黒澤明
映画監督
黒澤明の名言
黒澤明の過去の名言をまとめた名言集です。
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人間はロボットじゃないんだから、疲れれば休みたくなるんだ。そういう時は潔く休めばいい。怠けたい気持ちが湧き上がったら、無理強いしてもいい仕事はできないよ。どういう気分になればやる気にになるのか、人それぞれつぼがあるからね。自分で自分のこと、うまいことその気にさせる技を持つことさ。
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生きるのが苦しいとか何とかいうければ、それは人間の気取りでね、正直、生きているのはいいものだよ、とてもおもしろい。
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創造というのは記憶ですね。自分の経験やいろいろなものを読んで記憶に残っていたものが足がかりになって、何かが創れるんで、無から創造できるはずがない。
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人間は集中して夢中になっているときが、一番幸せで楽しいもんだよ。子どもが遊んでいるときの無心な顔は素敵だ。声をかけても聞こえないほど、自意識がない状態。あれが、幸せというもんだね。
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自分が本当に好きなものを見つけてください。見つかったら、その大切なもののために努力しなさい。君たちは、努力したい何かを持っているはずだ。きっとそれは、君たちの心のこもった立派な仕事になるでしょう。
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人間、自分の苦労に正比例して価値判断をしてはならない。
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何もないところからものを創りだしていると思っているのは、人間の驕りだよ。生まれてから今までのどこかで、耳にし、目にした何かが、知らず知らずに入り込んだ記憶が、何かのきっかけで呼び覚まされて動き出す。そうやって、創造していくんだと思うよ。
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くだらん奴がくだらんと言うことは、くだらんものではない証拠で、つまらん奴がつまらんと言うことは、大変面白いことでしょう。
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最初はどんな仕事も分からないし、できなけりゃ面白くないのが当たり前だ。続けていると、ある日突然見えてくるんだ。そうするとやる気がでる。そこでもう一押し頑張ってみると、なるほどそうなんだ、ともっと具体的に何をしたらいいか見えるんだ。繰り返し繰り返しやっていりゃ、パッと目の前が開けて面白いと思えるようになる。
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コツコツと、少しでも完璧なものを作ろうと、来る日も来る日も工夫に工夫を重ねて、何代も受け継いできた技がある。そんな職人たちにとって、もの作りが人生なんだ。継承する人もなく、材料も手に入らない。こういうことを助けるのが国だろう、それが文化を守るってことだ。
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よく絶望とか後悔とは無縁の強い人間だからとか、特別な才能があるとか言われるけど、それは違うよ。センチメンタルな弱虫だから、強そうな顔をして意地を張ってるだけだ。弱みを見せたり、人に負けるのが嫌だから、無茶なほど頑張るだけだ。
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やはりいいものを作るには、一つずつ解決していかなければならない。
出典: 「黒澤明・三船敏郎 二人の日本人」
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自分が得することばかりにこだわって、セコセコセコセコしている奴ばかりだ。なるようにしかならないんだ、人生一度だしね。得ばっかりしたいってきりきり舞いするより、味わって生きたらいいのにね。
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人間は弱いものだからね。平穏無事に生きている時は大して良い考えなんか出てこないのさ。ここを踏み外したら真っ逆さまだぞと追い詰まった時、やっとこさっとこ頭がフル回転し始める。
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自分の与えられた人生、何もかも潔く責任をとるしかないんだ。本当に優しいというのは、そういう強さだと思うね。
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一日に一枚しか書けなくても、一年かければ、365枚のシナリオが書ける。私はそう思って、一日一枚を目標に、徹夜の仕事の時は仕方がなかったが、眠る時間のあるときは、寝床に入ってからでも、二、三枚は書いた。
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知能の発達には緩急がある。過不足なく、一年間には一年間の発達をする、ときめてかかるのは間違っている。
出典: 「 蝦蟇の油」
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自分が本当に好きなものを見つけて下さい。 見つかったら、その大切なもののために努力しなさい。 君たちは、努力したい何かを持っているはずだ。 きっとそれは君たちの心のこもった、立派な仕事になるでしょう。
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私は人を憎んでなんかいられない。私にはそんなヒマはない。
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1日で進歩するのは紙1枚分の厚さくらいですよ。
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モノを創る人は、皆完全なものを創りたいと思って努力するんだ。 自分がもうこれ以上ないと満足出来るところを目指してがんばるんだ。 でもこれが完全だという答えは人によって違うのだから、自分の信じるところに向かってどれだけのことを諦めずに踏ん張れるかということだ。
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ものを創る人間にとって完全が目標です。完全に満足のいく作品なんてないから、次の作品こそは完全無欠な作品をと願うわけです。だから、僕にとって一番の作品はネクスト・ワンです。
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自分を飽きさせずに、面白く働かせるコツは、一生懸命努力して、しつこく踏ん張るしかないんだ。
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ハッキリと言わなければ、かえって人を傷付けることもある。
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些細なことだといって、ひとつ妥協したら、将棋倒しにすべてがこわれてしまう。
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テーマはなし。俺の作りたいものを作るんだ。
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恥をかいてもいいから、ズカズカ踏み込むんだ。
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馬鹿に道あり利口に道なし。
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悪魔のように細心に、天使のように大胆に。
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昔、映画会社は夢の工場と呼ばれていたんだ。そんな、純粋で生き生きとした活気に溢れた映画の門戸を、若者たちに開いてあげたい。若い人に夢を持たせるような、憧れて入りたいと思うような日本映画界にしたいものだね。
黒澤明の名言を見ている方へお薦めする名言
黒澤明の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。
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「不満なことは、これとこれ。でも、幸せなことはこれとこれ」。その割合が「幸せ51:不満49」であれば、人間相当ハッピーだ。
テリー伊藤 テレビプロデューサー、タレント
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笑い続けてください。人生は素晴らしく、笑うべきことがたくさんあるのだから。
マリリン・モンロー 映画女優、歌手
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自分の課題と常に向き合い、何があっても最後まで戦い続ける。すぐに結果として結び付かなくても、その繰り返し。必ず乗り越えられると信じて。
田中将大 プロ野球選手、メジャーリーガー
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人間は知と行だけではダメである。そこには必ずだれにも負けないという信念が必要だ。それには進行で人間の意志というものを絶えず鍛錬していく必要がある。事業で成功するにしても、利殖するにしても、不可欠なものは信念である。
五島慶太 東急コンツェルン創始者
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自律型の人間は、矢印が自分に向いています。つまり、目の前の障壁に対して自分で乗り越えようとする人です。ひとつの方向を試してみて上手くいかなければ、別の方法を試してみる。それでも成果が出ない場合、「まだ動き切れていない」「ほかにできることはないか」と考えて、徹底的にやりきろうとします。
玉塚元一 元ファーストリテイリング社長、元ローソン社長
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変化は人生の習わしである。過去と現在にしか目を向けないものは、確実に未来を見逃してしまう。
ジョン・F・ケネディ アメリカ合衆国大統領
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僕は実は昔より今のほうが働いています。それは楽しくて仕方がないから。働くことは大変だとか、仕事をナメちやいけないとか、生きていくためにお金を稼がなきゃいけないとか言う人が僕の周りにもたくさんいたけれど、僕はそうは思いません。働くことは、やっぱり楽しい。大変なことも難しいことももちろんあるけれど、それでも面白い。それが今、一番伝えたいメッセージなのです。
糸井重里 コピーライター、株式会社ほぼ日創業者
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ゼロから新しいものを作り上げるのは本当に大変です。やり遂げるには、困難に立ち向かう力が必要となるでしょう。そして、「想いを伝えたい」という強い気持ちが大事です。
孫正義 ソフトバンクグループ創業者
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自信は成功の秘訣であるが、空想は敗事の源泉である。
岩崎弥太郎 三菱財閥創始者
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僕の競技人生は、まさに「負けで終わった」けれど、幸せな人生だったと胸を張って言える。そう、負けと幸福感は別である。
為末大 陸上選手、世界陸上400mハードル銅メダリスト
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過去にしがみつき通すことは不可能である。
盛田昭夫 ソニー創業者
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これからは、ひとつの会社で仕事をする人は少なくなっていくと思います。ひとつの会社にとどまらない、プロジェクト単位の世の中になっていくでしょう。多くの人とコラボレーションしながら、世の中に対して価値を提供していく時代ですから。だから会社自らが開かれていないといけません。
南場智子 株式会社ディー・エヌ・エー創業者
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嫌われることを恐れていたら、改革はできない。
橋下徹 弁護士、政治家
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ヒットを一本増やしたいとポジティブに考えるのです。そう思っていれば打席に立つのが楽しみになりますよね。
イチロー プロ野球選手、メジャーリーガー
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死を前にした時、惨めな気持ちで人生を振り返らなくてはならないとしたら、嫌な思い出や逃したチャンス、やり残したことばかりを思い出すとしたら、それはとても不幸なことだと思う。
オードリー・ヘップバーン 女優
黒澤明について
黒澤明は「七人の侍」、「羅生門」、「生きる」、「蜘蛛巣城」などで知られる世界的映画監督。国内外の映画製作者に多大な影響を与え、黒澤映画から着想を得たり、シーン模したりしたとされる映画は枚挙にいとまがない。
1910年(明治43年)現在の東京都品川区生まれ。京華中学校を卒業後は画家を目指し川端画学校で学んだ。画家としては「静物」が二科展に入選するなどしたが、画家業に見切りをつけ、1936年黒澤明が26歳のときP.C.L.映画製作所に助監督として入社した。助監督としてキャリアを積みながらシナリオの製作も行った。1943年「姿三四郎」で監督デビュー。1948年の「酔いどれ天使」では三船敏郎を起用、以降黒澤明作品の多くに出演することになる。1951年「羅生門」がヴェネツィア国際映画祭金獅子賞とアカデミー賞名誉賞(現在の外国映画賞)を受賞し、世界的な名声を得るきっかけとなった。以降、「生きる」がベルリン国際映画祭ドイツ上院議員賞、「七人の侍」がヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞、「蜘蛛巣城」がベルリン国際映画祭銀熊賞 (監督賞)を受賞し、黒澤明は世界的名監督の仲間入りを果たす。一方で黒澤明の完璧主義は製作費用の増大を招き、国内の映画制作会社との関係が悪化。1965年の「赤ひげ」を最後にハリウッドに進出した。しかし、ハリウッドでも脚本や撮影方法などで制作会社と意見が合わず、企画は頓挫。以降は制作資金に苦労しながらも「影武者」、「乱」などの作品を残した。1998年脳卒中により死去。享年88歳。