア(現在のボスニア・ヘルツェゴビナ)出身のサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワードで、ジェリェズニチャル・サラエボ、ストラスブール、スダン、ヴァランシエンヌなどでプレー。ユーゴスラビア代表としても16試合に出場して8得点を決めている。サッカー指導者としてはユーゴスラビア代表、 パルチザン・ベオグラード、パナシナイコス、シュトゥルム・グラーツ、ジェフ千葉を経て日本代表監督に就任。日本代表監督として語るサッカー理論は「オシム語録」と呼ばれ、注目を集めた。
1941年5月6日、ユーゴスラビア・サラエボにて生まれる。一家はドイツ系で家庭内の会話もドイツ語でなされたという。14歳からジェリェズニチャル・サラエボでプレーし、18歳でトップチーム入り。その一方で名門サラエボ大学で数学を学び、学士を得ている。1964年の東京オリンピックでイビチャ・オシムはユーゴスラビア代表としてプレー、4年後の1968年にはヨーロッパ選手権の代表に選ばれ、ユーゴスラビアの準優勝に貢献し、ベストイレブンにも選出された。1970年にイビチャ・オシムはフランスリーグのストラスブールに移籍。その後スダン、ヴァランシエンヌ、ストラスブール復帰とチームを変えながらフランスリーグで8年間プレーした。
現役引退後のイビチャ・オシムは出身チームのジェリェズニチャル・サラエボでコーチの経験を積んだあと、同チームの監督に就任。UEFAカップで準決勝に進出するなどの実績を残し、1986年にユーゴスラビア代表の監督に就任。ストイコビッチ、サビチェビッチ、シュケルなどスター選手を擁して1990年のワールドカップイタリア大会でベスト8に進出。大会後は代表監督に就任したままパルチザン・ベオグラードの監督に就任。1992年にユーゴスラビアは内戦のためサッカー代表チームが国際大会への出場を禁じられる。その後2006年にユーゴスラビアは完全に消滅したため、イビチャ・オシムはユーゴスラビア最後の代表監督となった。1992年にはユーゴスラビア内戦を逃れてギリシャのパナシナイコスの監督に就任。1993年オーストリアのシュトゥルム・グラーツ監督に就任、2002年まで指揮を取る。2003年、Jリーグのジェフユナイテッド千葉の監督に就任。イビチャ・オシムは強豪チームとは言えなかったジェフ千葉で2003年から2005年までJリーグ年間総合3位、4位、4位と好成績をあげ、2005年にはナビスコカップに優勝。その手腕が認められ2006年7月に日本代表監督就任の要請を受け、承諾。しかし、2007年11月に脳梗塞で倒れる。一命を取り留めたものの、健康状態の不安から日本代表の監督を辞任し、代わりに岡田武史が代表監督に就任した。