王貞治
野球選手、監督
王貞治の名言
王貞治の過去の名言をまとめた名言集です。
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バッティングというのは太陽のまわりを運動する惑星みたいなものでね。その核心は軸として定まっている。
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仕事は忍耐第一主義。
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僕の役目はホームランを打つことだ。
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練習で120%の力で振れ。そうすれば試合は80%の力でいい。
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最高のものを求める強い気持ちがないと、結果は出ないものなんだよ。
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この国の将来の為に、私がどういうものを残せるかで、今は頭がいっぱい。
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直球を一球でしとめろ。それが、できなくなれば終わりだぞ。
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我々は勝つしかない。勝てばファンも拍手で迎えてくれる。
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ときには嵐のような逆風が人を強くする
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勝負は、「ゲームセット」と審判が言うまでわからない。
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僕は人生は円だと思ってきました。朝があれば、昼があり、夜があって、朝がくる。季節で言えば冬がくれば、春、夏、秋がきて。これはもう止めようがありません。人間もサイクルみたいなものがあって、調子がいいときもあれば、悪いときもある。
王貞治の名言を見ている方へお薦めする名言
王貞治の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。
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ある面倒くさいカットを外注のプロダクションがやってくれたんですよ。それがとてもよかったんです。だから、これはお礼を言った方がいいなと思ったから、なんかの拍子に電話がつながったとき替わってもらって「いやあ、とってもいいカットでした。どうもありがとうございました」って言ったらね、そのあとその人は泣いたって聞いて。別に泣かせるつもりで言ったわけじゃないですけど。ただそういう配慮がもう少しできたらなんかいいのになあと思いました。
宮崎駿 アニメーション作家、映画監督
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自分の心からやりたい事を、どれだけ自分の中に持ち続けれるか。思い続ける時間も必要なんだな。今は何か障害があったり、都合がつかなくて実現できなくてもあきらめないし、あせらない。そして、「いつかもっと大きな形で実現してみせる!」って思うんだ。思い続けてさえいれば、いつか時期が来て実現できることも、きっとあるって。
木村拓哉 俳優、タレント
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新製品開発は、アイデア創出。つまり新商品アイデアを計画的に探索することから始まる。優れた製品案がほんのいくつか出てくるまでに、企業は膨大な数のアイデアを創出しなければならない。
フィリップ・コトラー 経営学者
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今はひとりの研究者を10人ぐらいの研究支援者が支えています。秘書の方も必要ですし、いろいろな難しい実験を専門的にやってくれる技術員という仕事も非常に大切です。出てきた成果の特許をしっかり獲得する必要がありますから、そういう知的財産の専門家も必要ですし、企業と連携する際には契約の専門家も必要です。あと英語で論文を出す時、研究者が自分で全部チェックするというのは大変な仕事なので、校正をちゃんとしてくれる人とか、難しい研究の図を専門的に描いてくれるイラストレーターの人とか、そういういろいろな職業、才能の人が助けないと、どんなにいい成果であっても、なかなか発表に時間がかかってしまいます。今は競争が激しいですから、そういう支援者の方たちの役割が、昔に比べるとはるかに大切になっています。
山中伸弥 医学者、iPS細胞の開発者
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僕にとって準備は、一試合終わったときの言い訳の材料をなくす作業です。たとえばシューズやグローブを磨いていないと、エラーをしたときや怪我をしたときにシューズやグローブのせいにするかもしれない。そうした言い訳を自分にさせないように、納得いくまで準備をするのです。
イチロー プロ野球選手、メジャーリーガー
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アイデア創出の目的は数多くのアイデアを創り出すことであるが、次の段階では、そのアイデアの数を減らすことが目的となる。アイデアを減らす第1段階はアイデア・スクリーニングである。スクリーニングの目的は良いアイデアを見つけて、速やかに貧弱なアイデアを捨てることにある。
フィリップ・コトラー 経営学者
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明日やる仕事があるのが幸せなんじゃなくて、明日会う人がいるのがこんなに嬉しい。仕事は自分で作るものだけど、幸せは明日会う人が持ってきてくれるものだから。みんな、そう思わない?
萩本欽一 コメディアン、タレント
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コーチがどんなに親身になって接していても、選手の側にそれを受け入れる気持ちがなければ成果は上がらない。ここが、若者の成長をサポートする際の難しさでもある。
落合博満 プロ野球選手、プロ野球監督
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物事というのは、安定している状態を保つことが一番難しい。
堀江貴文 オン・ザ・エッジ創業者、投資家、著作家
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これがサッカーです。自分より強い相手がいて、それに勝つためにやる。悔しい思いをしてこそ成長できる。
本田圭佑 サッカー選手
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釣りバカ日誌を平成元年から20年以上やってきて。三國連太郎さんの存在がなければ有り得ないシリーズだった。高校2年生だったけど、僕にとっては「飢餓海峡」。僕の俳優としての哲学、技術、すべてにおいて影響があったと思う。80歳を超えられても「自分は役者として才能があるんだろうか」と疑うほどの謙虚な面持ち。だからいつもやることが新しかった
西田敏行 俳優
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どれだけ力をこめて弓を引き絞り、矢を射っても、的がなければ面白いことなんて、何もあるはずがない。それは、誰でもそうなのだ。仕事がつまらないと思うなら、そこに的を置こう。そして、その的に向けて、矢を射ることだ。命中すれば嬉しいし、外れれば悔しい。なんとか真ん中に当てたくなる。当てるための工夫なり、努力をするようになる。どんな人であろうと、絶対にそうなる。それが仕事のやり甲斐というものの正体であり、仕事のプロフェッショナルになる道なのだ。
三木谷浩史 楽天創業者
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問題は、あなたがすべきことを今日やるか、明日やるかということです。あなたが「明日やる」と言い続けるなら、永遠にやらないでしょう。あなたは今日始めなければならないのです。
ウォーレン・バフェット 投資家、バークシャー・ハサウェイ会長兼CEO
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仕事をするうえで心得ておくべきことは、一にも準備、二にも準備、三にも準備。徹底した準備が仕事を成功させる。そこは当然、お客様を思う心もある。準備と心が揃って、ようやく楽しい時間を過ごしてもらうことができるのだ。
渡邉美樹 ワタミ創業者
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誰でも最初は、真似から始める。しかし、丸暗記しようとするのではなく、どうしてその人が、その航路をたどったのか、どういう過程でそこにたどり着いたのか、その過程を理解することが大切。
羽生善治 棋士
王貞治について
王貞治は22年間日本プロ野球でプレーし868本の本塁打記録を持つ大打者。868本の本塁打記録は、アメリカメジャーリーグや他のプロリーグの記録を超え、世界最多の生涯本塁打記録である。
1940年(昭和15年)東京府東京市本所区(東京都墨田区)生まれ。早稲田実業高等部で野球部に所属。ポジションは投手だった。4期連続甲子園大会に出場し、選抜大会で一度優勝。プロ注目の存在となり、読売ジャイアンツに入団した。
投手として入団したものの、読売ジャイアンツの首脳陣からの投手として王貞治への評価は低く一年目から一塁手に転向する。1年目こそ打率.161、本塁打7本と振るわなかったが、2年目にはレギュラーに定着し打率.270、本塁打17本と活躍。4年目に大きく開花し、打率.272、本塁打38本、85打点で本塁打王と打点王に輝いた。以降王貞治は現役引退まで19年連続で30本以上の本塁打を記録、首位打者5回、本塁打王15回、打点王13回を獲得、読売ジャイアンツの9連覇に大きく貢献した。
現役引退後は1984年から読売ジャイアンツの監督を5年間務めリーグ優勝1回。さらに1995年から王貞治はダイエー(途中でソフトバンクに球団名変更)で14シーズンにわたり監督を務め、リーグ優勝を3度、日本一を2度達成した。監督引退後はソフトバンクの球団会長に就任。