アントニオ猪木
プロレスラー、政治家
アントニオ猪木の名言
アントニオ猪木の過去の名言をまとめた名言集です。
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何かやると、当初はいろいろ言われても、あとから必ず評価されるときが来ます。俺の歴史はその繰り返しですよ。
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落ちたら、またはいあがってくれば、いいだけのこと。
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失敗が怖い?いいじゃないですか。私なんか失敗、誤解、つまずきといった負の部分をエネルギーに変えてきたからこそ、こうやって60歳を過ぎたいまでも元気でいられるんですから。
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限界なんて言葉はこの世にはない、限界と言うから限界ができるんだ。
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人は歩みを止めた時に、そして、挑戦をあきらめた時に年老いていくのだと思います。
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衰退期はやることなすこと裏目に出る。思い切って発想を変えないとやっていけない。
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人は歩みを止め、闘いを忘れたときに老いていく。
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夢を持てば、燃えられる。燃えられれば、どん底にも耐えられる。ヘンにひねくれることもない。どん底に耐えられれば、裸になることができる。
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限界なんて言葉はこの世の中にはない、限界と言うから限界ができるんだ。どんなに慎重になっても、どんなに想像しても、行動についての結果は、やってみなければわかりません。でも、結果を恐れて行動しなければ、なにも生まれてきません。行動を起こせば、また新たな選択が生まれてきます。でも、その行動や選択には責任もついてきます。あなたの行動は多くの人にも影響をあたえます。言い訳はひとつも通用しません。それでも歩きましょう。人生逃げ道なし。
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新聞や雑誌で「環境がどうの……」と理屈ばかり言っている知識人と呼ばれている人たちは、一度、アマゾンのジャングルを走り回ってくるといいんですよ。パラオの海に潜ってもいいし、そうすると机上では計り知れない、自然からの知恵が黙ってても入ってきますから。
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あなたの行動は多くの人にも影響をあたえます。言い訳はひとつも通用しません。それでも歩きましょう。人生逃げ道なし。
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一生懸命やっている人を小馬鹿にするのは、自分がかなわないから、笑うことで逃げているのだ。
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よく、これがもう俺の限界だと弱音を吐くやつがいる。限界だ、限界だと口癖ではなかろうかと思うくらい、限界の二文字を口に出す。私に言わせれば限界なんて言葉はこの世の中にはない。限界と言うから、限界ができるのだ。
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私の歴史を振り返ると、行動を起こした直後はものすごく批判を浴びる。でも結果として形になっていく。
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人間には、必ず人生の転機を直感し、的確に判断できるかどうかを試される時が何度かある。
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俺たちは、生まれながらに偉いのではない。全力でぶつかり、失敗し、それでも立ち上がって、また失敗し、やっと何かをつかんだかと思ったら、虚しくも朝の露。しかし、まだまだくたばらない。俺には欲があるんだ、夢があるんだと向かっていく。そうして、ちっぽけながらも、自分だけができる何かをつかんできた。
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俺は本音で勝負してるから、どんな逆境でも人気商売をやらせてもらえる。客に媚びを売ってたら商売にならないよ。
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事務所のブログに「なぜこんな時期に、わざわざ北朝鮮に行くんだ」という書き込みもたくさんの方からいただきました。あのときは「じゃあ、オマエにいいアイデアがあったら、教えてくれよ」と言いたかったですね。
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人は歩みをとめたときに、そして挑戦をあきらめたときに年老いていくのだと思います。この道を行けばどうなるものか。あやぶむなかれ。歩まずば道は無し。踏み出せばそのひと足が道となり、そのひと足が道となる。迷わずいけよ、いけばわかるさ。
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何かを始めたら、まずその初期からエネルギーのある成長期を経て、安定期、そして衰退期が来ます。多くの人は、安定期に入ると明日も明後日もそれが続くと思っていて、衰退期に入ってから独立するなどと言って動き出す。次のことは、勢いのあるうちに考えないと駄目。
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混乱の時代、不安と恐怖の中で生きるか、何が起ころうとも何かに挑戦し続けるか。
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常識から1ミリでもいいから一歩踏み出せ。
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自分の我を引っ込めたときには、必ずといっていいほど挫折感を味わう。
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コンプレックスをバネに飛躍することができるのではないか。
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「…たら」「…れば」を考えるより、どんな状況下でも「何を、どうすれば、自分にとって最高の道となるのか」を見つけ出す方に時間をかけるほうが、有意義ですよね。
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妥協して敗れるのか、必死に闘った結果敗れるのかでは大きな違いがある。
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派手に見えれば見えるほど、裏で地味な努力をしているのが、あらゆる世界のプロだ。
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ただ単に相手を倒すだけであったのなら、社会において何の価値があろうか。
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どうってことはない。負けたと思ってないんだから。
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日本人は「日本が平和憲法を持った国家」であると思っている。しかし、実際は世界の人はそんなこと知らない。外国の憲法なんて誰も興味ない。ほとんどの日本人だって、韓国の憲法や米国の憲法なんて知らないでしょう。大事なことは、誰かが日本が平和国家であり、友好関係を結ぼうと訴えなければならないということです。
アントニオ猪木の名言を見ている方へお薦めする名言
アントニオ猪木の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。
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勝利とは必ずしも戦いに勝つことだけではない。倒れた時に必ず立ち上がることが勝利だ。
ナポレオン フランス皇帝
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夢は一人ひとり違うものです。興味や才能もみんな違うのです。それが個性というものです。どうして「こうでなくてはいけない」と決めつけるのでしょうか。
黒柳徹子 司会者、女優、作家
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いまの世の中は国に頼ろうとか親に頼ろうとか自立心に欠ける人が増えているように感じます。自分を頼って生きていくそういう人間に我われ一人ひとりがなっていかないと。
北尾吉孝 SBIホールディングス創業者
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ここからは「好きなことを仕事化するしか道が残されていない」時代だ。多くの親や先生は、この変化を捉えていない。彼らは、この大波の乗り越え方を知らないのだ。
西野亮廣 お笑い芸人
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私は理想を捨てません。どんなことがあっても、人は本当に素晴らしい心を持っていると今でも信じているからです。私たちの人生は一人一人違うけれど、皆同じなのです。私たちは皆、幸せになることを目的に生きています。
アンネ・フランク アンネの日記の著者
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将来を変え、あるべき日本にするためにも、若い人たちは諦めてはならない。私も「諦めかけた」ことは何度となくありますが、最後は決して諦めなかった。自分の人生は、自分の手で作っていくものです。ジワジワですが、その気になれば本当に事態は好転していきます。
新浪剛史 元ローソン社長、サントリーホールディングス社長
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どんな幸運な人間でも、一度は死にたいほど悲しくて辛いことがある。
井上靖 作家
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考えることを放棄している人が増えているように思う。これは生きる上で非常にリスキーなこと。
村上龍 小説家、脚本家
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解決不可能と思われた障害を一つ乗り越えると、他の障害がそれほど苦にならなくなる。くじけることなく挑戦し続ければ、たいていの人は自分の夢よりも大きなことを達成できる。大きな夢を持つことが大事なのだ。基礎をしっかり固めて、貪欲に知識を吸収し、従来の考え方を大胆に切り換える。これまで誰もやらなかったことに挑戦するのだ。
ハワード・シュルツ 元スターバックスCEO
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バラの茎にトゲがあることに不平を言うか、それともトゲのあるバラの茎に花が咲くことを喜ぶか。
リンカーン アメリカ合衆国大統領
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人間は常に迷っている。迷っている間は、常に何かを求めているのである。
ゲーテ 詩人、劇作家、小説家
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未来のことはわからない。しかし、我々には過去が希望を与えてくれるはずだ。
ウィンストン・チャーチル イギリス首相、軍人、作家
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苦しめば、苦しんだ人ほど、それがたとえささやかでも幸せが訪れたときに、苦しまなかった人の何倍もの幸せ、充実感を大いなる幸福として感じることができます。
美輪明宏 歌手、俳優、タレント
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若者は欲望のかたまりでいい。純粋は欲望と隣り合わせている。欲望への葛藤など捨てればいい。欲望に忠実であることが純粋の証しだ。たっぷりと欲望につき合うことだ。じたばたすることだ。
伊集院静 小説家、作詞家
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人生は、そんなに確実なものじゃない。僕なんて再来年の自分がどうなってるかわかりません。それを幸せなことだと思っているんです。5年後、10年後を決めすぎると、その点と点を結ぶことに躍起になりがちだから。
渡辺謙 俳優
アントニオ猪木について
アントニオ猪木は日本のプロレスラー。「元気ですか〜」、「1、2、3ダァー」のパフォーマンスで知られる。新日本プロレスを立ち上げ、全日本プロレスと並ぶ人気団体に育て上げた。プロレス引退後は政治家に転身し、参議院議員となった。
1943年(昭和18年)神奈川県横浜市生まれ。13歳のとき一家でブラジルに渡る。ブラジルに遠征中だった力道山の目に止まり、プロレスにスカウトされると、1960年17歳で日本プロレスに入団。アントニオ猪木をリングネームとして活躍し、日本プロレスではジャイアント馬場と並ぶ人気レスラーとなるが、日本プロレスとの確執などから、1972年に独立して「新日本プロレス」を立ち上げた。新日本プロレスはアントニオ猪木や、長州力、藤波辰爾などの人気レスラーを抱え、テレビで全国放送されたことも相まって人気となり、プロレス黄金時代を築いた。
1989年「スポーツを通じて国際平和」を合言葉にした「スポーツ平和党」を結成。参議院選挙に出馬したアントニオ猪木は99万票を集めて当選した。1990年湾岸戦争では、クウェート在住の日本人41人が人質としてイラクに拘束されていた。アントニオ猪木はこの人質開放を目指し、バグダッドに乗り込んで人質開放を成し遂げた。また2013年以降、北朝鮮を度々訪れ、日本人拉致問題解決や核開発の中止を直接訴えかけた。