松本人志

お笑い芸人

  • Twitter
  • Facebook
  • Hatebu
  • Line
  • Copy

松本人志の名言

松本人志の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 俺らが特別扱いされるのはおまえらが特別扱いするからや!

  • 百歩譲って、オレの番組が子供に悪影響だったとしよう。でも、それなら親であるあなた方が、「マネしてはいけませんよ」と言えばいい。たかだか一時間の番組の、ほんの数分間の一コーナーの影響力に、あなたたち、親の影響力は劣っているのか?

  • 浜田がいい仕事をすれば誰よりも嬉しいし、誰よりもムカつきますね。

  • そいつの良い所悪い所10個ずつ言えて初めて友達や。

  • 今後の取り組みを聞かれるんですけど僕自身もよくわからないんですよ。自分が何を求めて、何を燃料として走っているのか。むしろ、それがテーマかもしれませんね。いや、もう走っているのかさえわからない。

  • 面白いも面白ないも良うわからん奴が「面白い人が好き」言うな!

  • シンプルでいるにはどうしたらいいかと考え出したら、それはもうシンプルではなくなるし、むずかしいですね。

  • 未完成でも一生懸命やったら伝わるもんやなぁ。

  • 悲しいと言えば・・・・嘘になりますけど。

    解説:  「ガキの使いやあらへんで」を卒業する山崎に対して

  • 独身のマンネリ化ですよね。これを続けていて一体何になるんだって。だから別に結婚をしたいというよりも、独身に飽きるという感じでしたけど。

  • 芸人は常に作品を作っていかなければならない。僕はそういう人になりたい。

  • 戦争は仲直りする気のない喧嘩だからタチ悪いねんね。

  • 視聴率が高い番組が、面白いわけじゃないからね。

  • 笑ってるとき、人間はみんな無防備になる。この仕事をやっていて嬉しいのは、その無防備な顔を見ているときだ。どんな美人だろうが、男前だろうが、職業も、性別も、年齢も、なんにも関係なく、笑ってるときはみんな無防備で、アホみたいな顔してる。その無防備な顔を見られる優越感というか、嬉しさというか。

  • オリンピックで金メダル獲った奴が一番、足が速いと思うなよ。世の中には、もっと足の速い奴がおんねん。速すぎて見つかれへんだけや。

  • オレを理解するにはある程度のセンスとオツムが必要である。バカなヤツがどうあがいても、ついてこれる世界ではないのだ。

    出典:  松本人志「遺書」

  • 誰が決めたかしらないが、結婚というものは、おっそろしいものである。いつ家に帰っても同じ女がいるのだぞ…ギャー。考えただけで身の毛がよだつ話である。

    出典:  松本人志「遺書」

  • 確かにファンは少ないより多いほうがいい。でも、そいつらに踊らされないようにしなくてはならない。頭の悪い客を無理して笑わすこともないし、こうすればもっとファンが増えるかもしれないとか、こんなことをしたらファンが減るかもしないなどと考えるようになったら終わりである。

    出典:  松本人志「遺書」

  • 結局お笑いは、そいつの才能以外のなにものでもないのだ。

    出典:  松本人志「遺書」

  • 紳助・竜介に憧れて、この世界に入ろうと思ったオレだが、島田紳助の弟子になろうとは思わなかった。弟子になってしまうと師匠を抜けないような気がしたし、同じ線上で勝負したいと思ったのだよ。

    出典:  松本人志「遺書」

  • 建物の保存を訴える人っていますよねぇ。「思い出の場所なんです、だから・・・」とか。アホか。お前らみたいな勝手な意見がこれから色んなところで通ったら、これから生まれてくる人間にお前らの言う「思い出の場所」が出来んやないか。「思い出の場所」は自分の心の中でずっと在り続ける、それでいいんちゃうの?

  • ダウンタウンは作り込んだ笑いをやるというタイプではない。良くも悪くも瞬間芸というか。

  • ただ楽しいものを、1個でも多く提供できればいいなということしかない。

  • どえらい贈る言葉でしたね。

    解説:  子供にマジギレして説教した武田鉄矢に一言

  • 俺のライバルは明日の俺だ。過去の俺とは戦わない。

  • 専門店を貫くしかないよね。専門店が、変にコンビニを意識しだしたら、よう分からんことになっていくから。

  • 親孝行って何?って考える。でもそれを考えようとすることがもう親孝行なのかもしれない。

  • 日本で売れるためにはオバチャン連中に受けないとダメ。オバチャンは、自分が全て把握できる未完成のものが好き。

  • 僕の中では立川志の輔さんは別格で。お会いしたい気持ちもあるけど、恐れ多くて会いたくない。お笑い芸人でありながら。

  • 切腹をモチーフにしてみようと思ってたんですよ。やっぱり切腹って日本特有の文化だと思うし、以前から不思議だなと思っていたので、一度取り上げてみたかった。僕はジタバタする男が好きなんです。切腹を申し付けられた男が切腹をしたくないから必死にジタバタする。それを考えたら切腹だけではないストーリーができてきました。

    解説:  監督、脚本を担当した「さや侍」について

松本人志の名言を見ている方へお薦めする名言

松本人志の残した名言を分析し、それらの名言の傾向に近い名言を厳選して紹介します。

松本人志について

松本人志は日本のお笑い芸人。浜田雅功とお笑いコンビ「ダウンタウン」を結成。多くのバラエティー番組に出演するとともに、番組の企画・構成も担当。代表的な番組に「ダウンタウンのごっつええ感じ」、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」、「人志松本のすべらない話」、「IPPONグランプリ」などがある。さらに松本人志は映画業界にも進出し、「大日本人」、「しんぼる」、「さや侍」、「R100」を脚本・監督した。

1963年兵庫県尼崎市生まれ。小学校の同級生として、のちに相方となる浜田雅功と、松本人志が出演する多くの番組で放送作家を務める高須光聖と出会う。1982年18歳のとき吉本総合芸能学院(NSC)に浜田雅功とともに入学。そこで浜田とコンビを組む。入学早々からその芸には光るものがあり、島田紳助がNSCで明石家さんまやトミーズ雅と講義をしたとき、学生たちのネタを見て「一組だけやな。」と3人ともが言い、その一組がダウンタウンだったという。NSC在学中から大阪のローカルテレビ番組に出演。1984年には「第14回NHK上方漫才コンテスト」で優秀賞、「第5回ABC漫才・落語新人コンクール」で最優秀新人賞を受賞。1987年大阪の毎日放送で平日夕方の帯番組「4時ですよーだ」に出演。この番組によってダウンタウンは関西で爆発的人気となる。1989年東京に進出し、4月から昼の人気番組「笑っていいとも!」の火曜日レギュラーとなり、10月から「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」が放送を開始。1991年「ダウンタウンのごっつええ感じ」、1993年「ダウンタウンDX」、1994年「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」が始まり、ダウンタウンは日本を代表するお笑い芸人となっていった。1997年「ダウンタウンのごっつええ感じ」の放送がプロ野球の優勝決定試合の中継へ差し替えられたことに松本人志が抗議。テレビ局との関係が悪化し番組は打ち切りとなった。2000年ごろからはコンビではなく、個人での活動が増え始める。2007年松本人志は脚本・監督を務め、自身も出演した映画「大日本人」を公開。2004年から芸人が集まって自身のもっともすべらない話を披露し合う「人志松本のすべらない話」が放送開始。2009年芸人が大喜利の面白さを競う「IPPON グランプリ」放送開始。2013年芸能ニュースや時事ネタをもとにトークを繰り広げるワイドショー番組「ワイドナショー」が放送を始めた。