オードリー・ヘップバーン

女優

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オードリー・ヘップバーンの名言

オードリー・ヘップバーンの過去の名言をまとめた名言集です。

  • なぜ変わる必要があるんですか?人は皆、自分らしさを持っています。一度それを見つけたら、自分らしくあり続けるべきです。

  • 女性の美しさとは外見だけではありません、彼女の内面が映し出されたものです。彼女の示した愛情がやがて外に現れます。女性の美は年を経るごとに増していくのです。

  • 人は、物以上に、回復して、新しくなり、生き返り、再生し、報われることが必要です。決して、誰も見捨ててはいけません。

  • 不可能なことなんてない。"impossible"(不可能)という言葉自体が"im"(私には)、"possible"(可能だ)と言っているのだから。

  • たしかに私の顔にシワも増えました。ただ、それは私が多くの愛を知ったということなのです。だから私は今の顔の方が好きです。

  • あなたが笑顔になることをしたなら、後悔なんてする必要がありません。

  • 死を前にした時、惨めな気持ちで人生を振り返らなくてはならないとしたら、嫌な思い出や逃したチャンス、やり残したことばかりを思い出すとしたら、それはとても不幸なことだと思う。

  • 一個の道具のように自分を分析しなさい。自分自身に対して100%率直でなければなりません。欠点を隠そうとせずに、正面から向かい合うのです。

    出典:  「オードリー・ヘップバーン物語」

  • 人間の評価は、他の人たちの意見よりも、その人が他の人たちについてどのように言っているのかで、よりはっきり分かるものです。

  • 戦争を経験して、逆境に負けない強靭さが身につきました。また、戦争が終わって戻ってきたもののありがたさをつくづく感じました。食料、自由、健康、家庭、そして何より人の命に、深い感謝の念を抱いたのです。

  • 一日、一日を大切に、徹底的に楽しむのです。その日の訪れが、大切の訪れであるかのように。私は過去は、現在を感謝するためのものだと思います。そして私は、将来を悩んだせいで、なにも無駄にしてはいけないと思っています。

  • 私の最大の勝利は、欠点を受け入れ、私自身として生きることができるようになったことです。長い道のりでしたが、私は最後には私自身がさほど悪くないと気づくことができました。

  • 苦しんでいる人への共感は何よりも重要です。何よりも。重要なのは仕事、富、知性、地位ではありません。私達が尊厳を持って生きていくには他人を思う心を持たなくてはなりません。

  • 大人になるとあなたは手が2つあることに気づくでしょう。一つは自分自身を助ける手、もう一つは他人を助ける手です。

  • 美とは、内面でも外見でもあなたが最も磨かれた状態のことです。

  • 美しい唇であるためには、美しい言葉を使いなさい。美しい瞳であるためには、人の美点を探しなさい。

  • 私が信じてること。笑いは最高のダイエット。キスをすること。たくさんキスをすること。ハッピーな女性が一番美しいということ。すべてが上手くいかないときこそ、強くなれるチャンスだということ。明日は新しい一日の始まりだということ。そして、奇跡は起こるということ。

  • 愛とは行動です。言葉だけではいけません。言葉だけで済んだことなど一度だってなかった。私たちには生まれたときから愛する力が備わっている。それでも筋肉と同じで、その力は鍛えなければ衰えていってしまう。

  • 成功は誕生日みたいなもの。待ちに待った誕生日になっても、自分はなにも変わらないでしょ。

  • 紅茶を出せる相手がいなくなったら、誰からも必要とされていません。私はそれは人生の終わりだと思います。

  • 幸せな女性はもっとも可愛らしい女性です。

  • 与えることは生きることです。与えることを止めてしまったら、生きる意味がなくなってしまいます。

  • 優雅さは唯一の色褪せることのない美です。

  • 一番大切なことは人生を楽しむことです。幸せでいること、それが全てなのです。

  • 人がどう思おうと私はわたし。自分の道を行くだけです。

  • いわゆる天賦の才に恵まれていると思ったことはありません。仕事を心から愛して、最善を尽くしただけです。

  • なんとしても避けたかったのは、人生を振り返ったとき、映画しか残っていないということです。

  • 私たち家族は戦争で全てを失いました。家も、持ち物も、お金も。でも、少しも悲しくはありませんでした。家族全員が無事に生きている、そのことが何よりもありがたかったのです。

  • 年齢を重ねると、あなたは自分に2つの手があることに気づくでしょう。一つは自分を助けるための手で、もう一つは他の誰かを助けるための手です。

  • ある時期、私は私自身を嫌っていたと言えます。太り過ぎていたし、たぶん背が高過ぎたし、単純に醜かった。私が意固地なのは、この頃の不安や劣等感といった気持ちが原因かもしれません。曖昧な態度ではこれらの気持ちに打ち克つことはできませんでした。改善するには力づくで集中して取り組まないといけないのです。

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オードリー・ヘップバーンについて

オードリー・ヘップバーンは第二次大戦後に活躍したアメリカの女優。主にハリウッドの映画作品に出演し、「ローマの休日」、「ティファニーで朝食を」、「マイ・フェア・レディ」などが有名。「ローマの休日」ではアカデミー主演女優賞を受賞している。ブロードウェイの舞台でも活躍しており、「オンディーヌ」では、アメリカの演劇界で最も権威のあるトニー賞を受賞した。

1929年ベルギー・ブリュッセル生まれ。父はオーストリア出身、母はオランダの貴族の血を継いでいた。オードリー・ヘップバーンが幼いころに父の不倫によって両親は離婚し、1935年母に引き取られて母の故郷であるオランダ・アーネムに移り住んだ。ここでオードリー・ヘップバーンはアーネム音楽院で学び、音楽とバレエを学んだ。第二次世界大戦が勃発すると1940年にドイツがオランダに侵攻、オランダはドイツ占領下に置かれる。大戦中は貴族の叔父がドイツに処刑されるなど悲劇を味わいながらオランダ・フェルプ近郊で過ごした。

1945年に第二次世界大戦が集結し一家はアムステルダムに移り住む。オードリー・ヘップバーンは有名バレエ教師ソニア・ガスケルのレッスンを受け、1948年母を説得してともにロンドンに移り、奨学金を受けてマリー・ランバートのバレエ学校で学んだ。この頃、生活のために広告写真のモデルを始めた。そして、ブロードウェイ・ミュージカル「ハイ・バトン・シューズ」のロンドン公演に向けたオーディションに合格し、オードリー・ヘップバーンはロンドンで舞台女優として活躍し始める。「ソース・タルタル」、「ソース・ピカンテ」などの舞台に出演した後、1951年イギリスの映画界にも進出。「天国の笑い声」、「若気のいたり」、「若妻物語」などに端役で出演。舞台ではブロードウェイミュージカル「ジジ」で主役を務め、大成功を収めた。1952年23歳のとき、映画「ローマの休日」で主演女優に抜擢される。「ローマの休日」は翌年公開されると世界的大ヒットとなりオードリー・ヘップバーンは1954年アカデミー主演女優賞を受賞。さらにこの年ブロードウェイの舞台「オンディーヌ」に出演し、トニー賞も受賞。オードリー・ヘップバーンは世界的なスターの仲間入りを果たす。その後は「麗しのサブリナ」、「昼下がりの情事」、「尼僧物語」、「許されざる者」、「ティファニーで朝食を」、「シャレード」、「マイ・フェア・レディ」などの映画に次々と出演。30代後半になると映画出演は減っていき、1954年から始めたユニセフでの慈善活動に力を入れていった。1989年60歳で出演したスティーブン・スピルバーグ監督の「オールウェイズ」が最後の映画出演となった。1993年ガンにより死去。享年63歳。