王貞治
野球選手、監督
王貞治の名言
王貞治の過去の名言をまとめた名言集です。
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100年後、200年後を見ようじゃないか。過去の記録をめくったとき、誰が一番かわかるはずだ。
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努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力とは呼べない。
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もう打てないんじゃないかという恐怖は、常について回るんです。結果を残してきた人ほど不安と戦ってきたはずだし、恐怖心を持っていない人は本物じゃない。その怖さを打ち消したいがために、練習するわけです。
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自分のためにやるからこそ、それがチームのためになるんであって、「チームのために」なんて言うやつは言い訳するからね。
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練習を怠る人が上手くなることはないんですよ。修練して上手くなった人がより上手くなるんです。
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時代はどんなに変わっても、何かを目指して、一本の道を、周りの人とは違うスピードで、違う感覚の世界に住んで、どんどん突き進んでいく人というのは、必ず出てくるんです。そういう人に共通しているのは、ストイックだし、マゾ的な要素を持っているところ。自分自身をいじめるところへ身を置くことで快感を得られる。他人がどう思っても、自分に必要なことなら、どんなことでもやらないかんということになる。僕だって、ありますよ。
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チームでも人でも、成長するときは45度の角度で 一本調子で上がっていくことはない。 最初は見えないくらい ジワジワと上がっていき、 途中から急カーブで伸びるものです。そのジワジワの時期にも、監督としては辛抱強く言い続けること、そして待ち続けることが大事なのです。
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勝つための最善の努力は、どんな時もやめてはいけない。逃げたらだめなのです。
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敵と戦う時間は短い。自分との戦いこそが明暗を分ける。
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努力しても報われないことがあるだろうか。たとえ結果に結びつかなくても、努力したということが必ずや生きてくるのではないだろうか。それでも報われないとしたら、それはまだ、努力とはいえないのではないだろうか。
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ホームランというのは、準備したことがちゃんとできてるだけの話。
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ヒットを打てなくても口惜しくなくなったし、ホームランを打ってもそんなに嬉しくなくなった時、限界がきたと思った。
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カネほしさに野球をやる人は、決して本物にはなれないでしょう。
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ホームランを打つことは注目されたけど、それ以外は、あくまでも王貞治だと思っていた。世間はなかなかそう思っていなかったけど、僕はそういう生き方をしようと思っていたからね。
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監督就任当時のホークスは万年Bクラスで「そこそこ頑張って、そこそこ給料がもらえればいい」という体質に染まっていたのです。そうしたチームの意識を変えるのが、大変でした。とにかく、言い続けるしかないわけです。優勝を目指そう、この世界で生きていける技術を身につけよう。それには練習しかない。
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百回やっても、千回やっても絶対俺はちゃんとできる、という強い気持ちを持って臨んで初めてプロと言えるんです。
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名選手になることは難しくない。努力を怠らず、目の前にあるきっかけを逃さずに、確実に掴んでいけば、必ずどうにかなる。
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真剣で斬り合いの勝負をしていた昔の武士が『時にはミスもある』なんて思っていたら、自らの命に関わってしまう。だから彼らは、絶対にそういう思いは、持っていなかったはずです。時代は違えど、命懸けの勝負をしているかどうかですよ。
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いい時もあるし、 悪い時もあります。自分もまた、それで初心に戻れたりしましたね。
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ステップを踏んで、選手は育っていくんです。確かにファンの皆さんから見たら物足りない所もあるかもしれないが、段階を踏んで選手は力をつけていっていますから、暖かい目で見守って欲しい。
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だいたいどの世界でも、超一流になった人は、自分を厳しいほど痛めつけてるんじゃないですか。ある意味ではマゾ的。
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過去にとらわれず、現在をいかによくするか。
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ジャイアンツでは、何のための練習なのか、自分の役割は何なのかを明確に意識していました。
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いままでの僕の記録はみんな、耐えることで作られてきたんです。
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やっぱり勝つと見えてくるものがあるんだよ。
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自分のためにやってる人が結果的にチームのためになると思う。自分のためにやる人がね、一番、自分に厳しいですよ。
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福岡ダイエーホークスの監督に就任して、チームの指揮をとったとき、本当に驚きました。同じ野球をするのに、こんなにも違うものなのかと。それまで僕はジャイアンツの野球しか知らなかったわけです。優勝することが義務付けられているような雰囲気の中で、チームの勝利のために精一杯頑張ることが当たり前でした。ところが、当時のホークスは17年連続Bクラスを続け、万年Bクラスと言われることに慣れてしまったチームでした。
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自分をいじめられるというのは、うまくなりたいからです。そうしないと打てない、勝てないと思うから、自分をいじめ抜く。仕事ではMだというのはいいことじゃないかな。自分に勝つために自分をいじめて、自分と勝負できるというのはどの世界でも必要なことだと思います。ムチで叩いてくれとは言わんけどね。
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「勝つ」これしかない。すべてにおいて「勝つ」「克つ」ということを前面に押し出して戦って行きたい。「勝つ」ことですべてが上手く回っていくと、自分では考えているし、選手たちもそう考えている。
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ベンツが欲しいから野球をやるなんて考えたこともないですよ。
王貞治の名言を見ている方へお薦めする名言
王貞治の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。
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幼いときに仕込み過ぎるとダメになるんです。少年野球のエースが、たいてい肩やヒジを壊しちゃうみたいに、好奇心そのものを奪ってしまう。
宮崎駿 アニメーション作家、映画監督
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私が着任当時わずか社員13人だったキヤノンUSAが、23年後の帰任時にはトータルで6400人を要するまでに成長する過程で、ずっと第一線に立ち続け、多くの経験を積みました。その経験を通して、私なりに真の国際人に求められる条件を模索してきました。その基本は「違い」を理解できることです。日本と欧米はどこが違うのか知ることです。
御手洗冨士夫 元キヤノン社長
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学問のもとは、好奇心。好奇心を育てるようにしておけば、優れた人物も、自然に育ってくる。
星新一 小説家
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大事なのは、その辛い時期を残念と思うのか、自分にしかできないチャンスだと思うのか、っていうところだと僕は思っている。
本田圭佑 サッカー選手
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どんな選手もいいときばかりではない。打たれても気持ちを切り替え、悪い時を短くし、いい時を長くするのが、プロの世界で生きていくには大事。
桑田真澄 元プロ野球選手
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私はいつも自分のできないことをしている。そうすればそのやり方を学べるからだ。
パブロ・ピカソ 画家
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正しい知識、正しい論理を手に入れなきゃいけない。ルールを理解してより効率的に勝利を収める方法を考えなきゃいけない。でないと努力しても何も手に入らない事があるから。
武井壮 タレント、元陸上選手、トレーナー
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なぜ経営に直結しない内容の勉強会に時間を費やすのか、それは経営者の仕事とは、いち早く社会の大きな流れを感知することだと考えているからです。俯瞰ができず、目の前の効率だけにとらわれていると、取り返しのつかない失敗を招くのです。経営に邁進するのは当然です。そのうえで、社会の動きに応じた手を打つ。勉強会で手がかりを探すわけです。
新浪剛史 元ローソン社長、サントリーホールディングス社長
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権力も金もない若い人間が、年寄りに勝つにはどうすればいいのか。それは、こちらの得意なフィールドで勝負することだ。
堀江貴文 オン・ザ・エッジ創業者、投資家、著作家
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最高のCEOと呼ばれる人は、会社の経営が好きで、財界人円卓会議やオーガスタ・ナショナルでゴルフをすることなど、望まないものです。
ウォーレン・バフェット 投資家、バークシャー・ハサウェイ会長兼CEO
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もっとも大切なことは、組織を可能な限り小さく保つことです。
マーク・ザッカーバーグ Facebook創業者
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働くことは楽しいことであり、自己実現の手段であり、人間性を高められる。
渡邉美樹 ワタミ創業者
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陸上選手は、これまで「黙々と走れ」という指導を受けてきました。そのため、辛抱強く一つのことをやるのには向いていますが、横のつながりを築いて、他人とコミュニケーションを図っていくのが上手ではない。そこで「目標ミーティング」というものを取り入れました。各選手に個人目標を立てさせた上で、控え選手なども交えたグループでそれぞれの目標について話し合い、他者の客観的な評価を受けることで達成可能な目標に仕上げていきます。
原晋 陸上指導者
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今の時代に評価される作曲家とはどんなものだろうか?それはほとんどの場合、時代の変化や、さらに悲しいことに流行に左右されてしまう。優れた真の音楽は岩のように耐え抜かねばならず、不貞な者に汚されることがあってはならない。すべきことを行い、すべての力を使って不可能に挑み、神から与えられた才能を最大限に活かせ。そして決して学び続けることをやめるな。人生は短いが、音楽は永遠なのだから。
ベートーベン 作曲家、ピアニスト
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宮本茂さんは「どうしても解けない問題があるときは,きっと誰かが嘘をついている」って言うんですよ。それは別に「悪意で嘘をついている」って話じゃなくて、誰かの認識が間違ってたり、事象の捉え方が間違っているから問題が解けないんじゃないかって、そう考えるんですね。
岩田聡 元任天堂社長
王貞治について
王貞治は22年間日本プロ野球でプレーし868本の本塁打記録を持つ大打者。868本の本塁打記録は、アメリカメジャーリーグや他のプロリーグの記録を超え、世界最多の生涯本塁打記録である。
1940年(昭和15年)東京府東京市本所区(東京都墨田区)生まれ。早稲田実業高等部で野球部に所属。ポジションは投手だった。4期連続甲子園大会に出場し、選抜大会で一度優勝。プロ注目の存在となり、読売ジャイアンツに入団した。
投手として入団したものの、読売ジャイアンツの首脳陣からの投手として王貞治への評価は低く一年目から一塁手に転向する。1年目こそ打率.161、本塁打7本と振るわなかったが、2年目にはレギュラーに定着し打率.270、本塁打17本と活躍。4年目に大きく開花し、打率.272、本塁打38本、85打点で本塁打王と打点王に輝いた。以降王貞治は現役引退まで19年連続で30本以上の本塁打を記録、首位打者5回、本塁打王15回、打点王13回を獲得、読売ジャイアンツの9連覇に大きく貢献した。
現役引退後は1984年から読売ジャイアンツの監督を5年間務めリーグ優勝1回。さらに1995年から王貞治はダイエー(途中でソフトバンクに球団名変更)で14シーズンにわたり監督を務め、リーグ優勝を3度、日本一を2度達成した。監督引退後はソフトバンクの球団会長に就任。