松本人志
お笑い芸人
松本人志の名言
松本人志の過去の名言をまとめた名言集です。
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俺らが特別扱いされるのはおまえらが特別扱いするからや!
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百歩譲って、オレの番組が子供に悪影響だったとしよう。でも、それなら親であるあなた方が、「マネしてはいけませんよ」と言えばいい。たかだか一時間の番組の、ほんの数分間の一コーナーの影響力に、あなたたち、親の影響力は劣っているのか?
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浜田がいい仕事をすれば誰よりも嬉しいし、誰よりもムカつきますね。
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そいつの良い所悪い所10個ずつ言えて初めて友達や。
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今後の取り組みを聞かれるんですけど僕自身もよくわからないんですよ。自分が何を求めて、何を燃料として走っているのか。むしろ、それがテーマかもしれませんね。いや、もう走っているのかさえわからない。
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面白いも面白ないも良うわからん奴が「面白い人が好き」言うな!
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シンプルでいるにはどうしたらいいかと考え出したら、それはもうシンプルではなくなるし、むずかしいですね。
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未完成でも一生懸命やったら伝わるもんやなぁ。
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悲しいと言えば・・・・嘘になりますけど。
解説: 「ガキの使いやあらへんで」を卒業する山崎に対して
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独身のマンネリ化ですよね。これを続けていて一体何になるんだって。だから別に結婚をしたいというよりも、独身に飽きるという感じでしたけど。
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芸人は常に作品を作っていかなければならない。僕はそういう人になりたい。
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戦争は仲直りする気のない喧嘩だからタチ悪いねんね。
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視聴率が高い番組が、面白いわけじゃないからね。
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笑ってるとき、人間はみんな無防備になる。この仕事をやっていて嬉しいのは、その無防備な顔を見ているときだ。どんな美人だろうが、男前だろうが、職業も、性別も、年齢も、なんにも関係なく、笑ってるときはみんな無防備で、アホみたいな顔してる。その無防備な顔を見られる優越感というか、嬉しさというか。
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オリンピックで金メダル獲った奴が一番、足が速いと思うなよ。世の中には、もっと足の速い奴がおんねん。速すぎて見つかれへんだけや。
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オレを理解するにはある程度のセンスとオツムが必要である。バカなヤツがどうあがいても、ついてこれる世界ではないのだ。
出典: 松本人志「遺書」
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誰が決めたかしらないが、結婚というものは、おっそろしいものである。いつ家に帰っても同じ女がいるのだぞ…ギャー。考えただけで身の毛がよだつ話である。
出典: 松本人志「遺書」
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確かにファンは少ないより多いほうがいい。でも、そいつらに踊らされないようにしなくてはならない。頭の悪い客を無理して笑わすこともないし、こうすればもっとファンが増えるかもしれないとか、こんなことをしたらファンが減るかもしないなどと考えるようになったら終わりである。
出典: 松本人志「遺書」
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結局お笑いは、そいつの才能以外のなにものでもないのだ。
出典: 松本人志「遺書」
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紳助・竜介に憧れて、この世界に入ろうと思ったオレだが、島田紳助の弟子になろうとは思わなかった。弟子になってしまうと師匠を抜けないような気がしたし、同じ線上で勝負したいと思ったのだよ。
出典: 松本人志「遺書」
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建物の保存を訴える人っていますよねぇ。「思い出の場所なんです、だから・・・」とか。アホか。お前らみたいな勝手な意見がこれから色んなところで通ったら、これから生まれてくる人間にお前らの言う「思い出の場所」が出来んやないか。「思い出の場所」は自分の心の中でずっと在り続ける、それでいいんちゃうの?
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ダウンタウンは作り込んだ笑いをやるというタイプではない。良くも悪くも瞬間芸というか。
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ただ楽しいものを、1個でも多く提供できればいいなということしかない。
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どえらい贈る言葉でしたね。
解説: 子供にマジギレして説教した武田鉄矢に一言
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俺のライバルは明日の俺だ。過去の俺とは戦わない。
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専門店を貫くしかないよね。専門店が、変にコンビニを意識しだしたら、よう分からんことになっていくから。
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親孝行って何?って考える。でもそれを考えようとすることがもう親孝行なのかもしれない。
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日本で売れるためにはオバチャン連中に受けないとダメ。オバチャンは、自分が全て把握できる未完成のものが好き。
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僕の中では立川志の輔さんは別格で。お会いしたい気持ちもあるけど、恐れ多くて会いたくない。お笑い芸人でありながら。
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切腹をモチーフにしてみようと思ってたんですよ。やっぱり切腹って日本特有の文化だと思うし、以前から不思議だなと思っていたので、一度取り上げてみたかった。僕はジタバタする男が好きなんです。切腹を申し付けられた男が切腹をしたくないから必死にジタバタする。それを考えたら切腹だけではないストーリーができてきました。
解説: 監督、脚本を担当した「さや侍」について
松本人志の名言を見ている方へお薦めする名言
松本人志の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。
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給料が上がらないというのは「悩み」ではなく、「目の前に立ちはだかった現実」だということに気づいてほしい。
村上龍 小説家、脚本家
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組織の論理は捨てなければならない。組織は独創的な考え方をつぶすだけだからだ。
中村修二 青色発光ダイオードの発明者、カリフォルニア大学教授
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わたしが見つけた天才の定義があります。人が嫌がるかもしれないことや、人が疲れて続けられないような事を、延々と続けられる人、それが「天才」だとわたしは思うんです。
岩田聡 元任天堂社長
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どんな種類の変更も改良も望まないほど完全に自分の境遇に満足しきっていることは、おそらくただの一例もないだろう。
アダム・スミス 経済学者
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統計的に1人の選手が1試合でボールを持つのは3分だと解明されている。だから重要なことは残りの87分、ボールを持っていない時に何をするかだ。それが良い選手か、悪い選手かを決める。
ヨハン・クライフ サッカー選手、サッカー監督
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死ぬということは、生きているよりイヤなことです。けれども、喜んで死ぬことができれば、くだらなく生きているよりは幸福なことです。
谷崎潤一郎 小説家
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僕がベンチャーを起業した理由は、大企業の仕事は退屈だと思ったからです。
堀江貴文 オン・ザ・エッジ創業者、投資家、著作家
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生活の安定を思えば、日亜化学工業に残っている方がいいですよね。食いっぱぐれることはない。楽だし。特許収入があるから会社が傾く心配は当面ない。僕も適当に昇進するだろうし。でもそれじゃ、何も面白くない。やることがないのに会社に残っていたら「アホ」になるだけですよ。
中村修二 青色発光ダイオードの発明者、カリフォルニア大学教授
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よく志とか理念とか言いますよね。確かに凄く大事なことですよ。でもね、僕は思うんですけど、それを前面に出して成功した人ってあんまりいないんじゃないですか。そんな抽象的な物じゃなくて、もっとドロドロした意地が原動力なんじゃないかと思いますね。それがなかったら途中で放り投げちゃいますよ。成功するかしないかは、その意地がどれだけ大きかどうか。
松井道夫 元松井証券社長
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できない理由を考える前に、できる方法を考えてくれ。
市村清 リコー創業者
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現状を作りあげるために、たくさんの人が善意と誠実な熱意でやってきたわけでしょう?その現状を否定すべきではないと思います。
岩田聡 元任天堂社長
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死後、評価される画家が多いように、成功した経営者の多くは、当初、周囲の理解を得られなかった。理屈で解釈できる経営に成功はない。論理で割り切れないところにチャンスがある。
松井道夫 元松井証券社長
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簡単に諦めるな。それは潔いのではなくサボっているだけ。
夏野剛 iモードの開発メンバー、ドワンゴCEO
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ものごとが困難なのはあなたの意思に反しているからではない。困難なことだからやろうとしないのだ。
ルキウス・アンナエウス・セネカ 哲学者、政治家、戯曲家
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努力とは、馬鹿に与えた夢である。
立川談志 落語家
松本人志について
松本人志は日本のお笑い芸人。浜田雅功とお笑いコンビ「ダウンタウン」を結成。多くのバラエティー番組に出演するとともに、番組の企画・構成も担当。代表的な番組に「ダウンタウンのごっつええ感じ」、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」、「人志松本のすべらない話」、「IPPONグランプリ」などがある。さらに松本人志は映画業界にも進出し、「大日本人」、「しんぼる」、「さや侍」、「R100」を脚本・監督した。
1963年兵庫県尼崎市生まれ。小学校の同級生として、のちに相方となる浜田雅功と、松本人志が出演する多くの番組で放送作家を務める高須光聖と出会う。1982年18歳のとき吉本総合芸能学院(NSC)に浜田雅功とともに入学。そこで浜田とコンビを組む。入学早々からその芸には光るものがあり、島田紳助がNSCで明石家さんまやトミーズ雅と講義をしたとき、学生たちのネタを見て「一組だけやな。」と3人ともが言い、その一組がダウンタウンだったという。NSC在学中から大阪のローカルテレビ番組に出演。1984年には「第14回NHK上方漫才コンテスト」で優秀賞、「第5回ABC漫才・落語新人コンクール」で最優秀新人賞を受賞。1987年大阪の毎日放送で平日夕方の帯番組「4時ですよーだ」に出演。この番組によってダウンタウンは関西で爆発的人気となる。1989年東京に進出し、4月から昼の人気番組「笑っていいとも!」の火曜日レギュラーとなり、10月から「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」が放送を開始。1991年「ダウンタウンのごっつええ感じ」、1993年「ダウンタウンDX」、1994年「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」が始まり、ダウンタウンは日本を代表するお笑い芸人となっていった。1997年「ダウンタウンのごっつええ感じ」の放送がプロ野球の優勝決定試合の中継へ差し替えられたことに松本人志が抗議。テレビ局との関係が悪化し番組は打ち切りとなった。2000年ごろからはコンビではなく、個人での活動が増え始める。2007年松本人志は脚本・監督を務め、自身も出演した映画「大日本人」を公開。2004年から芸人が集まって自身のもっともすべらない話を披露し合う「人志松本のすべらない話」が放送開始。2009年芸人が大喜利の面白さを競う「IPPON グランプリ」放送開始。2013年芸能ニュースや時事ネタをもとにトークを繰り広げるワイドショー番組「ワイドナショー」が放送を始めた。