野村忠宏

柔道家

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野村忠宏の名言

野村忠宏の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 練習はもちろん大切だけれど、本当に強くなれる瞬間は試合のなかにあるんだ。

  • 真剣に、妥協することなく努力を続けていたら、その過程において無駄になる時間なんて一切ありません。

  • 目標達成のために何をすべきか常に考え、長い時間をかけて一瞬で決まる勝利への努力を続ける。その一瞬のご褒美はとてつもなく大きく、楽しいという感情を軽く超える素晴らしい宝物をもたらしてくれる。

  • 「年だからもうダメ」と諦めるのか、悔しさを原動力にして「何くそ」と思いながら前に進むのかという二者択一であれば、私は後者を選びたい。何があっても前に進もうとする姿勢こそ自分の価値だと思っています。

  • 自分で限界を決めてはいけない。かすかに残されているエネルギーを絞り切って、限界を突破した時に、さらに強い自分と出会える。

  • 単に現役を続けるのは簡単です。けど、やるんやったら目指すのは世界一。

  • 好きなことで独立しても楽しいだけではなく、継続するなかで苦しみが必ず生まれます。もしかしたら、その仕事が嫌いになるかもしれない。どんな状況であっても、小さな成功でも悔しさでもいい、自分を奮い立たせてくれるモチベーションの種をつくり続けることです。

  • 楽しいだけの人生はむなしい。どんな困難であっても、本気で突き詰めていけば、その先には楽しさ以上のものがある。

  • 自分の人生は自分にしかつくれない。リスクのない挑戦なんて面白くない。一歩を踏み出し、続けてみないと見えない世界がある。

  • 私に才能があったとしても、その才能が開花するまでの長い時間を諦めなかった信じる力や、思いを伴った努力は本物だと思います。信じられたからこそ、今があるのです。

  • 人からやらされている練習では意味がありません。勝つために自ら練習して、遊ぶときも、練習するときも、自分の行動すべてが勝負につながっているという意識をもつように心がけていました。

  • 勝負をするという生き方を選んだ時点で「執念」は常に自分の心の中心に持っておかねばならない。勝負への執念とは自分自身の心の闘いである。

  • 日々の練習を本番と同じ気持ちで手を抜かずに行うことで、本番でも100%に近い力を発揮しやすくなる。

  • 弱かった子供時代、チャンピオンだった最強時代、その後に苦しみ続けた時代、いろんな経験をした。学んだことを世界を目指す選手に伝えたい。悔しさで強くなれる選手を育てたい。

  • 親にすら期待してもらえなかったけど、努力を続けた未来の自分に期待し続け、この道場でやっと花開きました。

  • 自分自身を裏切らないような戦いだけを目標にするだけだ。

  • 天理大学時代、当時の試合形式の乱取り練習は6分×13本だったのですが、僕は「残り何分?」「あと何本?」という意識で乱取りをこなしていました。するとそれを見抜いた細川先生は「そのやり方は駄目だ。限界がきたら休んでもいい。ただし、最初の1本から全力を出し切れ」と。その後、1本1本を必死に取り組むようになってから、劇的に自分が強くなっていくのが分かりました。細川先生は、無駄をそぎ落とした意味ある努力の重要性を教えてくれたのです。

  • 私は決して最初から才能があったわけでなく、周囲の支えがあってここまで成長でき、今なお競技を続けることができています。自分にとって財産になる人との出会いや言葉を大切にし、その道をとことん追求することが、成功へのカギなのかもしれません。

  • 練習を積み重ね、試合に挑み、私はこれまで柔道の競技の世界を生きてきました。それは非常に厳しい世界でした。しかし、そこで私は、単なる楽しさを超えた大きな成長やこの上ない感動を得ることができました。

  • 孤独と向き合うことは、どの世界でも、トップに立つ者、先頭を走る者が直面するものなのかもしれない。

  • 本当に歓喜が湧き起こるような達成感や充実感というものは、やはりリスクを負って自分流を貫いた時にこそ、味わえるもの。

  • 結果を出せば、「野村は終わった」と言っていた人も「野村はやると思ってたよ」に変わる。そういった意味でも、やると決めたら、結果にはシビアにこだわって欲しい。

  • 調子がいいときは「野村は天才だ」という評価をいただけるけれど、結果を残せなければ「あいつは終わった」となるわけです。いい面も悪い面も含めて、プレッシャーを感じられるのは期待されているからであって、競技者としては幸せだなって思っています。

  • 夢や目標を掴むためには、行動を起こさなければ始まらないし、やり続けなければ実現することはできないです。

  • 道は自分で切り開くしかない。

  • 勝負の世界。豪快に負けた。でも、これが今の実力。悔いはない。胸を張っていい負け方だったと思う。緊張や恐怖、プレッシャー、喜びや感動、いろんなものを柔道が与えてくれた、ちょっと寂しい気持ちもあるが、ここまでよくやったな。

  • 柔道への思いが燃え尽きることは永遠にないんです。

  • アテネ五輪以降、五輪に出場できず、「野村、最近、見なくなったな」「絶頂期に引退すればよかったのに」「晩節を汚す」などという声もあるかもしれません。でも、それは周りの意見や評価であり、大事なのは、「やりたい」「続けたいと思えるか」という自分の本心です。

  • 復帰を決めた時点で、最終目標は「アテネ五輪での金」だと覚悟を決めていました。時間をかけて考え、自分で決めたからこそ「責任を持ち、逃げ出すな」と改めて言い聞かせて。そして、「敗北が怖い」と感じている自分が変わるための方法を、ひたすら考えたのです。

  • つまらないプライドや見栄と決別できたからこそ、誰もが難しいと思われた、アテネ五輪での3連覇につながったのは確かです。振り返れば、アテネへの挑戦を最後までやり遂げたことで、自分の人生観が大きく変わったと思います。

野村忠宏について

野村忠宏(ノムラ・タダヒロ)はオリンピック柔道60kg級で3連覇を達成した柔道選手、柔道家。1996年のアトランタオリンピックでオリンピックに初出場し、金メダルを獲得。2000年シドニー、2004年アテネの両オリンピックでも金メダル獲得。現役中に弘前大学大学院で医学研究科博士課程を修了。引退後はアスリートのマネジメント業務を行う「株式会社Nextend」を創業し代表取締役に就任。「平成の三四郎」との異名を持つ。

1974年(昭和49年)12月10日、奈良県北葛城郡広陵町に生まれる。父は天理高校柔道部監督も務めた野村基次。祖父は柔道場「豊徳館」館長、叔父はミュンヘンオリンピック軽中量級金メダリストという柔道一家に育つ。天理高校から天理大学体育学部体育学科武道学コースに入学。天理大学在学中の1996年4月、野村忠宏は全日本選抜柔道体重別選手権60kg級で優勝し、アトランタオリンピックの出場権を獲得。同年7月アトランタオリンピック柔道60kg級で金メダル獲得。1997年に野村忠宏はパリで行われた世界柔道選手権60kg級でも優勝を果たす。1999年に左膝靱帯を損傷する怪我を負うが、翌2000年に復活し、全日本選抜柔道体重別選手権60kg級で優勝、さらに野村忠宏はシドニーオリンピックでも金メダルを獲得した。その後しばらく柔道を離れ、2001年にはアメリカに語学留学。2002年に、講道館杯で柔道に復帰し、2003年の世界柔道選手権で3位。2004年のアテネオリンピック柔道60kg級で再び金メダルを獲得し、オリンピック3連覇を達成。2008年北京オリンピック、2012年ロンドンオリンピックの出場も目指したが怪我などもあり出場は叶わず、2015年に引退。引退後、野村忠宏は講演を開催したり、柔道解説者として活躍する傍らアスリートのマネジメント業務を行う株式会社Nextendを創業、代表取締役に就任した。

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