ヨハン・クライフ

サッカー選手、サッカー監督

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ヨハン・クライフの名言

ヨハン・クライフの過去の名言をまとめた名言集です。

  • ボールに触れることで、試合に参加していると感じられるし、楽しさを覚えられる。それはユースだろうが、アマチュアだろうが、プロだろうが変わらない。普遍的なことなのだ。

  • ボールは友人であるという事だ。ボールが望むようにプレーする。友人でなければ、ボールはどこかへ行ってしまうからね。

  • 私が来る前はクラブの金庫はいつも空だったが、私が出ていく頃には金庫はイッパイだった。

  • サッカーは美しくなければならない。美しいというのは攻撃的でテクニックに優れ、3、4点とゴールが生まれ、見て楽しいサッカーだ。

  • ボールを取られるのは、実は、戦術的洞察が足りないからなんだよ。

  • フットボールとはミスのスポーツだ。ミスをした回数が少ない者が勝つ。

  • サッカーとは頭で考えるスポーツである。

  • 理想のフットボールとは、常に勝ち続けること。スペクタクルでファンタスティックなプレーで。

  • いったい誰が俺にサッカーを教えられるんだ?

  • プレッシングは優れたテクニックの前では無力だ。

  • 私のチームのフォワードがキーパーと1対1の状況になったら、私は「そのまま決めろ」と言うんだ。「でも、僕が彼を助けられるじゃないか」と言う選手もいるけど、他の選手が走り込むとディフェンダーを引き連れてきてしまう。2対2の状況は1対1よりも難しいんだ。

  • 敗因は、ドイツ人の凄まじい闘争心に対抗できなかった。・・・私にとっても長いサッカー人生の中で一番ダメージを受けた出来事かもしれない。

  • もし君に理解してほしいと思っているなら、私はもっと上手く説明していたよ。

  • モウリーニョはサッカーの監督ではなくて、トロフィーの監督だ。サッカーが自宅やスタジアムで見ていて興味深く面白いものでなければならないと理解していない者は、サッカーの監督とは言えない。

  • 蹴るポイントが1cmズレたらボールは自分の狙ったところに飛ばない。

  • 攻撃しない、美しくないサッカーにいったい何の価値があるのだろう。

  • 9番はディ・ステファノ、10番はペレ。私がそんな番号を付けたら紛らわしい。

  • オランダ人はイタリアのサッカーなんてまったく見ないんだ。その瞬間、テレビを消してしまう。少し大袈裟に言ってしまったけれど、ともかくオランダの場合は、ファンが攻撃サッカーを求めている。鋭角に折り返すサイド攻撃をね。メンタリティがイタリア人とは違うんだ。

  • よほどの脳無しでないかぎりFWの走る距離は15Mで十分だ。

  • サッカーにおいて正しい位置と間違った位置の間が5メートルも離れていることはない。

  • モウリーニョは勝利という強迫観念に囚われている。

  • 現在、フットボールは進化した。私がプレーしていた当時と比べて、ディフェンスは随分変わってきている。相手に適応し、組織化されてきているんだ。

  • 彼はサッカーをまったくしていない。ただ、常にいるべき場所にいるだけだ。

  • 私は宗教には興味がない。スペインでは22人全てが十字を切ってピッチに入る。その全てに効果があるのならば、試合は引き分けに終わるはずだろう?

  • 小さなスペースでは選手は素早く動かなくてはならない。優れた選手でもプレーに時間がかかるのであれば、突然ひどいプレーをする。

  • 弱い相手との試合で最も難しいことは、相手選手に下手なプレーをさせることだ。彼らは自分のゴールにボールを蹴るから下手なのではない。プレッシャーを受けた時、コントロールできないから下手なのだ。だから、試合のテンポを上げて、相手がボールを失うように仕向けなければならない。

  • コンピューターの数字で若い選手たちが不合格とされるのはひどいと思う。今のアヤックスの基準なら私は不合格だろう。15歳の時私は左足で15m、右足でも20mすらキックできなかった。私の強みはテクニックとビジョンであり、それはコンピューターではわからないことだ。

  • ビデオの再生くらいはできるさ。でも、録画は…できないんだ。

  • 仮にプレーする地域の横幅が50mあったとすれば、私たちのチームでは左のウイングが15m、右のウイングが15m、そして真ん中で私が15mくらいしか動く必要がありませんでした。今のFWは私よりもずっと走っていますね。

  • レアル・マドリーが非常に強いチームであることに疑いの余地はない。ただ、彼らにとって唯一の悲劇は、バルセロナと同じリーグにいることだ。

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ヨハン・クライフについて

ヨハン・クライフは1947年オランダ生まれのサッカー選手。ポジションはフォワード。オランダの強豪アヤックスのユースチームで育ち、弱冠17歳でトップチームデビュー。翌年には16ゴールをあげチームの国内リーグ優勝に貢献する。アヤックスでは10シーズンプレーし318試合に出場、247ものゴールをあげ国内リーグ6回優勝、チャンピオンズリーグ3連覇など輝かしい成績をあげた。

1973年、26歳のとき、スペインの強豪バルセロナに移籍。5シーズンプレーして国内リーグを一度優勝している。オランダ代表としても48試合プレーして33ゴールをあげた。その華麗にディフェンスをかわす姿から「フライング・ダッチマン」の愛称で親しまれ、キックと見せかけて方向を変え、相手を置き去りにする独特のターンは「クライフターン」と呼ばれた。

引退後、ヨハン・クライフは指導者の道に進み、1985年アヤックスの監督に就任、2年半の間に国内カップを2度と、UEFAカップウィナーズカップを1度制覇。アヤックス監督を退任して半年後の1988年6月、バルセロナの監督に就任する。クライフはチームにショートパスを主体とした攻撃的なサッカーを植え付ける。ストイチコフやミハエル・ラウドルップ、ロナルド・クーマン、下部組織から昇格させたジョゼッペ・グアルディオラらのタレントにも恵まれ魅力的なサッカーを展開し、「ドリームチーム」と呼ばれた。バルセロナでは在任8年間で国内リーグ4度優勝、UEFAチャンピオンズカップとUEFAカップウィナーズカップ を1度制覇した。